輝いていたい

3つの癌経験者。でも負けないぞ!

共に闘った時

2013年03月31日 16時46分00秒 | 愛する人
4月から復職します。
自分の闘病と主人の看病に没頭した1年5ヶ月が終わろうとしています。

この期間のことは辛いことばかりが思い出されます・・・
でも、二人で過ごした大切な時間。
一緒に闘った日々。
ずっと一緒にいられたことはありがたいことでした。

愛する人のことを書き残しておきたいと思います。
思い立ったらその時に・・・

同情をひこうとか、褒めてもらおうとかいう気持ちではありません。
辛い病と闘いながら精一杯生きた人がいた証として・・・
そして自分の中での覚書として。。。

今回は共に闘病した日々のことを・・・

愛する夫とは四半世紀以上の日々を共に過ごしました。
大きな病気をすることもなくいたって健康体でした。

だから・・・まさかこんな早くにお別れがくるなんて夢にも思っていなかった・・・



2007年に脊髄小脳変性症(神経難病)と診断される。
小脳は運動をつかさどる機能。手足の運動障害、構音障害、嚥下障害とさまざまな運動機能が低下していく病気。
この病気の特効薬はなく、進行を遅らせる内服薬とリハビリが唯一の治療だった。
一人では通院リハビリが困難になってきた頃から自宅で週2のリハビリを受けていた。

つかまり歩行が難儀になったが、2011年8月には車椅子で北海道旅行をしてきた。
私が行きたいといった函館中心。
少し嚥下が心配になってきていたが、美味しそうにお料理を食べていた。
温泉にも入ったしもちろん観光もした。

たくさんの人の手を借りてだが、旅行もできる、外に出ることができると二人で自信をつけたものだった。

2011年9月末頃から食欲が低下し腹部の異常を訴えるようになった。
我慢強い夫もいよいよ辛くなったのか、自分から病院に行くと言った。

10月2日に受診。レントゲン、心電図、CT、採血、エコーなどいろいろな検査の結果「大腸の憩室炎および腹膜炎」ということで緊急入院となった。
数日後にまず私だけ主治医となった内科医からICを受ける。
頭が真っ白になった。
病名「スキルス胃がん」 すでに腹膜播種をおこしており手術の適応ではない。
目に飛び込んできた血液検査の腫瘍マーカーは3桁を記していた。
治療は化学療法しかない。予後も伝えられる。

私の大腸手術が決定していたあとの告知だった。
自分だけ手術をして夫はできない。むごい現実だった。
多分・・・癌でも手術をして快復した私をみているので夫自身も手術ということを考えたと思う。 神様はひどい現実とそれに立ち向かう困難を私たちに投げかけてきたのだった。

当然、夫も夫の主治医も私は手術ができるのだからしなければいけないと言った。

夫は私の懇願で化学療法を受けることを承諾した。標準治療にのっとっての治療だった。
癌性疼痛軽減のため、内服でモルヒネも開始となった。

*ファースト治療 2011年10/13~2012年7/3
21日間のTS-1内服 + TS-1内服後7日目のシスプラチン投与。
シスプラチンは腎臓機能の問題が生じるので大量輸液を必要とするためその間は入院。
この治療は夫の身体に適したようで最初は効果が大だった。
この治療を6コース施行。(6コースまでしかできない)
2012年5月以降はTS-1内服を2コース施行。

効果は最初のみで、7月のCT検査では再発が確認された。

*セカンド治療  2012年7/23~8/20
パクリタキセル。
この薬は骨髄抑制が強く出る薬。脱毛もあった。
新たな薬を使うので入院して施行。
週1で施行する予定だったが、1回目施行後骨髄抑制が強く出てしまい、2回目は1ヶ月後にしかも減量して施行した。
3回目は外来で施行した。

