あの人は〇〇だから、あれが分からないとか、これが分からないとか言う話を聞くことがあるんだけれども…
人それぞれ得意分野や不得意分野があるので、理由は何であれ、分かることへの差が出てくる場面も多いかと思う。
ただ、本人が分かりたいと思っているのに、その道が閉ざされてしまうと…かわいそうだな…と思うことがあるな…
例えば目の不自由な方を例に取ってみると、彼ら彼女らは形を目で見ることができないので、形の概念を健常者レベルで培えるかと言うとそれは確かに難しいかもしれない。でも、形の概念が全く培えないかと言えばそんなことはなく、手や誰かのサポートを通してその人なりにある程度は学んでいけるし、そういうものらしい…。それによってその人の世界は大きく広がっていくから、とても必要なことだと思う…。
ヘレンケラーの話を思い出したんだけれども、問題なのは経験させるのが大変だからと言って、学ぶ機会が与えられないことなのかなぁと思う。彼女は献身的で厳しいサリバン先生によって辛い経験もあったとは思うんだけれども、それ以上に得た良い経験の方が大きかっただろうなと…。
後年、1歳半のまでの学習である有名なセリフ「water」と結びついたのは奇跡だったかもしれないけど、それは、サリバン先生のサポートによる経験無しには達成し得なかったと思うし、それによって彼女自身が大きく成長して行ったのは言うまでもないのかな…
なので、過去になんだかの理由で培えなかったものがあったりしても、後付けで上手く補給することは理論上は可能なはず…と私は思ってます。。。笑
レベルを求めると言うよりは、その人なりに理解できるようサポートされるなどして頑張る、みたいな。
最近は生涯学習みたいなことも言われるので、若い頃のように…とまではいかないまでも、自分自身の成長には常に希望があるような感じですよね…。
これはたぶん、自分自身の事のみならず、お互いの理解にも言えて、人種に限らず、特性の違い、性別の違い、信条の違い、その家庭ごとの違い、その他生い立ちや環境の違い…
多かれ少なかれ、それぞれ違ってしまう理由はたくさんあるので、それそのものは仕方ないのですが、そんな中で無理のない範囲で各自 自由に関係性を調整しながら世界が回ってるので…
もし…
それより進んで相手を理解しようとした場合には、どうしてもその違いから相手を完全に理解することはできなくても、その人なりに理解することはできるのかなと思う。
ここで私が思うのは、知りたいと言う人を遠ざけない文化文明と言うのかな…
この世界、知りたいことに対する回答って、結構乱雑に散らばっていて、本当に知りたい深い情報に行き着くのかすごく怪しいというか…。変にタブー化されてしまうこともありますしね。
もちろん… どのように? と言うのが問題になる…
その人その人に応じた理解できる方法が必要なことも多いので…
知恵の輪のように、闇雲に動かしても解けないのと同じように、どうしても一手間二手間工夫が必要になのが大変なのかもしれないよね
サリバン先生のような精神や技術は、ある程度共有継承されてるとは思うんだけれども、あれだって完全に世の中に知れ渡ってるのかどうか…というか、できる人も少ないのだとは思うのだけれども…汗
さて…何が言いたいのかバラバラになりそうなので…汗
少し違う例で…
この文明…
ハイテク産業は発展して、先月、国産スーパーコンピューターも41京5000兆回の計算ができる(あくまで指標ですが)ようになり、18年前の国産スーパーコンピューターの35兆8600億回から1万倍以上も性能が向上したわけですが…
これは、何かすごい技術ふつふつと湧いてきてるわけでは無くて、それまでの実績の積み重ねがあったからなわけですよね…
つまり技術やノウハウが継承されてきてるのが大事なんですね…
話を戻します…
これだけ長い間、人類は生きてきたのに、人々がより平等に幸せになる技術やノウハウ、真髄的なものって、なんでなかなか共有継承されないんでしょうね…。
と思ったのでした。笑
そう言えば連休だ…笑 ٩(ˊᗜˋ*)و✧*。