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会社倒産その8

2021-01-23 05:50:00 | 日記
一回目の葬儀屋をやめ、別の葬儀屋に紹介で入りました。
しかしそこも複雑な所でした。
社長のムスコがとてもクセのある人で、今でいうパワハラを平気で行う人でした。
 でもパワハラて自分に自信の無い人が行っていますよね??
パワハラを行う事が、自分が上司である事を確認する手段だったのではと思います。あいにくこの時代にパワハラ等という言葉はなかったのです。
この葬儀屋にいたのは約9年、私も最初の2年は本当に悩みましたが、後は適当に流す事でなんとかすることができました。
他の先輩の方達は信頼できる人達だったのが続けられる力だったのもあります。しかし私のいる間に3名の人がこの上司のパワハラで辞めていきました。最後に辞めた後輩はこの上司と社員旅行の帰りに殴られていました。たしかに顔が、腫れ上がっていました。その後輩は警察に被害届けを出したそうですが、示談したらしく上司はそのままでした。私はそんな上司にはついていけないのと、辞める一年前位から当時結婚していた妻に会社辞めたいと、伝えていました。理由は私の親が亡くなっても泣ける気がしなかったからです。葬儀に慣れてすぎていました。
妻に葬儀屋辞めて沖縄(何故沖縄なのかは別の機会に)をツーリングさせてくれと話はしていましたし、もう上司による暴力事件にはウンザリでした。私も酔った上司に何度か平手打ちを喰らわされた事があったからです。
後輩への暴力事件の3ヶ月後、その葬儀屋を辞めました。

 そして沖縄へ3週間ツーリングしました。(この間の話も別の機会に)
 沖縄のツーリングは最高の思い出となりました。

 私は沖縄から帰ると2週間程寝込んでしまいました。喉が痛くて熱が出てしまってらいました。
 この時くらいから妻の態度がおかしくなりました。寝込んでいると、仕事から帰ってきた妻が一言、

「まだ就職活動せんの?」
あれ?なんか厳しくないですか?身体大丈夫?とかてわはないのですか?
この時私は本当に何も知らないバカでした。
妻の気持ちはもう私には無かったのです。でもこの時点で私は気付きませんでした。(元妻との話も別の機会にでも)

やっと体が回復すると、ハロワに行き就職活動をしました。
この時5社位受けたのですが、一社目は何故か面接中にちょっと用事あるから後日連絡するから帰ってと言われました。意味がわかりませんでしたし、連絡くることもありませんでしたが、私なんぞ面接するに値しないと言うことだったようです。他は二つの会社落とされ、2つは受かったのですが、そのうちの一つは面接官が嫌だったので受かったのですが、辞退しました。再就職するにあたりやはりスキルがない私は厳しいと本当に思いました。
そう思いながらも、就職受かったのが今回倒産した会社だったのです。

ちなみに再就職後1年で妻とは離婚しました。

 大学でも何も考えず趣味ばかりして、就職しても本も読まずバイクでツーリングばかりして、将来自分がどうあるべきかなど考えず、自分磨きというものを疎かにした結果が今回なら倒産という結果に繋がったのだと思います。

もうちょっと未来を考えていたらと思うと・・・。後悔しかありません。
 
本当にもっと勉強しとくべきだったと。

しかし今回は3度目の離職とは訳が違います。私は1月12日から1月23日にまで朝昼、そして子供がら寝静まった夜中に起きてひたすら勉強しました。
少し自信はつきました。

※次回はちゃんと倒産後のお話です。



会社倒産その7

2021-01-23 05:05:00 | 日記
 その日は、中退共(会社が外部にお願いして退職金を積み立てる制度。ただし退職金は掛け金に上乗せされるものてわはなく、掛金×掛けた月数)の書類を受け取り10時位に解散となりました。
 もう会わないような店長と最後の挨拶をし、割と仲がいい店長と後本社の人間と近くのファミレスに行き色々お話しました。
 今回の倒産の件、今後の事、etc・・・。