8月末には痛みの増加と息苦しさで緊急入院。 8/24~10/19入院。
骨髄抑制がさらに強く出てなかなか改善されず、酸素投与。空気清浄機の使用等をした。
一時期は肺炎を併発し生命の危機を告知された。
幸い抗菌剤が効果を示すものが原因だったため改善する。
痛みが増強してきて緩和ケアチームの介入があり、抗不安薬を内服するようになる。

この頃は抵抗力もないので積極的な治療はできない状態になった。

家につれて帰りたいと願い、ソーシャルワーカー・緩和ケアチームの介入を経て訪問医・訪問看護の段取りをしてもらい、以後は在宅で看ることにしたのだった。

食事量が減ってきていたので、退院間近には胸にCVポートの埋め込み手術をしてもらった。
尿意を頻回に訴えていて排尿困難があったので体力温存のためにと挿入した尿留置カテーテルもそのままで退院することになった。
経口だったモルヒネも点滴のルートから入れるようになった。

病院同様、吸入や吸引ができるように福祉器具のレンタルをして、ベッドも介助しやすいよう位置を変えて、ハード面でのできることはすべてやった。
点滴(高カロリー輸液)交換や、モルヒネ薬の交換は私が、週1で入浴に合わせて針の差し替えを訪問看護師が、尿カテは2週に一度訪問医が交換してくれていた。

在宅では、病院ではできなかったお風呂も訪問看護師の力を借りて入れてあげることができた。好きなときに好きなものを食べることもできた。
テレビだって気にせず見ることができた。

なにより、一緒に笑ったり泣いたりといつも二人で、全てのことが大切な時だった。

11月くらいまでは少しずつではあるが食事も摂れていた。
歯磨き、髭剃り、清拭、更衣、トイレ介助・・・生活の全ては介助が必要だった。
三度三度キッチンに移動(車椅子で)し、エプロンをして食事をする姿を見ているのが嬉しかった。たった一口でも・・・

12月に入り、胃の腫瘤が触れるようになり、次第に腕や頚部、鎖骨上のリンパ節も腫大しているのがわかった。直に食事は通らなくなり痛みもさらに増強し不安も増大したようだった。
12月末には腹水も溜まり始め胃の腫瘤がわからなくなるくらいだった。

病院とのつながりもあり受診しては採血やらCTをしていた。その都度状態に関しては検査結果も含め夫には伝えていた。
腹水が溜まったら薬を使ったり穿刺して抜くことができるが自宅ではできず、病院に行くことになる。すると入院かもしれないなどと。

テレビのリモコンすら操作する気力もないほど辛さが増強して、年が明けると自分から病院に行くと言い出した夫であった。

2013年1月8日が受診日であったが、辛くて辛くて7日には病院に行くと言い・・・
そのまま入院となった。
入院して直ちに腹腔穿刺を施行。2L引けた。

腹水自体からは癌細胞が検出されず、引いた後もそう溜まることもなかったので、医師は低栄養からではないかといっていた。
高カロリー輸液から維持液に変更ししかも1日に500mlとなったが、腹水が増えることもなかったので、12日からまた高カロリー輸液にもどすことになった。
もしかしたら、もう一度家に帰れるかも知れないと医師は言っていた。

11日は身の置き所がないようで寝たり起きたりを繰り返していた。
辛そうだった。
吐血だったのか?!口の中が黒かった。
この日、病院に泊まっていれば・・・ 
ずっと傍にいてあげらなかったのが悔いて悔いて・・・
私らしくもなく夜中に何度も目が覚めた。その時になんでおやっと思わなかったのか・・・バカ

12日 主人の誕生日だった。
少しでもなめられたらとケーキを買っていつもより少し早めに病院に向った。

病室に入り夫の姿を見て動揺した・・・
すでに努力様の呼吸(肩呼吸)をして、呼びかけには発語がない。
一生懸命呼びかけた。
そうしたら・・・ 左目から涙がポロリと・・・
私のことがわかったんだね。。。 遅くなってゴメン・・・

