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私自身の喪失体験から、グリーフケアに関する情報を発信して参ります。

最愛の我が子を亡くした方へ  小林正観さんの名言

2023-01-22 17:34:18 | 日記
今回は逆縁がテーマのユーチューブの動画から引用しました。

最愛の我が子を亡くした方へと言うタイトルの動画です。
心理カウンセラーのマサさんと言う方の動画ですが、この中で小林正観さんのお話を紹介されています。その話の中に先立った子供との事をこのように書かれています。「実はそれは子供自身が生まれる前に書いてきたプログラムであり、親もそういう形で子供が先にいなくなるというシナリオで合意している」如何ですか?私は最初違和感を覚えましたが、その真意は違った意味合いを持っていました。最後までお読み頂くと納得されるとは思いますが?

ここより引用します
はいどうもこんにちは心理カウンセラーの masa です。
本日は最愛のわが子を亡くした方へというテーマでお話しさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。今現在、人生がつらく苦しい人の心が少しでも軽くなるように願って、動画を撮らせて頂きます。ぜひ最後までご覧になってみてください。最初に質問なんですけれども苦しかった時どのようにして乗り越えてきましたか
今まで人生で辛かったり苦しかったり悲しかった経験って、たくさんあると思うんですけれども、そんな時どのようにして乗り越えてきましたか。

ひとによっては時間が解決してくれましたっていう人もいれば親友に励ましてもらったって言う人もいますよね、勇気づけてもらったっていう人もいます。
今、もしか本やセミナーで考え方を少しずつ変えていったっていう人もいると思います。時間を味方にしながら少しずつ元気になっていったり、自分自身で出来る努力を
しながら少しずつ皆さん乗り越えていかれています。そういう姿を見るために私自身は感動してしまいます。ただしなんですけれども、時間の経過や学びだけでは解決できない問題もあったりしますよね、私自身は、今まで数千人の人のカウンセリングをしてきましたが「最愛のわが子が幼くしてなくなりました」

まあこういうですね、相談を受けることもあるんですけれども、こんな相談ほど何もしてあげられない無力感と言うか、虚しさというか、それを感じることはないです。どんなアドバイスもその方にとってアドバイスなんかになるわけがないですよね。なのでたくさんそういった方には思いを吐き出してもらってたくさんたくさん泣いてもらうようにしてます。感情というのは出すようにしてもらってます。そしてですね、それにプラスして小林正観さんからの学びというものをお伝えさせてもらっています。小林正観さんはどういった方かというと、もともと旅行作家だったんですが手相とか、人相とか、宇宙の法則とかそういった知識とか造詣があまりにも深い方なので、1年365日のうち300回以上講演活動されていた方です。

残念ながら2011年にお亡くなりになってしまいました。私自身は運良く生前2008年ごろから正観さんの存在を知って講演会に何度も通わせていただきました。正観さんから物事の見方とか捉え方解釈を変えるだけで人生は輝いていくってことを学ばせてもらったんですね。そんな小林正観さんはですね、最愛のわが子を幼くして亡くした方へってことでメッセージを伝えていますので、私の方でそのメッセージをお伝えできたらなと思います。で、どんなメッセージかというと子供が可愛い盛りで3歳4歳5歳あるいは10歳ぐらいで亡くなっていく場合があります。残された親はこれ以上ない悲しみを味わうのですが、実はそれは子供自身が生まれる前に書いてきたプログラムであり、親もそういう形で子供が先にいなくなるというシナリオで合意している。信じられないかもしれませんが、どうやらお互い合意の上での約束らしいのです。まぁ3歳の子供たち数百人にお母さんのお腹に来る前はどこにいたのと、質問したところ生まれてくる前の記憶を宿していた子供が20人ほどいて、しかもその20人がみんな同じことを言いました。

上空からお母さんを見下ろしていた。
お母さんが寂しそうだったから話し相手になってあげようと思った、そしたら暗闇の中に飛び込んで目を開けたら知らない人ばかりだったから泣いちゃった。ということを言ってるんです。つまりすべてはですね、生まれてくる前に書いたシナリオ通りなのです。ですから親はいたずらに悲しむのではなく、その幼くして死んでいった子どもの意味を把握すべきだろうと思います。子供が幼くしてなくなるのは悲しみの体験を通じて親を優しく成長させようとしているのです。

残された親は悲しむのは当然ですが、その悲しみを笑顔で乗り越えられるかを問われています。そんな悲しみの体験を通じてその親は他の悩みや苦しみ、つらい思いをしている人たちの人生相談にのることができます。その人たちに優しいアドバイスをすることができ、心温まる言葉でその人を励まし慰めることができるで違いありません。そういうことをやらせるために、そういう立場になって欲しいがために人間がこれ以上味わえないであろう、最大の悲しみである可愛い盛りの子がなくなるという警鐘をその子は見せに来ているようです。

まあこのような内容こんな言葉をですね小林正観さんは話していました。聴きながらどのような思いをしたでしょうか。つまりなんですけれども人生最大の悲しみを乗り越えて、それを糧として困っている人たちにアドバイスできるようになること、それこそが幼くして亡くなった子どもが親に対して投げたかけたメッセージということなんです。
実際にですね、最愛の我が子を亡くされた方にこのメッセージがどこまで響くかは分かりません。ただしですねお互いが生まれてくる前合意の上で約束をしてきたということをほんの少しでも頭の片隅に置いておけば、少しは気持ちが楽になる人はいるかもしれないです。

