皆さん、こんばんは。
2月14日、火曜日、
先週末、山を歩かなかったストレスが溜まって来たところに、秩父宝登山のロウバイが見頃を迎えたとの最新情報♪
更に、明日の仕事の予定が急遽キャンセルとなったので、此処を先途とばかりに年次休を取得しちゃいました!😄
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港区で坂巡り
お江戸・東京 坂タモリ(港区編)に掲載されている東京坂番付・港区編。
先週歩いた東の大関・麻布の狸穴坂に続いて、今朝は西の大関・赤坂の薬研坂を絡めて五本の坂を歩いてみました。
薬研坂を歩くのは二回目ですが、坂タモリを読んだ後だと目にする景色も変わって見えるから不思議ですね♪
赤坂見附からトコトコ
6時45分、赤坂見附駅を出て一ツ木通りへ。
途中の路地に入ると、、、
丹後坂(↗)の石段があります。。。
元禄初年年(1688)に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守の邸があった。(現地案内板)
坂を上り切ると牛鳴坂です。
牛鳴坂(↗)
赤坂から青山に抜ける厚木通りで、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう。(現地案内板)
道沿いに武家屋敷の長屋門があります。
武家屋敷門(重要文化財)
丸の内に在った老中方屋敷の表門の一部を移築したもの。五万石以上の諸侯または老中職に許された長屋門の形式を持つ唯一の遺構で、元は長さ120mにも及ぶ長大なものだったそうです。(現地案内板要約)
この道は旧大山街道で、道沿いに山脇学園(私立女子中・高)があります。
途中、西から弾正坂が合流しますが、今日は歩きません。
青山通り(R246)と合流します。
正面は赤坂御用地、左に下る道がお目当ての薬研坂です。
西の大関、薬研坂(↘↗)
中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているため名づけられた。付近住民の名で何右衛門坂とも呼んだ。(現地案内板)
タモリさんも絶賛の美しいカーブ♪
薬研の底から上り返して振り返った景色。
成程、西の大関に恥ない美しさです。
坂の上から北の赤坂見附方面の眺め。
こちらは南側の道教寺越しの眺めです。
北から円通寺坂が合流します。
この坂は次回にとっておきましょう。。。
薬研坂の先は三分坂の急な下りとなります。
三分(さんぷん)坂(↘)
急坂のため通る車賃を銀三分(さんぷん、百円余)増したためという。(中略)さんぶでは四分の三両になるので誤り。(現地案内板)
今までさんぶ坂だと思っていました、、、(汗)
三分坂は都内屈指の激坂とし有名です。
坂の途中に江戸期の築地塀の姿を残す報土寺は、江戸期の名大関、雷電為右衛門に縁のある古いお寺です。
坂下の赤坂通りを渡って本氷川坂に向かいます。
勝海舟邸跡
本氷川坂の坂下に記念碑がありました。
勝海舟は赤坂の地の三か所に住みましたが、此処は勝が36歳の安政6年から明治元年迄の激動期を過ごした場所で、坂本龍馬が勝を暗殺しようと乗り込んだのもこの場所だったそうです。
本氷川(もとひかわ)坂(↗)
坂道番付の東前頭一枚目です。
左が氷川神社、右は日本銀行氷川分館です。
オウバイモドキ(黄梅擬)
別名:雲南黄梅、坂上に咲いていました。
何と、、、
此処でスマホのバッテリーが切れて、写真を撮れなくなってしまいました。
仕方無く、氷川神社にお参りしてからトボトボと会社に向かいました。。。
それにしても、峰あり谷あり、、、
赤坂周辺の地形は複雑で面白いです♪
本日もご訪問頂きまして有難うございました。