その1時間後くらいには手をかすかに動かした。
そしてもう一度、呼びかけに対して今度は右目から涙がポロリ・・・


静かに静かに 
眠るように
痛みや苦しさから解放された安楽にも見えた顔で
16時46分 永遠の眠りについた。

私の母と叔母と甥っ子夫婦に見守られて・・・

共に闘った日々に終止符が打たれた。。。


長い間
ありがとう

ここ数ヶ月の体調

2013年03月29日 21時51分45秒 | 健康のこと
ここ数ヶ月、受診科が増えまして

今日は消化器内科の受診だった。
なぜ 内科なのか・・・ 
というのは

昨年12月に左わき腹(肋骨下部)が痛いということがあった。
多分、ゴッドの看護で身体を動かしたり支えたりといったことで筋肉痛だと思って放置していた。
1月はなんだかんだと自分の身体の不調を感ずることもなく経過。
この痛みのことはなにもなかったかのように忘れていたの。

ところがだ
2月に入り、歩いていたりちょっと身体の向きを変えたりしたときにイテテテェって感じでまた痛んできた。
数日様子をみていたが治まらずに内科を受診したってわけ。
問診・触診をして、採血とCTを撮ってみようかということになったが、その前に腹部レントゲンをということになり・・・
レントゲン結果では、いわゆる残り(便とガス)があったのよ
排泄がなかったわけではないのにねぇ・・・
診断結果は『癒着』によるもの。採血等はやらなくて済んだわ。
下剤を処方されて様子見となった。
そして今日はその後2回目の受診だった。
すっかり痛みはなくなったので、受診は終了
(大腸内視鏡をやろうと言われたが、外科では術後2年目にしようと言われたから秋にと逃げてきたわよ)


次に増えた受診科は代謝・内分泌科
これは以前から言われていた高脂血症。コレステロールが高い位置で横ばい
3月1日に甲状腺のフォロー受診の際に、「そろそろ受診しようか~」と念を押され、やっとこ3月9日に行ったというわけで
今は<クレストール>を内服中。
22日には2週間後ということで採血と頚動脈のエコー(動脈硬化の状態の確認)をやってきたわ。
これらの結果は4月だけど。。。


そして耳鼻科 ← あまり病院行くの恥ずかしいから町医者にしたわ
3月中旬に母と叔母と、叔母のお見舞いに行った帰りのこと。耳の中でボワーンと閉塞感が始まり、これが続いたため受診してみたの。
以前から耳鳴りは時々あったけど、それとは違う感覚だったから。
診察と聴力検査の結果、『突発性難聴』だって。
年齢のせいで高音は多少聴力が低下しているのは問題なし。しかし低音が悪いらしい。
自覚的には聞こえが悪いということはないんだけど・・・
ステロイド内服という話がでるが、それはお断りして、違う薬2種を出してもらった。
一回飲んだだけで閉塞感は治ったが聴力は改善されず。時々キーンとボーンと耳鳴りはあり。
1種<イソバイドシロップ>だけは終了して今では<アデホス>というのを飲んでいる。

以前グルングルンの眩暈があったことがある。これはもしかしたらメニエールだったかもと言われたわ。
フワフワのことも聞いてみたが、耳鼻科的にはそれはないとのこと。
一年前くらい前からある耳の中でのブンブンブンというのも聞いてみたが、首をかしげていた。不明。


まいったね~ いろいろと


婦人科のホルモン剤はやめていく方向にしようということになり、<プレマリン>から<エストリール>に変更になった。

甲状腺は・・・
転移・再発ということではないが、予防的にアイソトープ治療をすることに。。。
放射線(内部照射)だね~
これはかかっている病院でできるようになったのでGOとなったというわけ。
しかも通院でできるようになったらしい。でも前準備が大変なんだよな~
時間がとれる夏にする予定。


