今日はベランダの鉢を植え替えしたりとか、のんびり過ごすことができたと思う
体調が余程悪くなければ、じっとしているよりも、のんびり活動をする方が、思いを少し前に向けるのに役立つと思う
精神の病や精神的に強く無い傾向のある人において、うまく休むことはどうしても必須で、横になることも含め、ローギア運転で自分を安定させるのは、その後のQOLに結構影響があると思っている
ただ…
その後どうするのか
…やはり前に進まなければいけない
より良く生きるために… 乗り越えるべき課題や問題のために…
でもそういう…
前に進むためのエネルギーって何を根拠にどうやって出てくるんだろう。
軽躁状態とかだったら自らのエネルギーも強くなるんだろうけど…
今、親元に暮らしてるので孤独という問題は少なめなんだけれども、それでもうちの家族は、とても前に進むエネルギー源にはならない…
悪い人では無いし、どちらかと言えば良い人なのだけれども、やっぱり他人であるし、時代も価値観、性格もかなり違う。分かり合えないことは多い。弱点は当然お互い様だけれども、いずれにしても精神的に支え合うという感じにはなりそうも無いんだよなぁ…
いろんな親子関係があるとは思うのだけれども、大抵の親子は価値観も目標も合わない問題を抱えてるケースが多いように思える。そういう意味では、家族とはなんなのだろうと考えさせられるきっかけになっているけどね…
1人の人間としてそれぞれ違う者が1つの屋根に暮らす。これは親子じゃなくても夫婦においても同じなんだけれども、ただ親子の場合は、好んで組み合わさった仲では無いし、親の特別な感情と相まって、特に成人後の親子関係は、ちょっとまた違うレベルで影響し合ってしまうんだろうなと思った。
まぁ…いろんな要因や個人差もあるから、いろんな家族があるとは思うけどね…
結局は親も子も各自 自分の人生を歩んでるに過ぎず…、同じ所にいてもやはり別の人生なのだ…と、どこか自分への戒めとしても書いてみたくなる。
でも、お互いの人生にどの程度まで干渉するかは、人間関係全てに言えるか…
さて…
精神的に前へ進むためのエネルギーはどうやって得るのか…
さっき、私の家族は精神的に支えある感じにはならないと書いてはみたんだけれども、そもそも支え合う関係を獲得できる確率って、どんなもんなんだろう。
と言うか、前に進むのに支え合う関係は必須なんだろうか…
親子であれ、夫婦であれ、友達などその他で何あれ、支え合える関係になることもあれば、そうならないこともある。最初はそうでも途中から変わる事すらありうる。
と言うことは、支え合いが獲得もしくは期待できる確率って思う以上に不確実なのかもしれない。
もう少し踏み込んでしまうと、支えることが可能な、もしくは支えて欲しい、範囲やレベルも人それぞれだろうから、やはり互いが自立できてればできてるほど、余分な支え合いが平均的に少なくなり、より高度なところで支え合うことが出来るんだろうと思うのだけれども、需要供給的な話とも絡み…そんな関係が持てる可能性って親友が生涯1人できる可能性の論理とどこか似てくると言うか…
3周回遅れの人生歩んでる私にとっては、高度な人間関係とか未知の世界だけどね…
正直言うとTwitter見てると度々不安になってきちゃうんだよね…
成人で親元、無職(職歴0)、パートナーもリア友も特に無しって言う人が…ほとんどいないし、みんな大変だと言いつつも物事に立ち向かえてる…
そういうの見てると、私の人生はどうなるんかなぁって思わないわけがない…
最悪のケースはいっぱいネット上のルポになってるけど…それは前向きの原動力になるか怪しくどうでも良い…
ひとまず、前へ進むエネルギーは 基本は自ら…と言う結論になるのだな………
自分軸の話にも通じるところがあると思うので、少しずつ何か模索してやっていかないとね…
さすがに眠い…