聖那☆”と話そう ぽっかぽか4

自分の気に入ったものを写して行きたいです♪

帰りの新幹線

2008-03-28 21:17:33 | Weblog
縮景園の帰り道、街で迷子に・・・(笑)
2時間も彷徨ってしまいましたが、
ホテルから頂いておりました地図を
思い出し、それを頼りに、広島駅まで
帰って来れました~ホッ=3
無事に帰りの新幹線にも乗る事が出来ました♪

国の名勝 縮景園

2008-03-28 20:30:23 | Weblog
縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)に、
元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、
作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。

園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、
また、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。

園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、
周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、
それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。

この種の庭園は、回遊式庭園と称され、
室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、
江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。
 
 池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、
七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、
東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の千歳橋にも似た
大胆奇抜な手法が駆使されている。
 
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園の結構にふさわしい数寄屋造りで、
屋根はこけら葺きである。
西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、
東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。
 昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、
同年7月12日国の名勝に指定された。
 
昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、
県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、
+清風館、明月亭などの亭館も復元した。
面積 50,995.66m2

世界遺産 原爆ドーム

2008-03-28 00:29:50 | Weblog
原爆で破壊された状態で保存する事に
原爆ドームの価値がある。
被爆による全壊は免れたが、
風化や地震による崩壊や落下の危険性があるため、
原爆ドーム内に立ち入る事はできない。
一時は存廃をめぐった論争が起こるも、
現在は定期的に補修工事を行い、
永久保存が約束されている。

世界遺産 原爆ドーム

2008-03-28 00:23:17 | Weblog
作戦実行の1945(昭和20)年8月6日、
攻撃の第一目標は、晴天の広島に決定。
上空からT字形に見える相生橋に。
午前8時15分、
米軍機エノラ・ゲイが重さ4tの原子爆弾を
高度約9600mから投下。
目標をわずかにそれた原子爆弾は投下から約43秒後、
島病院(現在の島外科)の上空600mで炸裂する。
爆発にともなってキノコ雲が発生。
熱線、爆風、放射能の3つの脅威が
約35万人と都市を襲った。
爆心地周辺の地表温度は4000℃に達し、
巨大な火柱が吹き上がり、
爆煙が渦を巻いた。
半径約2km以内の建造物はほとんど倒壊。
あまりの惨状から
「75年間、草木は生えない」
といわれた。