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クルマをやめました 臨時版  再追補 ③

2014-09-29 17:12:59 | 吠える末期老齢者
高齢者運転免許事前講習に論議集中、今回はそこに取り掛かりましょう

①免許返納推進、という方針を打ち出し、実行を積極的に押すのが警察・公安、という仕組みに異論を唱える人も少なくない
つまり「安全第一・高齢者事故急増」の対策として当然の措置、という純粋さに生活環境劣
化は放置するのか?という面から不信の念を抱く人も少なくない
②実は免許返納には大きな社会問題が関連してくる、そこを誰が解決するのか?
気弱で誠実な小市民は、今暮らしている過疎地で車が運転出来なくなったらどうする?とい う大問題が直接個人にぶつかってくる、そこにライトを当ててくれる組織・法律・技術は皆 無である
人間としての能力低下、即ち視力・反射神経・筋力といったものの衰え、これらをカバーし てくれるもの、それは直ぐそこ、身近に技術革新の目に見えるものとして、車先進国の多く
が推進している「完全自動運転車」実現に力を入れているあれで、実現までの年数で言えば3~5年ではないか、と期待されている所である
③今、高齢者(前期/後期が嫌われている呼び名である、として施政者は若年/熟年、と言い換えるつもりらしい、但し法的には今のままとも言われる)の中で70歳を堺に上記の能力 低下は補えない、事故多発の元凶である、とされている事に当事者達は怯えている
軽自動車だけ20年も使っている、講習の一分野として普通自動車・オートマチックが決められているが、到底運転できると思えない 
又は「認知症の初度判定」として実施される二十種類の絵を覚える、二・三件の視力関係地 テスト後(予告されない)記憶を辿って何があったか書け、と言われ既にして怯えが進んだ 受講者は、一つも思い出せない!と悲鳴(微かな声だが)を上げる人迄居る
④順不同で羅列したが、通して感じられることは「不安感の呼び起こし」とも思われる
そこまで極端か?いゃあ、二十年も歳を巻き戻してくれれば何という事も無いあれこれでは ある、しかしそれを心身の衰退を感じている老齢者に、実感として呼び覚ます手伝いをし、 六千円という県税(証紙だが)を払わせ、首都圏一極集中の不公平や技術の進歩で直ぐそこ に来ている「自動運転車の人に対する安全効果」とは別の観点だけから、もうこんな思いを するなら免許なんか捨てようか、という心理効果が大きなものである事は事実なのである
⑤一極集中が様々な公害やコスト高や精神不安定に繋がっている、それは専門外として置くと
しても、少子化・過疎化を招いている事実は誰も否定できないのではないか?
そういう社会実態にあって、実生活上不可欠な車を奪う事は、等しく健康にして安全な社会生活を営む権利をも害する、という事にならないか?
あらゆる方策を練ったのか?あらゆるとは全方位的にであって、一部に牢固として変らぬ縦社会の縄張り意識打破、の様な観念的反対論では無いのである
⑥学識経験者という表現が、問題解決の妙策発見器でるあが如く屡々見受けられる、学問と識見と経験を兼ね備えていて尚かつ人格者、という神の様な万能の人は何事によらずそうざらには存在しないのではないか、という些か荒っぽい問題提起として列記してみた
⑦只の車好き、50年余の運転経験、主としてメカや新機軸の操縦機能に着目して来た面から今の免許返納運動に大きな疑問を持った為、自由に意見展開が出来るこの日記を使わせて頂いた、我が結論は「今の免許はそのままに、後一・二回更新する間に自動操縦車が当然とい う時代が来る」、これは怯えていた同世代の好々爺と可愛いオバアチャンに贈る言葉でもある、
実行としては周囲の方達に上記理論をかいつまんで説明し、三年に一度の屈辱に耐えればいいではないか!と危険な言辞も弄して解説した次第、危険思想として排除せず施政者諸 氏も大所高所とヒューマニズムの観点からの評定をお願いして一先ず結びとする  乱文ご容赦

クルマをやめました 臨時版  再追補 ②

2014-09-22 19:43:38 | 吠える末期老齢者
段々脱線になって、上納金問題・免許返納の後進性・先進技術の積極的取り入れ、といつた方向に話を持って行かないと纏まりがつかない!
と感じてクルマを持つだけで法外な上納金、のスタートは一旦矛を収めて一極集中の弊害や、本質安全の方向を論じたい、と思います
一人の論調が何ほどの事やあらん、と鼻で笑う官・政の物知り諸君におや?と思って貰う為に何を調べ、どう解析し、如何に天下国家を論じる列に加わるか、とは又大袈裟ですが、興味を持って下さった方々のご意見、別提案等々歓迎します
全く自然体によるこれからの国、を考える、即ち少子化問題も正社員偽装問題も、色々包括出来る様に努力します
前書きだけになりましたが、是非ご意見を下さい
歳を重ねて沢山の余裕が出来ました、その大半は時間です、そうして何も失う物が無いという素直な認識です
クルマという便利な、そして危険な、世界に誇れる技術の粋を極めた商品、その先に何があるんだろう、考えましょう

クルマをやめました 臨時版  再追補

2014-09-01 16:45:48 | 吠える末期老齢者
色々考えを述べてみました、最近の情報スピードと広がりのパワー、末期老齢者の出る幕では無さそうです
が、少子化の問題をお上意識でどうにかなる、とはまさか思っていないでしょうが、厳然たる世代間頭数のムラは放置できないでしょう
議席を失ったら終り、という刃物を常に突きつけられている「非職業の彼等」に無理を言っても詮無い事、ここは一番得意の造語「末期老齢者」が一踏ん張りしようではないか、と思うの
ですよね
クルマをやめる理由は数々あれど、経済原則に合っていない上納金、高齢者は事故が多いから免許証返納を推進せよ、と命令するあの方々の悲しきお上意識、年々侮辱を受ける比率は高まる一方の「末期老齢者」はどこでバランスを取ればいいのだろう
詳細な原価計算による、毎日クルマを止めておくことの不条理さ、この被害者側も立ち上がってみたら如何なものか、政治も組織も関わらないと決めた昨今、こういうページがささやかに
活動させてくれている民主主義、ここに目を付けて考えてみたいです
クルマをやめる、という単純な方式による自分の意識を通してみる、ここにポイントを置いて
進んでみようと思うのです
定量的成果歴然という少子化対策にもし取り入れたら、大変な騒ぎになるのではないか、との思いもあります
クルマをやめて子供をもう一人、と言えば誰が止められましょう、人間的に素晴らしい発想だと言えませんか皆さん、三人の子がいる家の平和なこと、子供が世界を作って母親の余裕が出来る素晴らしさ!
離婚が増える一方、女性の働く場所は不安定かつ低所得、政治屋さん達の法螺に騙されてはいけません、将来ある子供たちの明るい笑顔、それを目指すのに「クルマをやめてみよう」は意外な効果を示すかもしれません
スタートに思ったことは全然違う方角でした、ここに無駄を徹底して排除する、楽しい家庭を作る、幸せとは何かを考え直す、と観点を変えてみようと思います
歳はとってもお船をこぐ時は・・・で行きましょう、私は大和民族です11代の薩摩人です
行ってみましょう