太極拳経の教え(合気道や柔道も同じ思想)
相手が力強く己が小力の場合は、逆らわずに流すこと、これを走という
お風呂で実験、
波が壁に衝突すると波は盛り上がる
風呂桶等の曲線で波を受けると波を横に逃がす
津波の動画を見ると防波堤に衝突すると上にシブキも上がっている
overhangさせる 壁面の傾斜が頭上に庇状に覆い被さっている形状にするとよいのではと思う または下記のように
「押さえる」よりも「逃がす」思想
<千年に一度の大震災>に言葉が詰まった Papageno は、
『文藝春秋』六月号所収の塩野七生氏による連載コラム
“日本人へ”:「ぶつかるよりも、逃がしてはいかが」と
題された、千年単位の視点からの提言を読み直しました。
この考えは単に塩野氏の思い付きではなく、構造設計の
専門家と食事をしたときの雑談に由来しているそうです。
たとえば、「大津波対策」に関して、本文を引用すると:
<スーパー堤防を延々と築くよりも、津波が押し寄せて
<きたときには、それにお通りいただく運河を通す。
<もちろんその運河は、普段は自動車道として活用する。
<(運河で不足ならば)津波を通す池を造る。もちろん
<この池も、普段は一段低いところにある野球場として
<使えるのだ。・・・津波に立ち向かうのではなく、波を
<逃がす町造りに変えてはどうか。 と、いうものです。
この背景には、歴史で千年の繁栄を実現した二つの事例、
①ローマ市のアーチを多用した崩壊しにくい設計思想と、
②ヴェネツィアの<高い堤防>よりも運河を取り込んだ
治水思想に学ぼうとする
参照
http://ameblo.jp/e-ryokan/entry-10890507949.html
http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g201.html#r201
宇宙の根源を太極という。 太極はもともと無で、動静のきっかけ、陰陽の母である。 ひとたび動けば千変万化を生み、静まればもとの無に帰る。 この自然法則に逆らうことなく、太極拳の技は過不足なく、相手の曲に従って伸ばす。 相手が力強く己が小力の場合は、逆らわずに流すこと、これを走という。 己を有利な立場におき、相手を不利な方向や体勢におくことを粘という。 相手が速く動けば、自分も速く動き、人がゆっくり動けば、こちらもそれに従う。 千変万化すれども、そのもとの道理は一つである。
型の積み重ねの稽古により、はじめて「勁」がわかり、「勁」を理解することによって太極拳の極意に到達する。しかし、長い稽古を経なければ、この境地に達することはできない。
無念無想で気を丹田に沈め、姿勢を正しくすれば、相手の左右の虚実を察知し、相手の高低の誘い技をも知り、さらに相手の進退をもわかるというふうに、相手の動きに応じた自由自在の変化ができる。ごく軽やかな羽やハエさえも身に触れさせない。 人が己を知らず、己が人を知れば向かうところ敵なしである。
武術の流派も多く、その型(技)も多様だが、おおむね強い者が弱い者をいじめ、技の快い者が技の遅い者を負かすだけのことである。 力ある人が力なき人に勝ち、遅い人が速い人にやられる。 こんなことは自然の能力であって、稽古を積んで得られることではない。 見たまえ、ごく小さな力で重いものをはねのけることができるのは、あきらかに力で勝てるものではない。 また、老人が大勢に勝つことができるのも、老人の技が速いから勝てたのではない。 なんと痛快なことであろうか。
立てば平準の如く。 動けば車輪の如し。 偏き沈めば動きは崩れ、双重であれば動きが滞る。 何年稽古をしても、応用できなければ、ことごとく人にやられてしまう。 これは「双重の病」を悟らないからである。 もしこの病を避けようとするならば、すべからく陰陽を知らなければならない。 粘は走であり、走もまた粘である。 陰陽は不離であり、相済けてはじめて勁を悟る。 勁を心得て太極拳を練れば、ますます理解が深まる。 そして黙々と修練を重ねると、しぜんに妙味を会得することができる。 本来は、心を無にして相手の出方に応じるべきものだが、多くの人は誤って近きをすて、遠きを求めている。 心構えのわずかな差が、修練に千里の隔りをもたらす。 太極拳を学ぶ者は、このことをしっかりわきまえなければならない。
「『太極拳経』解説 楊名時」より
水は低い処をわざとつくり他を守る
津波は大敵下記参照
孫子の兵法より
『それ兵の形は水に象る。
水の形は高きを避けて下きに趨く。
兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。
故に兵に常勢なく、水に常形なし。
よく散に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。』
戦闘態勢は、水のようであるべきだ。
水は高い所を避け、低い所に流れてゆく。
戦闘も、強固な敵を避けて、相手の虚を衝く。
水は地形に応じて流れを変える。
戦闘も、敵に応じて態勢を変えるべきである。
水に定まった形がないように、
戦闘にも定まった手(態勢)は存在しない。
「孫子」の兵法によれば、将たる者(リーダー)はまず第一に戦い方の原理原則(戦略戦術)を頭の中に叩き込んでおかなければならない。つまりは理論研究である。しかし、それは当然のことであって、むしろ肝心なのは臨機応変の運用だという。硬直した頭の持ち主では、戦に勝てないということだ。
したがって、「孫子」の推奨する戦い方は、きわめて柔軟であって、そのことを典型的に示しているのが、『兵の形は水に象る』という言葉である。水はものすごいエネルギーを秘めているが、その形はきわめて柔軟である。戦い方も、そういう水の姿に学べ、というのだ。
『孫子』は、こうも語っている。
「水に一定の形がないように、戦い方にも不変の態勢はありえない。敵の態勢に応じて自在に変化してこそ、勝利をにぎることが出来るのだ。」
その他、ニュースをみて
地震で液状化した場所に津波がくると建物に浮力が働き
かなり丈夫なコンクリート製のビルでも倒されるとのこと。
昔、複合汚染と言うことばがあったが、複合災害も考慮が必要とおもう
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