赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木蔭に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも
ご存知舟木一夫のデビュー・シングル「高校三年生」。1963年(昭和38年)6月にリリースされ、いきなりシングル発売1年で売上100万枚を超す大ヒット曲となった。累計売上は230万枚で、その年の第5回日本レコード大賞・新人賞を受賞した。
昨日、郷里浜松で高校の同級生親友と3人で会食した。高校を卒業したのは昭和38年3月、まさにこの「高校三年生」大ヒットの年だった。話題は高校三年生に遡ることなど2時間余り、浜名湖の刺身や浜松餃子などをつまみに、生ビール2杯と地酒の冷酒を飲み干す。
今回は中学でも同級生だったS君も同席、久しぶりの再会で時間を忘れるほど昔話に夢中になった。彼は十数年前に奥さんを病で亡くし、同じ経験のある私に再婚話の相談があったが、奥さんの死後数年しか経っていないことと、子どもが娘二人だったこともあり(長女家族は隣接して同居)、「まだ早いかも」と言ってしまったことが気になっていた。当時の私の発言を聞いたいまのカミサンから無責任ねと叱られた記憶がある。
S君は今も独り身を貫いている。私のひと言が影響しているのではと敢えて尋ねると、その時の自分の判断で再婚しなかったわけで、気にしてないよと言ってくれた。彼はこの話をする前に、私も知っている中学の同級生Sさんが今年初めに病気で亡くなったと私に話してくれた。当時の相談相手の女性がSさんだったのではと直感した。
私が再婚したのは妻の死後20年経った47歳のときで、75歳となった我々の年代では再婚も難しい。彼に対する私のひと言が、彼の人生を変えたかもしれないと思うとすまない気持ちでいっぱいになる。
彼は社交ダンスが趣味で、毎月1回ダンスパーティに行っているという。ここで知り合ったパートナーとダンスを通して付き合いもあるらしく正直ホッとした。ちなみにダンスパーティのバンドが「楽団ジェリーメン」で、昭和40年に高校吹奏楽部のOB中心に結成したこと、当時私がマネージャー兼トロンボーンを吹いていたことも話題になった。
75歳となったいま、57年も前の高校時代を懐かしみ、これからの再会が楽しみになった。
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