ちょこっとむずこいお題…(笑)
なんでかっちゅうたら
このお題のテーマの質問を知人から受けた。
ムカシは、"夢"っちゅうコトバを
いろんなトコロやヒトに吐いてた気がする。
せやケドも、今思ったら説き伏せれる位の情熱を持って
"夢"っちゅうモンに挑んでかっちゅうたら
ホンマに半端に追っ掛けてた気がする。
せやさかいに…
「偉そうに言えんなぁ…。」
っちゅうカンジの返事を交ぜ入れた。
せやケドも、だいぶ前にココでも話題にしたケドも
"野狐禅"の"ならば、友よ"っちゅう唄の歌詞を聴いて…
「なるほど… そういう考えもあるなぁ。」
っちゅう風に思わされた。
なぁ、友よ 夢っていうコトバは
きっと諦めたヒトが発明したんだろう
ならば、友よ 死ぬ間際でいいや
君と夢を語り合うのは 死ぬ間際でいいや
確かに生きてる限りは
"現実"にする可能性が残ってるワケである。
この詩を気に入ったからっちゅうても
夢を否定する様になったワケや無い。
逆に、今でも純粋に"夢"っちゅうコトバを
ヒトからのハナシで出て来たらやっぱり
アツいモンを感じたりしてまう。
せやケドも、ワシ自身はっちゅうたら…
「生きてるウチにやったろうと思てる。」
っちゅう表現を使う様になった。
そんなコトはぎょうさんあるし
実際に出来るか出来んかは本人次第やろうと思うケドも
せやケドも、"やったる"っちゅう執念があったら
出来んコトは無いと思てる。
ワシのバイブル的な映画になった
"世界最速のインディアン"のモデルになった
故バート・マンロー氏は愛車のインディアン・スカウトで
世界最速記録を打ち立てる"夢"を追ってたワケやケドも
実際に、マシンを自分で改良に改良を重ねたりして
母国のニュージーランドでレースに出だした時点で
"夢"や無しに、ある種、"使命"に近い
"目標"になってたりしてたかも知れんやろうし
それに対する、"執念"が彼をアメリカのボンヌビルへ
実際に向けさせたんやろうと感じた。
ちょこっと似通ったカンジのハナシになるケドも
日本のレーズ業界では、伝説的な人物になった
故吉村秀雄氏(ポップ吉村)もそうなんやないかなぁと思う。
彼のコトを綴った本、"ポップ吉村の伝説"を読んだケドも
今でもなんべんも読む程、引き付けられた本である。
そこには、彼の生い立ちや
単車に関わって行き、栄光や挫折、葛藤
いろんなモンを乗り越えた末に手に入れた"勝利"が
書き記されてるケドも、ホンマにすざましい
"執念"を感じ取るコトが出来る。
莫大な資金を投じて襲い掛かって来る
巨大メーカーである、ホンダに勝つコト。
それは"夢"や無しに、"使命"と位置付け
実際に1978年の鈴鹿八耐で勝利し…
"打倒、ホンダ!"
を現実のモンとした執念。
せやケドも、そこに至までには苦悩や葛藤は
絶対にあったと思われる。
「強いキモチがあれば葛藤なんか無いハズ。」
っちゅうヒトも居るかも知れんケドも
葛藤はあるんやろうケドも、強いキモチで乗り越えた先に
"勝利"や"達成"っちゅう"現実"があるんやないかなぁ。
っちゅう風に、中途半端なワシが客観的に感じた戯言である(泪)。
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