プロフェッショナル仕事の流儀の
「吉永小百合スペシャル」
書いておきたいな、と思うことはいろいろあるのだが、
時間が取れない&気力が出ない、ということで、
ずっとブログを書けないでいたのだが、
それを超えて、書きたいと思わせるものがあった。
時代が少しずれているので、
吉永小百合さんのファンではないし、
出演映画も全くと言っていいほど見ていない。
(なぜか「ふしぎな岬の物語」は見たのだが、
あまりにも大人のファンタジーだった。)
というわけで、吉永さんは、気になるが
良く知らない人だったので、
今回の番組を見てかなり大きな衝撃を受けた。
いやはや・・・
どこにどう衝撃を受けたのかも
まだ良くわからないのだが・・・
番組の全体が、おとぎ話、映画のよう、
というか、こんな人が本当に実在するのだ、
という驚き。
「永遠の少女」であり、
「実在する天使」。
その本質は何なのだろう?
と考えると「変わらないこと」
「成長しないこと」
ではないだろうか?
番組の中で、幼稚園か小学校のときに、
学芸会的なお芝居をして、それを見ていた
少年院の?少年が泣いていて、
女優を志したというエピソードが、
作文の原稿(字もすごく綺麗!)
とともに紹介されていた。
小学校を出たくらいで完成されて、
そのまま、精神的な部分で、
ほとんど変化していない。
たとえば、将棋の羽生さんなどにも、
同じような質の「不変性」を感じる
ことがある。
肉体は変化するし、知識も増えるし、
思考力も高まるのだが、なんというか、
ある種の「無垢な生きる姿勢」
のようなものがそのまま保たれている。
無意識であれ、意識的であれ、
そういう「成長しない」
という選択をしている、という感じ。
だから、吉永さんは「女優」ではない。
全く違う概念の存在なのだと思う。
だからこそ、番組の中で
「私はアマチュア」と、
決して謙遜ではなく、本気で言っている。
とても稀有な存在なので、
誰もが言葉で定義できない。
「永遠の少女」が近い感じだが、
全然言い足りている感じがしない。
唯一無二の存在。
「天使」「イコン」という言葉が浮かぶ。
あるいは「アイドル」?
純粋さ、可愛さ、誠実さ、
子供が持っているものの
「生身のイコン」
福永武彦さんが、どこかで
「成長する」ということは、
大きくなることではなく、
子供が持っている丸いものが、
少しずつ欠けてゆくことだ、
というようなことを
書いていたと思うが、
そうした意味で、
成長しない、天使のような存在。
そんな気がした。
吉永さんの映画や作品をもう少し
見たくなった。
* * *
番組の感想をネットで見ていたら、
片岡義男さんが「吉永小百合の映画」
という本を書いていて、それは、
吉永小百合が出演している映画を通して、
戦後社会を論じているのだという。
(Kindle か青空文庫になって欲しい・・・)
また、その本ではないのだが、
片岡義男.com には、
「キューポラの街」についての
エッセイがあって、読むことができた。
この文章でも、吉永さん(が演じる少女)が、
日本の時代の変わり目の象徴として
捉えられている。
そう、「象徴」なのだ。
団塊の世代が生きた時代の。
成長する日本の心を写し取り、
彼女自身は成長しない。
ただ同じところで深まってゆく。
それが「最後の大スター」
ということか・・・
「スター」というと、それこそ
天海祐希さんのような
華やかな宝塚スターのイメージ
が先に来て、吉永さんは、
そういうものから遠いのだが、
動かずに、変わらずに、
ただ輝いているものとしては、
まさに、スターなのだろう。
その、地上の星を、NHK が、
今、また日本が大きく変わっている時期に記録した、
ということもまた、一つの稀有な、
とてもありがたい出来事なのだと思う。
番組の BGM には、カズオ・イシグロ原作の
「私を離さないで」の映画の音楽、
レイチェル・ポートマンの「We all complete」
が使われていて、これにもしびれた。
とても好きな曲だ。
吉永さんが、淡々と自らの務めを果たす
キャシー・H と、少し重なった。
吉永さんだったら、どんなキャシーに
なったのだろうか?
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