 ただやはり将来には不安でした。

 でも私は決めました。

起業してみる

 前回も書いたように今の会社では給料は上がりません。
 老後も不安です。

 副業から始めようと思っていましたが、その前に倒産してしまいました。
 自分で何か始めようと思いました。

 その為今の自分に何が足りないか??
 スキルです。

 私はとにかく2週間スキルの勉強をしようと思いました。どうせまだ離職票やらは来ないのです。
 それならそらまでは勉強しようと思いました。


 私は会社を辞めたの過去3回(今回の倒産解雇を含めると4回)です。
 初めて就職したのは紳士服。一年も持ちませんでした。就職活動も適当にしていました。別に受かればどこでもいいかな?という気持ちでした。紳士服が受かると就職活動を辞めてしまい、のんびりしていました。そこの最初の就職先は大阪。地元を離れて1人見知らぬ土地へ行きました。まぁそれなりに適応したつもりではありましたが、一つだけ慣れなかったのは、そこの社長でした。
「お前らは俺がいないと洋服の一つでも売れないのか!!」
と当時は珍しく衛星放送(インターネットは普及されておらず、それすらも電話回線しかない時代でした。)というのを駆使し全店へ社長メッセージを伝えます。そして、売上悪い店舗と売上がいい店舗を突撃隣の晩御飯!!なみに取材していましたが、売上のいい店はやらせ、悪い店は本気で突撃だったようで、売上悪い店は店が悪い、従業員が悪いとコテンパンに言われ、噂では店長は降格左遷だったそうです。
 この時「思てたんと違う」となり辞める決意をしました。元々全国規模の会社だったので、あちこち移動も嫌でした。

 二つ目は小さな葬儀屋でした。ここには夫婦経営で旦那さんが会長、奥さんが社長で2人はとてもいがみあい、別居していました。
営業部長と言う人がいましたが、この人は葬儀のど素人、葬儀に関しては私に教えられるような事はしませんでした。後は我関せずのマイペースなおじさんと世話好きなおばさんでやってる葬儀屋でした。
 紳士服販売していた夏に私は祖父を亡くし葬儀を行ったのですが、その時葬儀なら興味を持ち葬儀屋に就職してみようと思ったのです。
 そこの事務所はズダボロのプレハブで、葬儀場も少し大きめの家を改造した感じでした。大丈夫かな?とは思いましたが、葬儀屋自体は面白いものでした。最初に見たご遺体も綺麗だったから抵抗はありませんでした。しかしその時まだ色々分からない事だらけてわしたが、部長は葬儀に関してはど素人で、葬儀に関する事は教えて貰えず、ただお手伝いばかりしていました。そして会長の悪口をこの部長と社長にずっと洗脳され続け、会長は悪い人なんだと思っていました。
その会社たまーにおかしな人達が来るのです。どんなおかしさかと言うと、イカツイアメ車で会社に乗り付け、明らかに普通では無い人が2人組できて、
「社長はおるかー」
てな感じで事務所に入ってきます。その時事務所にいるものは社長によって追い出されます。
 社長がどうも、普通では無い所からお金を借りていてその返済の為に普通では無い人達が来ていたようです。
 そして世話好きなおばさん社長と部長は「デキとる」と言って来ました。そのおばさんの話によると部長は社長の自宅によく行っていると言うのです。まぁ私にはどうでもいい事でした。
 この時私は2回連続で2週間程入院してしまいました。
 喘息の悪化と、自病の発作が出てしまいました。退院後世話好きのおばさんから社長が私の悪口言ってると言われました。それまで私につきっきりだった部長が急に私から離れて何の指示もしなくなったのです。そして初めて社長と部長はデキて私を良く思っていないんだなという信憑性が取れました。その後世話好きなおばさんが別の葬儀屋を紹介してくれてそこを去ることになりました。