ゴンタの独り言

思いつくままに一言

永久の平和へ願いを込めて

2011年03月06日 | Weblog
 昭和20年(1945)第二次世界大戦の終結に伴い、当時海外に残された日本人は660万人以上ともいわれ、これらの人々を速やかに帰国させなければならなくなりました。これを“引き揚げ”といいます。
 舞鶴港は、政府が指定した引揚港の一つとして、昭和20年10月7日引き揚げ第一船の入港から、昭和33年(1958)9月7日の最終船まで、実に13年間の長きにわたり、その使命を果たしました。昭和25年以降は唯一の引揚港として、「引き揚げのまち・舞鶴」の名を全国に広めました。
 舞鶴引揚記念館は、昭和63(1988)年4月に開館し、年々遠ざかりつつある戦争や「引き揚げ」の史実を語り継ぎ「平和の尊さ、平和の祈り」のメッセージを発信し続けています。

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1 コメント

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参考になりましたか (タカチャン)
2011-03-08 20:21:31
当時(昭和19年頃)、大分にあったのは歩兵47聯隊だそうです。
まず間違いないと思います、場所も特定出来ますし、記念碑もあります。
現地に行ってみることをお勧めします。
観光地も沢山あります。
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