自分に正直に、仮面を取って❗

~その時の感じた思いを大切にしたいだけ~

W杯ラグビーで、ブーム真っ盛りの日本への警鐘⚡️

2019-10-19 11:50:00 | 日記
初めまして。自称偏屈男のボンゾです。その名のとおり、知る人ぞ知る、かの偉大なハードロック バンド、Led Zeppelinとそのドラマー、ジョン・ボーナム(愛称ボンゾ)を、こよなく愛するアマチュアのドラマーです。

ところで、今日本中⁉️が、ラグビーW杯での日本代表の快進撃に浮き立っているようですが、翌晩の日本代表と南アフリカ戦を前にして、ここで一言もの申したい。

私は、スポーツ観戦全般を楽しみにしてはいる人間ですが、日本開催のW杯ということで、今大会は、世界各国のラグビー試合をテレビで観る機会が、今まで以上に増えた結果、初心者の私でも、ルールが少しずつ分かり始め、その肉弾戦の迫力などに圧倒されている次第です。

ただ、ラグビールールの煩雑さはさることながら、一番気になるのが、他の団体スポーツに比較して、特に、外国人選手や外国出身選手の占める比率が高いように思えることです。少し、ネットで調べましたが、他に類を見ないほどのようです。

これは、今回の日本代表選手にも当然言えることで、今朝の新聞を見ると、先発メンバーの内、6人くらいがそういった選手で占められています。更に、私が日本ラグビー成長のために、注視して問題提起したいのが、そのような選手が、フォワード陣に極めて多いという事実です。サブの2人もそういう選手ですし…


何故なら、たぶんですが、ラグビーにおいては、そのフォワード陣が、非常に重要な役目を果たしていると考えるからです。というのも、そのフォワード陣がスクラムにて互角の張り合いを成すが為、そこから出されたボールが、身軽な日本人選手の手から手へと繋げられて、最後はトライという歓声が生まれるケースが、主なのではないだろうか⁉️

そう考えた時、では、その他国選手と互角の体格を有する、そういった重量フォワード陣が、縁の下の力持ち的な働きをしてくれなければ、はっきり言って、今の日本代表の快進撃は存在しないのではないのか⁉️と思えて来ます。

そして、ラグビー特有のこのルールも、どんどん見直しの時期に入っていて、次大会には既により厳格化されることに決まっています。更に、その先には、他の団体スポーツとの均衡のためか、この特殊ルールは撤廃されて、少なくとも、その国への帰化が絶対条件になることも、遠くはないかも知れません。

そうなれば、今ほどの外国人選手や外国出身選手の補充は望めないでしょう。となると、いわば、ラグビーの土台を築く選手に不足が生じ、場当たり的に、日本人選手でフォワード陣型を組もうとしても、後の祭りとなって、「今思えば、あの頃にもっと日本人選手のフォワード育成に精を出していればなぁ…」なんてことになるのではないのかと、危惧する私です。

サッカーを例にしても、当時川淵チェアマンの手腕でもって、世界でも劣弱だった日本代表を、Jリーグという画期的な手段で、かつ、長年かけて、今では、強豪国に名を連ねると言えるまでになった、それも日本人選手のみで、のも、将来を見据えた確固たる筋書きがあった故だろう。

そう考える時、現状のラグビー体制下に舞い上がっていていいものだろうか、日本代表のためには本当にね⁉️そう思う偏屈な私だ。

台風一過に日本の平和を感じるとき。

2019-10-17 11:09:00 | 日記
先日の台風19号では、関東や東北地方を中心に、特に、豪雨による河川の氾濫で、死者行方不明者を多数出す、甚大な被害を被った。その方達や遺族の方達には、心より、亡くなられた方達のご冥福、行方不明者の方達の迅速な発見や、ご遺族を始め、その他被災された方達の、一刻も早い元の安寧な生活の回復を祈ります。

日本は、位置的関係から、この時期にあっては、やたらと台風に襲われることが多い国ですが、何か、気のせいか知れないが、令和の時代に入り、富に、台風を含めた天災が増えた気がします。

