トラウトの離脱に続いてレンドーンも左脛打撲で途中交代。 大谷選手は右手中指負傷で、文字通り手痛い4敗目を喫しました。。。😣
チームにとっては一難去ってまた一難ですが、こんな時こそ、代わりのチャンスを貰った若手選手達の奮起で、災い転じて福と為すとして欲しいところです。
シーズンは未だ半ば、、、
球宴後の捲土重来に期待しましょう~!
因みに、7月5日は大谷君の誕生日です。
現地では明日が5日ですので、誕生日ホームランにも期待したいですね!☺️
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虎ノ門金刀比羅宮
虎ノ門金刀比羅宮は職場から一番近く、何かにつけてお詣りをしているお宮です。
昨日お参りした時の様子を、通勤散歩の余禄として紹介いたします。
7月5日、7時40分。
虎ノ門交差点から桜田通りへ進むと、、、
ビルの谷間に立派な鳥居が現れます。
「虎ノ門琴平タワー」の参道
昼間にはお弁当のキッチンカーが並びます。
手水舎
余計な花などは浮かんでおりません。
神楽殿
社殿前の立派な銅鳥居は文政4年(1821)に奉献されたもので、青龍・玄武・朱雀・白虎が誂えてあります。
右柱の朱雀と白虎
左柱の青龍と玄武
百度石
虎ノ門金刀比羅宮
ご祭神∶大物主神(おおものぬしのかみ)
配祀:崇徳天皇
万治3年(1660)、讃岐丸亀藩の藩主、京極高和が三田の江戸藩邸に金毘羅大権現を勧請したのが始まりで、その後、藩邸の移転とともに現在の虎ノ門に遷座した。
毎月10日に開放し江戸庶民の参拝を許したことから人気が高まり、以来、虎ノ門琴平大権現と称えられ、東国名社の一つとして信仰を集めた。
ブラタモリの江戸大名屋敷の回でも紹介されていましたが、当時は参拝客の落とす銭が、藩の貴重な収入源になっていたそうです。
1951年に再建された社殿は、東京都選定歴史的建造物に指定されています。
金陵はお国元の地酒ですね。
摂社の喜代住稲荷社と、
結大神社
ビルの谷間に江戸の香りを残す金刀比羅宮。
今も毎月10日に縁日が開かれているそうです。
次の縁日に覗きに行ってみようかな。☺️
おまけ(金刀比羅宮HPの写真から)
桜田通りの鳥居(昭和26年)
縁日の賑わい(明治44年)
今の景色とは大違いですね~!😲
本日もご訪問頂きまして有難うございました。