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「ROLLING STONE ブライアン・ジョーンズの生と死」と「ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ」

2024-02-22 22:51:00 | 日記

たまたま時間的に都合がつき、音楽映画2本梯子しました。

1本目、ボブ・マリーのジャマイカでのラスト・ライブとインタヴューなどの映像。どうやら来月ジミー・クリフのライブ映画もやるみたい。

僕はボブ・マリーって1986年位にスライダーズの村越”ハリー”弘明さんが東海ラジオの深夜番組でDJしてた時に”Harder they come"をジミークリフでなくて、ボブ・マリーとウェイラーズの演奏でかけてたのが最初の出会いかもしれない。ラジオの放送等でそれからたまに耳にした感じ。サウンド・ストリートとか。

さて、ボブ・マリーのライブ映画。ドイツ人とベルリンの配給会社がクレジット観てたら作ったみたいだった。

ライブ盤聞いた方がいいかもしれないし、ライブ音源映像としてはなかなかいいな。ガンジャ(大麻)を育ててるとか吸いながら歌ってる。反抗・反骨などの旗手として描かれてる所もある気はするが、自分は時代の仇花とか産物としてみてた。ギターを書き流しながらという勝手なイメージがあったが、どっちかっていうとショーン・ライダーとハッピー・マンデイズの原型は個々辺りかもしれないという感じはした。何故死んだかが気になるが、今はまだ調べてはいない。前に読んだ気もするが忘れている。37歳で死んだというのは覚えていた。どっちかっていうと、ジミー・クリフさんの方がまだ存命で、映画にHarder they comeの主演をしているので、音楽業界や政治的権力の不当支配と戦った印象が強くある。これはあの曲の詩の通り、ジミー・クリフの方が生き延び、「(全てを奪い取る事は出来ない、)自分は自分の取り分を掴み取る」的な実践が長く生きて音楽活動してと乗ったからだと思う。コーラス・シンガーの女性群やイベントで用意された観客のバック・ダンサー的ダンスなどもあって、自然体且野性的なボブ・マリーの歌唱やステージでの立ち居振る舞い、ジャマイカの音楽産業の雰囲気の生の息吹が感じられて、なかなか心地よかった。これは因みに1979年のライブで、彼が死ぬ前年位らしい。映画の中で字幕説明が出ていた。

ただ、ボブ・マリーを神格化してみる気にはなれない。いい例えではないとは思うが、その5年後、尾崎豊が彗星のごとくでてきて、すぐに覚せい剤等で逮捕され、その後5年位でおかしくなって不審死を遂げている。25歳前後と37歳では後者の方が長く生きた分、より人生を楽しんだ感じはあるが、ジミー・クリフならもう75歳は越えている気がする。若くして美しく死ぬだけではない生き延びる強さがジミー・クリフの方が彼らよりあると思うのだ。

細かい事はライブのパフォーマンスや音源を映像とともに聞けば説明は深く要らないと思うので、ここでは触れない。が、面白く思ったのは彼が来てたつなぎみたいなのが、背中に一番といれられてたりして面白かった。大麻については別にだね。炭鉱労働者がきつい肉体労働を続ける為にも使われたと言われてた気がするが、そういうのが時代的慣行であり、現実の社会の一面で、文化ともいえなくはない気はする。

若くして夭逝してしまったボブ・マリーの映像をみて、ジャマイカや野生といったものを思い出したが、同時に彼の死を悼む様な感じもあり、今の時代の雰囲気から行くと少々寂しい感じも個人的にはした。

映画は新宿のシネマカリテ山で見た。

たまたま時間があったので、その足で100m位離れたK's Cinemaさんで「ローリング・ストーン ブライアン・ジョーンズの生と死」をみた。17時25分位にシネマカリテを出て、17時半にはK's Cinemaの席で上映開始でした。

