本居宣長を取り上げていた。
本居宣長といえば、
「もののあはれ」だが、
「もののあはれを知る」とは、
外から観察するのではなく、
経験の中にあるものやことに、
超越論的な認識の枠組み、
社会の常識、自分の知識に囚われずに、
それらを捨てて、向き合うことで
得られる情(こころ)の動きを識る、
ということらしい。
それって、現象学的還元や、
純粋経験と近いもの?
と思って、「もののあはれ」と
現象学について、
何か書かれているのかを
検索したら、
多極化する現象学の新世代組織形成と
連動した「間文化現象学」の研究
という科研費の報告書が出てきた。
その中で、東大の
古荘 真敬さんという方が、
和辻哲郎とハイデガーの関係を
論じる中で、和辻哲郎の
1922 年の論考「「もののあはれ」について」
を引用している。
ものごとの「本質」を捉える
という意味では、井筒俊彦さんの
本質論などとも
関係するのかもしれない、
と思ったら、
いとをこなる「本質」論と「物のあはれ」論
普遍的本質と個体的本質:井筒俊彦「意識と本質」
井筒俊彦『意識と本質』(2)
といったブログ記事が見つかった。
昔読んだはずなのに、
すっかり忘れていた。
改めて Google は偉大だ。
そうした「もののあはれ」は、
日本人(井筒さん的には東洋人)
の特性としての、
自然、風物との深い交感であり、
また、日本語の豊かさの基盤
でもあるのだろう。
番組の中では又吉さんが、
「心の揺れが溜まると出したくなる」
という創作のプロセスについても
触れていた。
一方で、そうした主客を分けない、
俯瞰しようとしない認識は、
その外にあるものを感じているからこそ、
自分のブラインドネスや、実存の不安、
そして、すべてを見ている
神や仏の仮想にもつながっている
のだと思う。
追記:
「紫文要領」を読みたいと思ったが
Kindle になっていない・・・
著作権の関係なのだろうが、
岩波文庫は、はやく、
全部 Kindle 化して欲しいものだ。
もっとも、Kindle の永続性も
怪しくなってきているのだが・・・
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