しっかり見たことはなかった。
今回、録画してあった開会式を見て、
本当に今更ながら、パラリンピックの意義、
のようなものを感じた。
昔は、障がいというのは、
できるだけ見せないようにするもの
だったと思う。
そういう時代に育った感覚からすると、
今回のパラリンピックの開会式の
主人公の片翼の飛行機、というのは、
話だけ聴いたときには、違和感もあった。
しかし、開会式を見て、
もはやそういう時代では全然なく
障がいも個性として魅せる、
という時代になっているようだ、と感じた。
高齢化になって、多くの人が
何らかの意味での障がいを持つように
なってきているというのも大きいのかもしれない。
もちろん、それはまだお題目の部分も多く、
まだまだ社会的な整備なども十分とはいえず、
障がいが個性だ、と言える時代が実現している
というわけではないだろう。
それでも、そういう方向に向かって、
ずいぶんと進んでいるのだ、
ということが感じられた。
* * *
とはいえ、個人的には、怠けるのも個性だ、
というのはなぜ認められないのだろう?
と思ったりする。
オリンピック、パラリンピックに象徴されるように、
がんばること、立ち向かうこと、は評価されて、
がんばらないこと、怠けること、逃げることは
あまり評価されない。
しかし、羽生さんが、弟子に取るとしたらどんな子?
と聞かれて、「根性がある子供」と答えたと言われているが、
「がんばる能力」もまた才能だし、個性だと思う。
逆に言えば、あきらめが早く、がんばらないのも個性だ。
Diversity と Inclusion。
それぞれがそれぞれのできることをする社会。
それぞれがそれぞれのありのままの姿で評価され、
それぞれのペースで成長できる社会。
それは、初期の純粋な共産主義が
めざしたもの、でもあったはずだ。
逆に言えば、がんばることを評価することは
資本主義的である、とも言える。
パラリンピックの選手の躍動には感動しつつ、
その先の社会の在り方についても
少し考えてしまったりする。
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