これは、自然災害であり、どうにも防ぎようのないものですが、人間自身が、積極的に関わる人災は、全く別で、話し合いなどの手段を講じれば、いくらでも回避できるものだと思います。

今、これを書いているのは、久しぶりに休日を取って、缶コーヒー片手にくつろいでいる、大型ショッピングセンターの2階のデッキです。ここから、見える高架橋を走る様々な車達、下を見下ろせば、ずらり整然と並んだ車の群れに向かって、目一杯詰め込んだ買い物袋を、重そうにしてバランスを取りながら、自分の車を目指してゆっくりと歩く買い物客達。

この景色を目にすると、思わず、「つくづく日本て平和な国なんだなぁ…自分はこの国に生まれて本当に良かったなぁ~って、正直思ってしまいます。」それは、日本が、大陸から離れた孤島の国であり、他国からの直接的侵略に襲われる可能性が低かったがためという、幸運もあったとは思いますが、この「幸運」を、日本人は今後も当然なこととは、思うべきではないでしょう。

世界に、目を向ければ、例えば、近隣国の北朝鮮のように、日本とは国交もない上に、国民の基本的人権すら保障されていない国もあれば、シリアのように、未だに酷い内戦状態に明け暮れて、無数の民間人がその犠牲となっています。いくら、世界各国で結成された国際連合の停戦や終戦勧告をもってしても、どうにもならない状況です。

だからこそ、日本人は、そういった事実を、自分達とは関係ない国で起きている、対岸の火事とは決して考えることなく、少なくとも身近な出来事のごとく、自分達にも何かその解決に向けて、できることはないのか、という姿勢を持って思考を転換するべきであろうし、そういう自分自身も、そう常に思っている。

あるのは敗者なき尊敬の念👏

2019-10-05 22:28:00 | 日記
常に、勝負事には、勝者と敗者が付き物だ。

それが、多数から少数を選抜する際の鉄則だ。

だから、それがどのようなものであれ、勝って喜ぶ者と、負けて泣く者とに、明確に分別される。

現在、遠く中東のカタールのドーハという、とてつもなく熱く過酷な地で行われている、世界陸上。つまり、陸上競技の世界一を決める、アスリート最高峰の闘い場。

ここでも、もちろん、残酷な程に明暗が別れる。誰しもが、最高に輝く色の金メダルを目指して、日々自分の心と身体にムチ打って、この闘いに掛けて来たと言うのにだ。

自分も、遅い時間の放送ながら、各アスリートの迫力極まる世界に引きずり込まれ、連日テレビに見入ってしまっている。中でも、十種競技の決着の瞬間。これには、正に「感動」の二文字しかなかった。

一つの競技を極めるのすら、至難の技であるのに、走る、跳ぶ、投げる、などといった競技を、全て極めるのであるから、この競技の勝者には、キングオブアスリートとしての栄誉ある称号が与えられる。

全ての競技が終了したその時、その称号の取得者が決まった。その者の顔には、もちろん満面の笑顔がこぼれたのは事実だ。

だが、本当の笑顔と感動はその直後に来た。

十種競技という、あまりにも過酷な競技をやり終えた、各アスリート達が、何の隔たりもわだかまりもなく、瞬時に各々の健闘を讃えあって、次々に溢れる笑顔で抱き合う姿が、そこにあったのだ。

これは、自分自身の限界に挑戦しあった者同士だからこそ分かりあえる世界なのだろう。

だから、この境地に至っては、勝者も敗者もなく、お互いに対する敬慕の念しかないのだろう。




退職まで約半年となった今…

2019-09-30 22:31:00 | 日記
大学出て「38年以上勤めたんか」と言っていい、この職場。振り返っても、数え切れない程「こんな職場辞めてやる(`Д´)って思ったことか👅

それでも、家族のためには辞めることは許されず、なんとか、待ちに待った「退職」という言葉を聞くまで、後半年というところまで来た。ただ、その後も同じ仕事しなくちゃならないけどねぇ~ん😭

