わたしは大学から福祉を学び、
社会人になってからもずっと高齢者福祉の現場で働いています。
祖母が中学生の頃認知症になり、
母が7年間寝たきりの祖母の介護をしたのを見ていました。
祖母は独身で子どもがなく、
従兄弟の息子である父を養子に迎えた人です。
なのでわたしと祖母の血の繋がりは、
世の中の祖母と言われる立ち位置の方よりも遠いのですが、
生まれた時から一緒に生活していますので、
わたしにとって祖母というのは両親の親ではなくこの人だと強く認識しています。
おばあちゃん子でもあったわたし。
祖母は大正生まれの人で、満州の戦場で看護師をしていたそうです。
子どもの頃、喘息で体が弱いわたしをずっと看病してくれたのも祖母でした。
人に愛情を持って奉仕することは祖母から学んだことが多かったのではないかと思います。
学生時代わたしは理系が得意でしたが、高校でいじめの渦中にあり、数少ない友達が皆文系へ進むことを知って文系を選んだ人間です。
祖母の影響もあり、文系へ進むとすれば進路は福祉一択でした。
この辺りは西の禄存星がわたしをそこへ運んだと思っています。
ADHDを抱えながら2、3年ごとに職場を転々としていましたが、
高齢者福祉の分野から離れることはなく続けているのが現状です。
職を転々とするのはADHDの人にはありがちなことですが、
わたし自身は職場と折り合いがつかなくなり辞めたことはなく、
全て自分の意思で、
他の現場も体験してみたい!と思い職場を変えています。(伴星が龍高星)
わたしの命式は東に支合がある以外、
散法などは他にありません。
この支合に支えられてここまで突き進んできたと感じています。
陽占は土星と金星しかなく剋線のない命式ですが、
道中は衝突と挫折、しがみつくの繰り返しでした。
そんなわたしは28歳の時、
社会福祉士として正社員で働こうと考え、
実家を出て県内の地域包括支援センターに就職しました。
ここで大きな挫折を経験し、戦力外通告を受けます。
ADHDの治療はこの頃開始したのですが、それでも仕事についていけず。
上司から提案されたのは介護職に戻ることでした。
これでは人生逆戻りだと感じましたが、
今の自分にはどうする力もないと思い
会社の采配にお任せしますと答えました。
これが平成29年12月のことです。
この時わたしは29歳と2ヶ月。
つまり30歳になる歳まわりが始まっていました。
30歳は年干支が納音になり、人生の大きなターニングポイントと言われています。
わたしは介護職に戻ることを覚悟していましたが、
急に別の施設で相談員が退職し、
社会福祉士として勤めてみる気はないかとの話が舞い込みました。
社会福祉士として働きたいと思っていたわたしにとって願ってもない話でしたので、
二つ返事で引き受けました。
これが天職に出会ったきっかけです。
人生やりたいことを貫いて生きていれば、30歳までに自分の道は見つかるのだと強く感じた次第です。
30歳を超えてからの道は、
自分を見つめ自分と向き合いながら
やりたいことを深めていく流れなのだと
算命学では言われています。
6巡目で律音を迎える時、命式に活かされながら人生を輝かせていることを目指して生きたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます