今日、最愛の母が、肝臓がんの手術を受けた。これが三度目だ。ただ、幸いにも、転移のない早期がんであるため、切開しない、カテーテル手術の方法で、母の年老いた体には、極力負担の少ないものだった。そして、手術は順調に行われて無事終了した。息子の自分が、ほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
ちなみに、母は、重度の心不全も患っているため、切開手術には、そもそも耐えられない身体なのだ。その意味でも、カテーテル手術で、治療できることは、本当に幸運だった。
重労働を強いられる家業を持った母は、自分にとっては、その身を削って、自分と弟とを育て上げてくれた、感謝しても、到底しきれない、正に最愛の人だ。間近でその作業を毎日見てきた自分には、机に座って事務をする自分とは、全く違って、如何に大変酷なものであるかがよく分かる。
そして、今から4年前まで、同じく、その身を削って、二人の息子達を育て上げてくれた、もうひとりの最愛の父は、既にこの世に存在しない。
56歳の時に、自宅の階段から転げ落ち、脛椎損傷による全身麻痺に陥った。それでも、なんとか家業に復帰し、その人生掛けた、生き甲斐の絵画の製作にも、もう一度挑戦したいって思いで、母と二人三脚で辛いリハビリにも耐え、医者からは「良くなっても車椅子でしょう。」って告げられたにもかかわらず、なんとか不自由ながらも、立って自分で歩けるまでに快復し、驚くことに、仕事も絵画もできるようになった。正直、この時は、自分もびっくりしたし、その努力と夫婦愛には、本当に頭が下がる思いだった。そして、父は、常々、社会貢献という言葉を口にしていて、縁有っての、東日本大震災の被災者からの、絵画の作成依頼にも、快く応じては、夢中で書いた絵を送っていた。
そんな、この世界中で、誰よりも尊敬して止まなかった父が、思いもよらない、いわば、医療ミスの形で、急逝した際の、自分自身の動転具合は、今思い返しても、この身体を無理矢理に掻きむしりたくなる程、信じ難い現実を突き付けられたのを、この体と心が覚えていて、思い起こす度に、目頭から熱いものが、うっすらと頬に流れ出る。
だから、自分にとっては、最後にただひとりこの世に残った、もうひとりの最愛の人、母に対しては、何としてでも、今は亡き父に起きたようなことだけは、絶対に起きないことを願いながら、精一杯のことをしようと、強い覚悟を決めているのだ。その思いは、東京で忙しく仕事しているため、なかなか顔を出せない弟も、きっと同じだろう。
だから、今も、最愛の亡父の遺影に向かって、誰よりもかけ換えのない母が、今までのように、元気な笑顔で、戻って来てくれることだけを祈っていた。
最愛という気持ちは、これが誰にとっても、本当のところではないのか。自分は、そう信じる。そして、詰まるところは、自己犠牲をしてでも、替われるものなら、自分がその身になっても、なんら後悔しない、そういうものではないだろうか。
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