(『前編』よりの続き)
ほぼ旧道に沿ってガラメキ温泉へ至るには、「白川河原」(前編参照)に車を停め、三(四?)叉路を左の道を進み、「七曲り」を上り詰めれば、その先は傾斜の緩い道が続きます。
かつては馬子に引かれ荷駄を積んだ馬が通った道。高崎から榛名湖畔へ日用品や食糧を運び、榛名湖畔からは、茅や薪、そして湖で凍った「氷」も運ばれたらしいです。「氷室山」という山があるので、需要季までは、そこで保存して置いたのだろうか?そして融けないように夜間に運んだとも聞きます。
現在のガラメキ温泉へ上る道は、治山工事(堰堤=砂防ダム建設)のために、車両が通りやすいように重機で拡幅された道で、一部はコンクリート舗装がされていますが、今では堰堤工事も一段落、林業も停滞しているので、四輪車はめったには入って来ないようです。替わりに趣味のモトクロスバイクがたくさん入り込んでいます。現行の道は、旧道から外れている所が多いようです。
傾斜緩やかなので歩きやすい!かというと、そうではない。
石がゴロゴロしていて、まるで河原を歩いているような、歩くにはあまり嬉しくない道が続きます。しかも林の中の窪地で左右のロケーションもなくて見所があるわけでもない。
それでも、「古道はこっちだったろう」と思える窪地が林の中に何ヵ所も見られます。
ここも旧道の跡と推測しています。
ガラメキ温泉へ向かって現在のしっかり造られた林道を辿って行っても、2箇所ほど、どっちの道を行こうか?と迷う分岐があります。
地形図にも記されていますが、最初の分岐は右の上りではなく、左の平坦な方の道。次の分岐は舗装がされている新道ですが、左へ下る道ではなく、右の上りの舗装道を選択すれば、迷うことはありません。
そのうちにコンクリート堰堤(砂防ダム)のある大きな沢の左岸に出るので、道なりに上っていくと、高い堰堤の下にぶつかります。ここで、沢を右岸へ渡ります。
(この沢が「湯沢」=温泉の下流です。)
古道のこの沢の徒渉点は、堰堤工事のために寸断されていて不明。
沢を渡って、少し上っていくと「変則な四差路」へ「黄色←」で上ってきます。(※画像アングルは左側の道から撮っています)
ここでは、(黄色コース方向から見ると)右寄りの上り方向の一番上りがキツい道を選べば、到着です。
もし右方向平坦路(画像では直進方向)を選んでも、すぐに温泉下の沢があり、上流を見ると石垣があります。この沢を上っても着きます。
順調に「赤←の上り道」を行くと、石垣が正面にある平地に出ます。到着です。
順調に「赤←の上り道」を行くと、石垣が正面にある平地に出ます。到着です。
源泉へ行くには、平地の右から河原へ伸びる石畳を下って行けばわかります。
川の流れが変わったので、今は河原になってしまっていますが、かつては川岸で、ここに温泉小屋が建っていたらしい。
源泉。元々ぬるい上に、川の水が流れ込んで、冷たいだろうと思ったけど、意外や意外、「ぬるい!」
温泉水を触った手は、その時は感じなくても、後でスベスベ感。
往時には、旅館の内湯ではなく、ここに温泉小屋があって、ここへ来て入湯し、温泉がぬるいので、別に薪で沸かした湯が併設されていたらしいです。
(大正元年九月建立)不動明王の石碑。今は中洲になっている。かつては石仏もあったとも聞きますが、不心得者が持ち去ったらしい。かつての川はここより東(左岸)側の河原部分だけで、源泉も石碑・石仏も地続きだったそうです(古い写真では、源泉の周囲が土)。
昭和末期か平成初め頃のある年に、大雨で川が右岸(源泉方向)に氾濫して石河原が広がり、源泉も岩石に埋まってしまったとのこと。
その後、有志が石の中から掘り出してくれたので、現在源泉を目にすることができています。
右岸のたくさんの石垣は、人が住んでいた証。石垣で囲まれた場所も見て回ると、ここに宿があったことが偲ばれます。
(拾い画像ですが、絵葉書と思われます。)
こんな宿屋があったようです。
現在、周辺を探索すると、少し山に入った所に
石垣を積み上げられた上に、(屋根の落ちた)祠・薬師如来石像・庚申塔。そこへ上る石段の痕跡があります。(祠は明治21年建立)
川の近くの文字碑
下には「大黒天」
諸説あって「がらめき」と読む説もありますが、ワタシとしては「薬師如来」と読みたいですね。
諸説あって「がらめき」と読む説もありますが、ワタシとしては「薬師如来」と読みたいですね。
それぞれの建立の年月(明治35年。「大黒天」は明治31年)と建立者名も彫られていて、大変に興味深いです。
宿屋は時期によって2~7軒あったそうですが、富士見館(中村さん)・阿蘇山館(松本さん)・扇屋(?)・・・。
それぞれの旅館が何処だった判りませんけどが、生き証人の話を聞くと分かりそうです。
それにしても、数軒の宿屋だけなのに、大量の石垣。往時が偲ばれます。
この画像以外に、川沿いの石垣も大したものです。よくぞ積み上げたものだと感心します。
ワタシは今回で数回目の訪問になりますが、多くの方々が「ガラメキ温泉探訪」の記を遺されています。折角ここにたどり着いたなら、温泉そのもの(源泉)だけでなく、たくさんの石垣や遺物等にも目を向けて、温泉宿があった頃の様子をにも想いを馳せてみることもお奨めしたいです。
このガラメキ温泉跡、自然に任せておけば、この源泉も洪水によって河原に埋もれてしまい(実際に一時期そうでした)、やがてその位置も不明になってしまうことでしょう。
この源泉孔の河原石を除けたり、標識を付けたり、蓋を新しくしたり、排水(湯)流路を整備したり、流れ込む水がなるべく少なくなるように工夫したり・・・、こうした整備活動をされているのは「相満山史跡研究同好会」の有志の方々です。その活動のお陰で、我々は今でも「ガラメキ温泉の源泉」を観ることができています。(感謝です!!)