がめらのフィールドノート

人と自然との出会いの中から湧き上がった想いや音楽、エピソードなどを、紹介します。

お見舞い申し上げます

2008年06月17日 | わたしという人
 毎日のニュースで、岩手宮城内陸地震の様子が報道されています。今まで上空からしか撮影できなかった場所にも、段々とカメラが入れるようになってきて、被害の集中している様子が詳しくわかるようになってきました。
あらためて、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。また、被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。

 私は、大学で地学を専攻していましたので、地質や地震についてはおそらく普通の方より、関心の度合いが高いのではないか、と思っています。人命がかかっているので、「災害」として報道されるのは当然なのですが、研究者や専門家の間では、観測史上最大級の地震である、ということで別の側面から大変注目されているようです。

 四川省大地震もそうですが、この規模の地震になると、「がけ崩れ」とか「崩落」とかいう表現ですむ話ではなく、実は「違う地形に変化していく瞬間」を目の当たりにしているのだということを感じます。歴史や理科の教科書に出てくるような、地殻変動や造山運動のレベルだということです。「地形が変わる=地図が変わる」ということです。

 大きすぎて日常生活の中で実感がわきませんが、地球自体が生きて動いているわけですから、大規模な地殻変動は常に起こりうるし、それに伴って起こる大地震や火山の噴火なども、地球が存在する限り常に起こる現象です。

 私たちが登る山々の多くは、大地震を伴う地殻変動や火山活動などによってできたものです。山の自然を楽しんだり味わったりすることは、私たちの生活にうるおいや安らぎや刺激を与えてくれますが、そのような山になるまでには気の遠くなるような時間が必要だし、造山活動や地殻変動のために、人間をよせつけない姿だった時代があったわけです。

 今回、温泉宿にいらした方、渓流釣りや山菜採りに訪れた方々が地震の被害に遭遇してしまいました。自然の息吹を感じ、自然の魅力を満喫していたでしょうに・・・。


 なぜそこに山があるのか。なぜそこに川が流れているのか。なぜそこに渓谷があるのか。なぜそこに滝があるのか。今目の前に見えていないことにも、思いを馳せてみることにも、大切な意味があるのではないか、と思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