自分が、この職場に入った当時は、「退職=年金支給時」であり、退職金というボーナス

頂いて、仕事も終わりで、悠々自適だったのにねぇ~だ。

今は「全くもう😫って感じだ。まっ、人生そんなに甘くいか(ФωФ)

でも、自分のお気に入りの曲で、高橋優の「明日はきっといい日になる」の歌詞にあるように、思い通りの人生じゃないとしても、それも幸せ😃💕と選ぶことはできる、ってね。そう思うか…

そうだよねぇ~、この世の中にどれだけの人が、思い通りの人生を歩んでいることか⁉️ふ

自分の大好きなことを職業にしたりできる人なんて、実際には一握りしかいないんだろうな、うん。

それでも、色々な壁というか、障害に突き当たるだろうしねぇ😵

だから、思い通りにならないのが人生って、考えた方がいいよな
そして、その思い通りにならない不自由な人生の中で、貴重な時間を見つけて、これも自分の人生だっていう、大切な何かを探し🔍出せたら、それこそが本当の幸せ💝なのかも知れないな~、そんな風に思えて来る自分だ。

そして、それは、少し注意すれば、以外に身近にあるのかも。あたかも、最も大切な"空気"の存在に、普段気づかないようにね☺️
自分にとっては、身近な家族が最優先の存在であり、そのベースがあって、余暇の時間を、生き甲斐のバンド活動に費やせている。

だから、自分は、不自由に思えるこの社会でも、十二分に自由を謳歌している人間なのかも知れないな。

そう思うと、幸せの青い鳥🐦は逃げて行くのではなく、こっそり隠れて様子を見ているのかも知れないな(⌒‐⌒)


日本人って、行列するのが好きな人種なの⁉️

2019-09-23 10:12:00 | 日記
今朝テレビで、横浜で開催されている、全国のパンの名店を集結させた、パンフェスなるももの中継を見た。

始まる何時間も前から長蛇の列を作り、インタビュー受けたパン好きの女性などは、関西方面から昨夜のうちに、夜行バスで乗り入れて来たという。それでも、お米より好きなパンを買うためなら、何の苦にもならないのだと、言っていた。待たされるのにイライラ💢💢する自分には、とても考えられず、「ひえ~(ФωФ)と言ったところだ👾。なにも、そこまで行かなくても、近くにおいしいパン屋さんは、いくらでもあるだろうにねぇ~🙊信じられないよ、私には(余計なお世話か…)。

この件に限らず、日本人は、行列を作って、長時間待たされることに、あまり神経を使わない、というか、気にならないというか、というより、むしろ、そうすることが当たり前になり、自分から見れば、快感すら覚えているのではないのか⁉️って思いたくなる。東京ディズニーランドにしても、その他の何かのイベントなどでも、すぐに長蛇の行列って事態が起きるもんね。

言うならば、当たり前が常態化して快感を生み、その快感が今度は当たり前を生む、こんな見方もできるのではないのかねぇ☺️

まぁ、待たされるのが嫌で、行列に並ぶのも嫌な、この偏屈な自分の、まさに、屁理屈的な偏見かも知れないと、横目に見てもらって結構だが、少なくともこれだけは言っておきたいことがある。

行列を作って、前へ習へのこどく、長時間待たされることに慣れるってことは、見方を変えば、大変危険なことへの第一歩であることを。

大袈裟かも知れないけど、これがいわゆる、群衆心理の落とし穴、つまり、みんながそうするから自分もそうする、っていう自主的判断の喪失に繋がり兼ねないことへの危惧感だ。これによって、他者によるマインドコントロールが可能になる。これが最も恐いのだ‼️

過去の歴史にあるとおり、「ハイル、ヒットラーと叫んで、当時のドイツ国民は、ヒットラーに盲目的に従った故、かの悲惨な結果の後で覚醒した。その時、既に時遅く、惨たらしく、おびただしい数の、死体の山を築き上げ、今なお、その負の遺産は、後世に警鐘を鳴らしている。

だから、自主的判断の喪失が、如何に恐ろしいことなのかを知って欲しいと考える。