日々の寝言~Daily Nonsense~

強者の論理と弱者の論理

朝日新聞に「衆愚の時代」
-「国民のみなさま」が国を滅ぼす
という本の宣伝があった。

まあ確かに衆愚なわけだが、
ではどうすればいいのか?
衆愚の存在自体はすぐには無くならないだろう。

そもそも、強者と弱者が生まれるのは自然の摂理だ。
生まれるときに遺伝子のスロットマシンをやっている
以上、一定の割合で弱者が生まれるのは
避けることはできない。

もちろん、強さ、弱さの方向性はいろいろある。
体力的な強さ、知的な強さ、コミュニケーション力、・・・

それだけあれば、どこかひとつくらいは輝くものがあるだろう、
というのが「世界でたったひとつの花」的な意見だが、
小中高のときのクラスを思い出してみると、
いろいろな意味を考えても、キラキラと輝いていたのは
1割から2割、どんなに多く見積もっても半分くらいで、
あとはどんよりとしていたように思うのは私だけだろうか?

統計的に考えると、
独立な方向性がNあるとすると、
どれかのNについて上位1割の人の割合は、
1 - 0.9^N なので、N=5 で0.4
N=10 でも 0.65 だ。

Nはもっと大きいのではないか?
とも多めるが、1つの方向で上位でも
実際的にはあまり大きな力にはならず、
輝くためには、Nの方向のうち、
相乗効果のあるM個で上位でないとだめだとすると、
実効的なNの値はかなり下がるのではないか?

まあとにかく、ある時代の価値基準において
弱者と強者がいるのは必然だ。
そこで、弱者側の論理と強者側の論理が
それぞれ生まれるのも必然だ。

強者の論理は、基本的には単純な弱肉強食だ。
弱者の論理は、基本的には万民救済だ。

この二つをどうバランスさせるかが、
政治の主要な課題なのだが・・・

最初に何が書きたかったのか忘れてしまった。
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