昔書いた雑文を掘り起こしてみた。
1991年6月23日の日曜日、午後1時45分。
とても暑い日だった。
僕は、やっとのことでつかみ取った3時間を右手に握りしめて、
下北沢の本多劇場の入口に並んでいた。
その日、当日券を求める客の列は天文学的な長さとなり、
絶望的な気分で並んでいた僕の背中に
午後の太陽からの熱線は容赦なく降り注いだ。
と、背中から声がかかった。
「チケット、買ってくれませんか?」
振り向けばそこには、小学校4年生くらいであろうか、
とってもかわいい少女が立っている。
「あの、お母さんが来れなくなっちゃって…、でもって、これ…」
一瞬の戸惑いの後に、僕は力強くうなづいた。
長い列を離脱してもぎりのところにゆくと、
これまたとってもかわいい姿の山本浩子さんが
なぜかエスカレーターガールをしていた
(そっか、今回は出ないのか)。
劇場の中は、とても涼しかった。
座席はとてもきれいに並んでいた。
にもかかわらず、舞台向かって右側の前の方であった僕の席からは、
左側の袖近くで、すわりこんだまま演じられる芝居は
ほとんど見えなかった。
あの女の子は、あるいは、女の子のお母さんは、
このことを知っていたのだろうか?
という疑問を理性で抑えこみながら、首を苦しい角度に曲げて、
隣の人の頭のすき間から、人物の影を見、声を聞いていた。
芝居は、見にくいという以外は、ほとんど昔のままで、
滝川真澄さんは、とても若かった。
はな子のお母さんはいいキャラクターだった。
ブラッキーもよかった。
昔はここで笑いが出たけどなー、という部分もいくつかあって、
僕は所々で涙を流しながら、ラストまで一気に見た。
頬に残っているであろう涙の跡を隠すように、あるいは、
100kmの彼方で待つ二人の操る糸に引かれるように急ぎ足で
劇場を後にした僕は、下北沢の駅のプラットフォームで、
井の頭線の上り各駅停車に足を踏み入れながら、
「あっ」と小さくつぶやいた。
アンケート書くの忘れた。
1991年6月「家、世の果ての…」(NOISE@本多劇場)
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