ハチの家文学館

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秋の京都

2019年11月18日 13時01分55秒 | ハチパパのひとり言

                   京都 神護寺

「京都行こう」とは、JRの有名なキャッチフレーズだが、何と言っても秋の京都は紅葉が美しく大好きである。初めての京都は中学の修学旅行で、写真は卒業アルバムのモノクロ写真でしかない。そして三十三間堂の千一体の千手観音との出会いが、私の仏像との最初の由縁となっている。

昭和43年11月に23歳で結婚したときも、新婚旅行の最後は京都で紅葉の美しい季節だった。特に三千院の庭園の景色は目を見張るものがあった。以来、秋の京都を中心にしてカメラ片手に何度も行っている。

京都のことは幾度かブログに書いているが、12年前カミサンとハチと一緒に行った時のことが忘れられない。その時の文章をもう一度読み返す。 

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第一の目的地、嵯峨野の愛宕念仏寺へ直行。ここには3年前亡くなった前住職であり、日本の仏師としての第一人者西村公朝さんの眠るお寺である。全国の一般人に彫ってもらった一千体以上の五百羅漢でも有名で、私がこの寺に来たのはもう十年前になる。西村公朝さんが存命中に一度お会いしたいと思っていたが、今回はお墓参りがしたくて訪れた。

公朝さんのお墓は本堂の裏手にひっそりと建てられていて、人目にはまったくつかない場所であった。公朝さんの人柄からかもしれないと思った。
とにかく、私が仏像に関心を持つようになったとき、公朝さんの本を片っ端から読み漁ったものである。今でも文庫本は繰り返し読んでいる。

特に「ふれ愛観音」を彫る動機の話が印象的で忘れられない。某デパートでの仏像販売会でのこと、二十代後半と思しき眼のきれいな娘さんが、仏師の彫られた仏像を触りながら「この仏さん泣いている」と呟いた。仏師はハッとして、この娘さんはあんなに目がきれいなのに盲目であったこと、仏像に触れただけで泣いているとわかったことが、仏師のその仏像への思い入れと重なって驚愕したのである。

今までは眼の見える人しか考えず仏像を彫ってきたことを反省し、盲人にも触れてもらえる「ふれ愛観音」を作り始めたのである。清水寺の本堂にも置かれているのを思い出した。

仏師の本は、文章が平易で読みやすく、仏像写真家を目指す私のバイブルである。
感謝の意をこめて、たまたま置かれていた塔婆に私の名前を書かせていただいてお布施した。長い間胸につかえていたような気持ちがホッとした気分になった。

京都でもハチは出会いの場をいっぱいつくってくれた。ハチありがとう。
久し振りに三十三間堂を訪ねる。ここの千一体の観音さんのうち約600体の修復を行ったのも公朝さんである。観音さん一人ひとりのお顔が公朝さんありがとうと言っているように思えた。最前列真ん中よりやや右手におふくろの顔そっくりの像があった。「魔和羅女像」である。カミサンと一瞬顔を見合わせて「似てる!」と叫んだ。

今回の旅では、三十三間堂と知恩院のライトアップがもっとも印象に残った。京都は素晴らしい。仏像写真は殆ど撮影禁止であるが、わが身の二眼レフで心のフィルムにたっぷり焼き付けた。

ハチの家写真館京都旅ご参照http://hachinoie.exblog.jp/m2007-11-01/ ←クリック


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