短い数ヶ月で健康に関するたくさんの変化があり、少しまた病人に戻りそうで怖い。。。


肩凝り、頭痛もあるし~
また、健康についてのボヤキが始まりそうだわ


満開だった桜だが、昼くらいから風が出てきて花びらの嵐だよ~
今日、美容院の週刊誌で読んだんだけど~
散ってくる花びらを7枚集めて押し花にしお財布に入れておくとお金が溜まるらしいよ
落ちた花びらはパワーが落ちるからダメ

しっかし・・・ なかなか散ってくる花びらは取れないよ~
 一人でキャーキャーいって手を伸ばしている一人のオバサンでした

近所の桜たち 携帯写真で
   

   

   



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金沢一泊旅行

2013年03月26日 21時11分08秒 | 日記
土日に金沢に行ってきた
3回目の金沢。春は初めてだわ。

お誕生日には毎年お祝いを贈ってくれる先輩。
お礼の電話で近況を話したことから始まった金沢行きだった。
哀しんでいる私を気遣ってのことだった。

一人では心細いので・・・ 
いつも一緒に行く友達を誘ったら二つ返事で了解してくれたわ。

みんな優しいな~

お二人の仕事の都合もあるので一泊二日となったが・・・
とっても充実した時間だった。

土曜日はまずお寿司で腹ごしらえしてトンボ玉づくりの体験。
初心者はマーブルが妥当ということで・・・
こんなの出来上がりました~
   
欲張りだから大きくしちゃった
出来栄えはともかく・・・ 私だけのトンボ玉 世界に一つだよ~

午後からは兼六園に行った。
桜はまだまだ。梅がきれいだったわ
   

   

   

石灯篭の前は記念撮影の人でいっぱい。
当然私たちも撮ったわよ~

夜は隠れ家的お店で日本料理をいただきましたぁ
前菜 吸物 作里 煮物 焼物 揚物 酢物 飯物 香物 留椀 果物
   

       

   
お腹いっぱい 美味しかった~

その後はお宅にお邪魔して女子会
いくつになっても女子なんだわ

宿泊したホテルには天然温泉つき。先輩は泊まってと言ってくれたが・・・大変だからホテルにしたの。
またまた欲出して2度も入っちゃった



日曜は近江町市場やら町を散策して・・・
昼は特選海鮮丼 やっぱ生もの美味しいわ
今回は茶屋街には行きませんでした。
   昔の銀行

   

         

金箔工芸の体験をして~
センスないけど・・・  私のはどれでしょう。。。
これも世界に一つだけ
   




今週は復職準備しなきゃと思いつつ・・・
なんだか疲れて~
チョッとずつしかできないゃ


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またお花見

2013年03月21日 21時46分25秒 | 日記
いいお天気だったので・・・

またまたお花見に出かけましたぁ
ソメイヨシノはまだ満開じゃなかったけど~
  
     

  

     

  

     

   

     
    
  



去年は・・・
「近くの散歩でいいよ」と言っていたゴッドだったが・・・
有無を言わせずタクシーで行ったっけ・・・


明日は受診&検査だ・・・


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早めのお花見

2013年03月20日 22時03分19秒 | 日記
今日はお散歩がてらお花見にいきましたぁ~
陽気がいいので毎日出歩いています

遊んでばかりではなく、お彼岸の入りにはお墓参りに行きましたよ。
モモの合同彼岸供養にも行きました。


まだソメイヨシノは五分咲きといったところ。
   

     
 だんだん雲が出てきて・・・


オマケ
     

      
   
   

明日はどこに行こうかな・・・


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水族館へ

2013年03月19日 20時42分01秒 | 日記
いい年のおばさんが・・・
しかも いい年のおばあさんと・・・

水族館に行ってきましたぁ~♪
          写真 一杯ですぅ
   

   

   

   

ショーが始まる前、2頭のイルカは元気にスーイスイと泳ぎ回っていました。
水槽の前でずっとイルカちゃんが来ないかなと待っていたら・・・

一頭が近くに寄ってきて、かなりの長い時間遊んでくれました!!
動かずじっと私を見るように!!!
時折口を開けて、まるで何かをしゃべっているかのようでしたよ~
他の人が水槽に近寄ってもイルカは泳ぎ続けストップすることはありませんでした。
     この子

     

ショーが始まりました!
     