この映画で指摘されてるブライアン・ジョーンズはストーンズやブリッティッシュ・ロックやポップスをよく聞いてる人には言うまでもないことかもしれない。

自分は1970年生まれで、高校に入る頃、地方局が深夜番組でストーンズのスティル・ライフなどを放送したり、ストーンズがロン・ウッドをメンバーチェンジで入れて、新機軸を何とか商業ベースに乗せようとしていた時で、ビートルズやストーンズのリバイバル的なプロモーションがあった時代だ。背景にはヴィデオやCDなどがニューメディアとして登場してきて、コンテンツとしてワールド・ワイドに売ろうという時代であった感じ。MTVなどが世界中で流されたたし。

流行ってはおり、偉大だと言われるが当時の最新のJPOPやJROCKの方が勿論若者にはビビッドに響く。そういうものだ。ストーンズも薬物問題から抜け出して、歳をとっても元気にロックだみたいな売られ方をしていたと思う。少数の人がブライアン・ジョーンズの事を言う人もいたけど、深く突っ込む人はいなかった。自分が生まれる前の年位に死んでいる。はっきりこの映画位真相を言うなら言えばいいのにっていう。映画を観終わった後、ロックも体制側の支配の道具にしかなってないのかもなと思ってしまった。

映画について言えば、ブライアン・ジョーンズの人となりを追い、なぜ死んだか。そして、それはどういう扱われ方をだれにされたかという面を深く追求し、彼を殺して真相を隠している者達を糾弾しているような感じの映画だった。

27歳でブライアンは死んでいるので、本当に可哀そうだ。エリック・クランプトンは辛くておかしくなりながらも生き延びて自分らしさや生きる意味を取り戻した。勿論、離婚や子供を事故で失くすという様な辛い事を乗り越えてだ。

ブライアンの方が中流家庭で馬力が利かなかったのかもしれない。

ブライアンやボブ・マリーはジミー・クリフやエリック・クランプトンの様にはそうできなかった。ただ、神格化手放しで彼らをしたいとはだから思えない。自己管理も出来ないような所があり、年相応の若者だったという面だって否めないからだ。

マイケル・ジャクソンも本当に今たまたま思い出したが可哀そうな気がする。

ストーンズで今も現役で活動を続けているキースやミックはどうだろう?ブライアンについて、彼らは彼の死後、この30年位全然触れる事などない。そういう所がいまいちストーンズが好きになれない理由なのかもしれない。ジャニーズのジャニー喜多川がショー・マスト・ゴー・オンと言ってたらしいが、彼らもそうだったからだろう。ピンハネされて破産寸前だったのかもしれない。

その様にタブロイドやマスコミ、音楽業界がしていたのかもしれない。

簡単に言えば、この映画は国家側が彼を都合よく統治する為、警察権力を使って、薬物事件をでっちあげ、彼をおかしくして追い込み、彼が殺された事まで飲酒と薬物による事故死として処理してしまった事を暴いているドキュメント映画だった。そして、当時彼の近くにいた者がユダの様に裏切って、彼を殺した的な話でした。この映画とは別に2006年前後に別に映画化されているみたい。いつかそっちの方も観てみたい気はする。が、あまりに悲しい話。

ブライアン・ジョーンズの事はなんとなくわかる。最初のデヴューの頃は優等生路線で、スーツやジャケットを着て、こぎれいな格好で出て来ていたが、段々おかしくなっていったというか不良路線として、忌み嫌われるようになった。音楽を演奏する事にはたけていたけど、わかりやすく売れる物を作る方にはなく、寧ろヒール役として定着してしまった。

彼の婚外子の娘や当時彼と仲が良かった関係者の一部が彼の死を事件として扱った現地の警察当局に対して再捜査を要望しているという事をこの映画はラストで述べていた。

本当かどうかはわからない。ただ、ある程度、客観的に矛盾している死亡解剖と事件当時の周囲の証言などから行くと、さもありなんといった印象は否めない。天気同様、お寒い話だった。

エンディングで流れる歌の死にはジム・モリスンやカート・コバーン、イアン・カーティスなども歌われていて、謎の死は如何に作られたか。今後見直され、真実が明らかになり、人々の認識も新たに築かれ直されるのかもしれない。だが、恐らくは多くの人はそれを看過したまま、真実は闇に葬り去られるという既定路線の現実は厳然と今後も続く予感がした。

DATE 22th FEB 2024



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