怖かったぁ!!
壊滅状態の東北太平洋沿岸。世界最大級の巨大地震の爪痕が明らかになるにつれ、死者、行方不明者の数も増加の一途。被災者の皆さんの不安と焦燥は想像を絶する。心からお見舞い申し上げます。我が家は今夜も普段通りの晩御飯を食べられて、被災者の皆さんに申し訳ない気持ちになる。同じ日本人として、何らかの支援をしていきたいと思う。
地震発生当時、私は横浜スタジアム前の家庭裁判所3階で、家事調停の真っ最中だった。最初はいつもの地震かとタカをくくっていたが、揺れが大きくなってきてすぐに中断、全員が駐車場に避難した。そこから見える横浜スタジアムの照明塔は、大きく揺れ動いていた。あとで知ったが、私がいた横浜市中区は神奈川県最大の震度5強で、横浜スタジアムの向こう側のビルの壁が落下していくテレビ映像を見てゾッとした。
交通機関は全線ストップ、JRは比較的早く全面運休を発表していたが、利用している横浜市営地下鉄は、いつまでたってもはっきりせず、しばらく地下鉄ホームで休んでいたものの、もし中止の場合は改札より外へ出なくてはならないということで、帰宅難民に開放された関内ホールで夜を明かすことに決め込んだ。それまで公衆電話を利用して息子たちの家族や、郷里の親戚にも電話をかけたりした。
深夜になって地下鉄が運転再開と知るや、関内駅に駆け付けて帰宅が叶った。自宅に着いた時は、午前1時半だった。前日からの腰痛をおして調停の仕事に出かけたこともあり、自宅まで歩いて帰る体力はないと判断、無理をしなかったのがよかった。
一方、カミサンも大和市で仕事中だった。明るいうちに近所の奥さんに電話して、我が家の塀や建物外観を見てもらったら、異状もなくとりあえずホッとした。携帯は全く使えず、関内駅近くの公衆電話でカミサンの勤務先に電話をかけ、しばらくは電車の運行状況をみて、最悪の場合は歩いて帰宅するよう連絡しておいた。自宅にはハチだけが怖い思いをしているだろうと気が気でなかったが、小田急も相鉄も運休で、途中近所の奥さんに車で迎えにきてもらったものの、自宅まで結局2時間ほどかかったようだ。カミサンが家に着いたのは午後11時、ハチはオシッコもせずに待っていたようで、カミサンに飛びかかって甘えたようである。人の命が一番大切ではあるが、今度の大震災でも多数の犬猫が亡くなっただろうと思うと、ハチは幸せ者かもしれない。
家の中は、仏壇の中が一部散乱していたが、他は本棚などの上に乗っかっている軽いものが、床に少し落ちている程度で済んでホッとした。とにかく連日テレビにくぎ付けで原発の状況も気がかりであるが、これ以上の災害拡大にならないよう天に祈るばかりである。
明日から電気の計画停電が始まる。個人としても当然協力すべきことである。今日の午後、近所のスーパーに買い出しに行ったら、米、パンは全くなく、明日の仕入れもわからないという。もともと水と食料は備蓄していたが、もう少し買い増しておこうと大手のイトーヨーカドーに出かけた。途中車の少なさに意外な感じを持ったが、今頃買い出しに出かける人はもういないのかもしれない。とにかく、食品売り場はパニックに近い状況である。ガソリンスタンドも閉鎖中だった。昨日のうちに満タンにしておいてよかった。
今後3日以内に、マグニチュード7以上の余震発生率は70%と報道されている。もしもに備え、外の物置に置いている寝袋、テント、ボンベ、水タンクなどに、飲料水、米、食料、紙器などを追加しておいた。
不況のいま、さらなる経済状況の悪化も懸念されるが、一日も早く地震が収まり、被災者の皆さんの再起と災害地の復興を祈るばかりである。
今後もまだまだ油断できませんので気をつけて下さいね。
ご心配いたただきありがとうございます。
被災者のことを思うと、毎日三食食べていることに抵抗感さえ感じます。
どんな不便、不自由があっても、我慢しなくてはと思います。
原発の行方が気になりますが、これ以上悪くならないよう祈るばかりです。