     上手な挨拶でした

     
     バックバック

     ジャーンプ

   

     
         


だるくて、時々クラ~ンとして相変わらず調子が悪いのですが・・・
 (季節の変わり目は特に調子ワリッ) 
 ↑ 一段落した頃からなんだかね。。。 
   受診科と薬が増えた現在です。。。

でも 思い切って出かけてみるといいことがあるんですね~

今日もアニマルセラピーを受けた気分です



病床のゴッドに「どこか行きたい所はない?」と聞いたら、水族館と言っていたことがあったな~

旅先では結構その地の水族館に行ったものね・・・
今日は一緒に行ったんだよね・・・


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少し前に進んでます

2013年03月16日 17時20分10秒 | 日記
日向はポカポカ 春本番ですね~
今日、桜(ソメイヨシノ)の開花宣言がありました~
近所の大島桜も少し開花しています。


まだまだ気持ちは沈む毎日で、一人だと泣いてばかりですが・・・
少しずつ日記を書いてみようかなと思って。

12日に梅を見に行きました。
何年か前に主人と行った梅園です。私の肩につかまり歩行できるような時。 
思い出の場所になってしまいました・・・
時期的にはやや遅かった。。。

   

      


13日はお友達の招待を受け、とてもステキな時間を過ごすことができました。
お宅にお邪魔してアニマルセラピー♪
ワンニャンたちの情熱的な歓迎には感激でした。

そして美味しいピッツァとパスタ♪
海を見ながらの楽しいおしゃべりは、何事もなかったよう昔に時間が巻き戻ったようでした。

河津桜も見に連れて行ってくれました。
菜の花とのコントラストもきれいだった~

   
   
   

   

   

   

   

なにより嬉しかったのは・・・
お友達の温かい気持ちです。
母よりも叔母たちよりも・・・ 友達の優しさがとても嬉しいです。
一人じゃないって 思った。


このたびはメールや電話で皆さんに心配していただいて・・・
また 温かく見守っていただいて・・・

心から感謝です。


ここ数ヶ月の気持ちの変化や体調の変化など書き残しておきたいのですが・・・
今日ここまで書くのに精一杯。
おいおい 残していくことにしましょう。

食欲はあるし睡眠はとれているし・・・
心は空虚だけど・・・

私は 
一日一日と前に進んでいますm(__)m



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四十九日

2013年03月01日 16時46分00秒 | 愛する人
早いのか・・・遅いのか・・・
今日は主人の四十九日です。

皆様からのご厚意 心より感謝し御礼申し上げます。

すでに法要は24日に執り行い、納骨もしました。
仏様になり、今は仏壇の中です。。。 


もう
ナースコール代わりの鈴が鳴り響くことはなく
点滴や痛み止めの薬を心配することもなく
清拭もトイレ介助も口腔ケアも内服介助もなく
病院に通うこともなく
なにもなく・・・

一気に生きがいがなくなって心にぽっかりと穴が開いてしまったようです


レンタルで使っていた福祉用具もすべて引き取ってもらうと本当にいなくなっちゃったんだ・・・必要ないんだ・・・としみじみ感じます
今では購入した取っ手が付いたお茶碗類、バスチェアが残っているだけ

衣類の整理をしては泣き・・・
写真の整理をしては泣き・・・
主人の日記(2007年・2008年の)を読んでは泣き・・・
自分で書いた看護日誌を見ては泣き・・・

何もしていなくても突然涙が出てきたりして・・・

寂しいものですね
今までいた人がいないって

おつかいから帰ってきて「ただいま~」と言ってもシーンと静まった部屋の中


復職までにはまだ1ヶ月
ただただボッーとしているんだろうな~