
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
徳島県神山町の【四国山岳植物園・岳人(がくじん)の森】
創作日本料理【観月茶屋(かんげつちゃや)】
料理長のミツルです。
このところ多くのメディアに取り上げられることの多くなった神山町。
現在でも官民一体となって将来的な神山町を構築していくプロジェクトが進んでいます。
一般社団法人「つなぐ公社」の呼びかけに、神山町役場、そして地域住民(もちろん役場職員も地域住民ですが)や、
深く神山町にかかわる人々が集まり、ワクワクする新し取り組みや、地域の課題を克服しようと頑張っています。
今回私もお声をかけて頂き、話し合いの場に参加させてもらっています。
専門分野である観光で何か地域の為に尽力できないかと模索する中、
「地域の問題点を観光で解決したい」という結論に至りました。
様々なグループが結成されていく中で、今回は観光のグループに所属し、
その中でも「景観・文化財等の発掘と保護」に焦点を絞りました。
で、考えてみました。(内部資料ですが、自分で書いた部分なので公表します。他地域でもこういう動きが活発になればそれで良し)
-
景観・文化財等の発掘と保護
-
今あるものを保護・修繕していく
1.現在ある景観や文化の伴う場所の情報収集
・教育委員会の資料や聞き取りで現在調査中
※候補としては
・神社、お船戸さんや祠など
・古道
・棚田
・古木、巨木
・石積み
・歴史的建造物
・古民家
・昔話やそれに伴う場所、人、家屋など
・上分小学校の校有林「興村庭(こうそんてい)」
・並行して現行の観光施設(地)の情報の掘り下げ
※優先順位としては多くの人(観光客・地域住民)が集える場を優先
2.場所が確認できたら観光資源として利用可能な場所をピックアップ
3.現地確認で状態、可能性、アクセス、駐車スペースなどをデータ化
※課題点・資料だけでは情報が少なく、地元の方への聞き取りが必要
・あまりにも数が多いので時間がかかる
・私有地内の場所もかなり多いので、確認が必要 -
守っていく
1.今後継続的に保存が行われていく仕組みを考える。
※必ずしも地元住民である必要のない仕組みを考える
※町外からの活動の参加者にも保険が適用になる仕組みを考える
※様々な世代が一緒に活動することでつながりを深める
※守っていく活動そのものを観光資源として発展させる
2.高齢者への聞き取りとアーカイブ
※他のチームに聞き取り作業があるようなので連携
※教育機関と連携し、宿題で祖父母の話を聞いてまとめてもらう
※聞き取り時には趣旨と目的をわかりやすく説明する
※先祖代々守り継がれてきたものへの意識向上と保存の賛同を得る -
景観ルール
1.理想の景観の定義を共通認識する
2、定義を今後あてはめられそうな可能性のある場所をピックアップ
3、具体的な案、実現性、費用対効果などを考察する
4、該当地区の関係者に相談
5、実際にやってみる
6、経過観察後感想を集め、改善点などを検証
7、必要があれば条例もしくは地域ルールの策定を促す
8、1~7または3~7をひたすらループ
9、新築や改築などの場合は外装に古材を積極的に利用してもらう
神山では「お船戸さん」と呼ばれるいわゆる「荒神」(だと思います)信仰の伝統や、氏神ですら管理しきれなくなっています。
例えば外国人観光客はガイドブックに載ることのない、この地域の伝統的な風習を好む傾向がありますし、
整備、観光化することで訪れる人も増えます。観光業に携わる人にとっては貴重な観光資源として、
維持管理の費用や労力を捻出しやすくなります。
地域の子供達や若い世代もその意味を知り、後世につなぐ担い手として育っていきます。
必然的に、昔を知り、しきたりを知る地域のじいちゃん、ばあちゃんにスポットライトが当たり、
元気の源になってくれればこんなに良いことはありません。
手始めに、入手した資料を基に自宅周辺を巡ってみました。
(墓や祠を写真で撮るのはあまりよろしくないかもしれませんが、データとして残す性質上撮影しております)
国道193号沿い(林道神通線入口から300m程)にある墓。
ただの墓のように見えますが、「きゅうひちさん(きゅうひっつぁん)」と呼ばれ、
お参りすると歯痛が治ると古くから言われています。
私もそう教わっていましたし、父も子供のころからそう教えられていたそうです。
正確な事は不明ですが、この辺のMさん宅で亡くなったお遍路さんの墓だそうです。
現在もMさん宅で大切に管理されています。近所のおっちゃんなので、今度詳しく聞き取りしてみたいと思います。
次は満月銀杏のある中津集会所周辺です。中津の中でも古くから「神道」と呼ばれる地区です。
大きな岩の上にのせてある石。昔は正月にはお供え物をしていたらしのですが、長らく手つかずらしいです。
「何を祭ってあるのかはしらんなあ」(お隣さん談)
その岩の下にはお船戸さん。住人の高齢化により現在は手入れされていないとのこと。
「おほなむち」大国主の別名 縁結び(広くは人と人を結ぶ縁)の神様と言われているので、
デートスポットや交流のスポットに良いかもしれませんね!
新田(にいだ)八幡神社 昔はこの急勾配の参道をだんじりが上がっていたとか。
安政6年と見えます 1860年頃だそうです。
町指定文化財に指定されている新田八幡神社社殿。
比較的手入れされてはいますが、木の枝など細かい部分の整備の必要が感じられました。
社殿の横には今となっては珍しい木製の電柱も
まだまだ現役のようです
川又南に場所を移しまして。
こちらも大きな岩の上に祭られたもの。すぐ隣にある建設会社の事務所で知り合いのおばちゃんに聞いてみると、
わざわざ旦那さんに電話して聞いてくれました。
どうやら先祖の墓を祭ってあるらしく、程なくして家主さんが帰って来られたので確認してみたところ、
やはりご先祖様を祭られているとのこと。
しかしながら、亡くなられた先代の方くらいまではお祭りしていたが、現在は特に何もしていないとのこと。
そしてこちらが上分中学校裏のお船戸さん。
「学業の神様として祭られている」と記載された資料もあります。比較的立派な祠です。
ほぼ朽ちかけてはいますが、木製の鳥居もかろうじて建っていました。
見晴らしの良いこの場所で、多くの卒業生は合格祈願したに違いありません。
人が集える場所や、いつ帰ってきても迎えてくれる場所、
初めて訪れた人でもこの地域の懐の深さを感じさせてくれる場所、
そういった場所を微力ながら 少しでも再生していけたら、こんなに素敵なことは無いです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます