おもい出し日記

「雨ニモマケズ」

同じ日の新聞に知っている方が二人載っていたので紹介します。

4/21の河北新聞朝刊の21面に
「水上バイクで100人を救う」の記事が載っていました。

浸水した家に水上バイクで玄関戸に突っ込んでいき救助したそうです。
世界的な技術を持った方だそうですが
あの状況ですぐ行動することは素晴らしいことです。

内装屋さんの友人です。
3回ぐらい自分の死を感じた、危険な状況になったと聞きました。


同じく河北新聞朝刊の22面に
「困っている人がいれば どこへでも」

仙台市にとらわれず石巻市、山元町など被災地を飛び回っている
仙台市若林区民生委員の黒須さんの記事が載っていました。

地域にとらわれず、困っている人の所に駈け付ける!
避難生活を支える姿勢はすばらしいです。

河原町で美容室を経営しています。

黒須さんからはいつも資料や情報をいただいています。

鏡の法則、成功の・・・、小学生の作文「うちの家族はみんな悪い人」もそうで、ニュースレターや業者会議で紹介させてもらっています。

いつもどこかで繋がっていて、
応援してもらっているのがわかります。感謝!
当社のニュースレターも読んでもらっています。


「私利私欲がない行動」と口では簡単に言えますが…。
とっさに行動できることは…素晴らしいです。

4/5の朝日新聞に28面に
「雨ニモマケズ響く」の記事が載っていました。

「雨ニモマケズ」は宮沢賢治が亡くなる2年前、病状で手帳に鉛筆でしたためたという。
戦時中から、苦難を耐え忍ぶ象徴として広く読まれてきました。

賢治が生まれたのは、明治29年8月27日。
M8.2とされる明治三陸地震の2ヵ月後です。
死者・行方不明者2万2千人

亡くなる約半年前の昭和8年3月3日には、約3千人死者・行方不明者のでた昭和三陸地震(M8.1)が起きました。

地震後の4日後、賢治は詩人の大木実にあてたはがきに
「被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です」と記してます。


詩は賢治自身が体感していた悲しみや苦しみが集約されていて
心の支えや癒しとして人々の心に根付いています。


雨にも負けず
風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち

慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり、そして忘れず

野原の松の林の陰の小さな茅葺の小屋にいて

東に病気の子どもあれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あらば、行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず

そういうものに
わたしは
なりたい


震災により、かなり長い春休みを送った学生さん。
何もすることなく家にいるしかなかったお子さんも多かったのではないでしょうか?

何かしなければ…と思いつつ…。
何も出来ない自分がいました。

大人でもそうです。

でも、この詩のような気持ちを持つことができたのではないでしょうか!
いつか自然に行動すればいいと思います。
いつでもいいのです。



家づくりもこの詩に共鳴するところがあります。
家づくりに変えて書いてみます。


雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けない
しっかりした構造体、断熱材、仕様にし

ただ安ければ何でもいいと思わず
安くていい家を目指した家をつくる

まわりの環境に調和するように考え
少しのエネルギーで暮らせるよう配慮し

季節のいい時は風を通し、冬の時は日差しをもらうなど
自然のエネルギーを活用する

病気になった時、ゆっくり休める部屋になるように

仕事から帰ってくれば、疲れがとれるような
早く帰りたくなるような家をつくる

家族で喧嘩になったときもそっと見守ってくれる

地震や台風にあった時、家族が一つの空間で確認し合え
安心して暮らせる

世間からは普通の家と呼ばれ

褒められもせず
苦にもされず

そういう家を
わたしは
つくりたい
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