私はですね、そういった実際最愛の我が子なくされた方にですね、まぁこう言った方にメッセージをお伝えすることもあれば、この正観さんのメッセージをメールでお伝えすることもあるんですね。そしてなんかわかった気がしますとかっていう言葉をいただいたりすることもあります。ですけれども落ち込んでもいいですし、たくさん泣いてもいいですし、まだまだ立ち直れなくてもいいです。でもいつかきっとその苦しみが糧になって同じ経験で苦しんでいる人の希望の光になっていけたらそれはそれは素晴らしいことですよね。

最愛の我が子を亡くしたというケースだけではなくて、それ以外でも苦しく悲しい思いをしてきた人はそれを乗り越えて同じような状況の人に手を差し伸べてあげてくださいねっていうような動画でした。最後にまとめなんですけれども、人生における苦しみや悲しみは見方を変えると最大の学びにもなることは間違いないです。すぐに乗り越えることはできなくても少しずつ乗り越えていって、似たような状況の人に手を差し伸べられたら最高ですよね。苦しさや悲しみを知ってる人はその経験がかけがえのない宝物になっていきます。まあこの話がですね、今現在苦しい人が悩みとか悲しみを抱えている方はどこまでお役に立てるか分からないんですけれどもほんの少しでも頭の片隅に置いておいていただいて一歩でも二歩でも前に前進できる力になればなと思います。
最後までご視聴頂きましてありがとうございました。
引用ここまで

ここからは運営者の感想です。
如何ですか、違和感は有りませんでしたか。私は最後まで読んで納得しました。
グリーフアドバイスサイトでは、この動画のリンクを掲載しております。

グリーフアドバイス運営者 深井

大切な人を亡くした辛さから私を救ってくれた意外なものたち

2023-01-20 17:57:42 | 日記
大切な人を亡くした辛さから私を救ってくれた意外なものたち 
 miho nakano さんの動画より引用しています。

皆さんこんにちはみほですいつも動画ご視聴くださりありがとうございます。この動画ではですね私が死別の反応からどういう風に抜けていったのか、まあこう抜けていく過程の中でどういうものが私を支えてくれたのか、みたいな話をしたいと思っています。

前回の動画で私が旦那を亡くしてこう自分の身とか心にどういう変化が起きたのかとか、生活とか人間関係にどういう影響があったのかみたいな話をしています。例えばこう気力体力がガクンと落ちたようですとか。あと新年度にも苦しんだ話ですとか、あとはめちゃくちゃゆるいですけどベジタリアンになった話とかもしています。今日も3つほど話があるんですけど、一番自分の死別の反応から抜けるのに私を支えてくれたのは旦那本人でした。私は旦那が亡くなった後もよく彼の写真に向かって話しかけてたんですよね、例えば、おはよう、おやすみとかもそうですし、家を出るときとか、帰ってくる時はただいまですとか、あとはまあその出会ったこととか今悩んでいることとかとにかくあの声にしてよく彼に話しかけていました。

そうしているとですねなんか不思議なことなんですけど、彼からの返事がこう頭に浮かんだりですとか、あとは例えば私は今日は飲むからみたいなあのちょっと相談めいた話とかすると、あの彼の呆れた表情が頭に浮かんできたりですとか、生前はもちろんこう彼を見たりですとか、触れたりですとかまあそういう形で彼とつながっていたんですけど、彼を亡くした後はまあそういう風にこう彼によく、とにかくよく話しかけてでもそういうところからこう、彼との新しい繋がり方とかみたいなものが自分なりに生まれたと思っています。

毎日悲しむ中でも、ニュースとかを見るとウクライナの戦争で何百人が死んだですと、あとは有名人の誰々が亡くなったですとか、まあそういう話に触れるわけじゃないですか、でもそういうニュースを見る時って自分は全くこう心が動かされなくって、なんか白状な自分に気づいたりとかしたんですよね。そうすると自分が今悲しいのって彼が特別だからなんだって、彼を愛してるからなんだって、そういうふうに気づいた瞬間があったんです。

自分の中にあるこう彼に対するこう愛にあの気づけたのが自分にとって一つ大きなターニングポイントだったのかなって思ってまして、で色々振り返ると旦那は病気でしたので最後はかなりこう身体的な苦しみっていうのもあって、じゃあ彼にとってその死っていうのは、そういう苦しみから解放されたっていう意味では悪いことばかりじゃないんだっていうふうに思いましたし、あとは逆に今彼が私を見てどう思うかなっていうふうに考えられるようになったんです。

その時に私は毎日あの暗い顔をしていたので、多分心配するだろうなってそれだったらちゃんと食べようとか、本当に、あの彼の存在とか彼との新しいこうつながり方とか、あとはまあ彼に対する気持ちですとか、そういったものが自分をこの1年間すごく支えてくれました。そういった意味では今だから強気で言えるんですけど本当に彼に対する愛が試された1年間だったなって思っています。

自分の欲としては1日でも多く彼に生きて欲しかったし、今でも生き返ってくれるんだったらもうそれは、私はものすごくあの嬉しいですけどでもこう彼のことを考えると必ずしもそういう形が一番いいとは限らない。まああの愛って相手の立場になるようなことじゃないですか、なので私はこれからも愛を貫いていこうという風に思っています。次に私を死別の反応から抜けるのに助けてくれたものは自分です。

えって感じなんですけど、大切な人を亡くすと自分が自分じゃなくなるというかもちろんこう身体的、精神的なところもそうなんですけど自分の人生観って言うんでしょうか、それまで自分が具体的に持っていた仕事に対する価値観ですとか、生活とか、こう人間関係に対する考え方も大きく揺らいでいくので本当それほど大きな変化なんだと思います。

大切な人をなくすことによって、一口に死別って言っても10人10色だと私は思ってまして、それこそ個人との関係性っていうのをそうですし、個人のこう亡くなり方っていうのもそうですし、あと元々自分の性格とか気質に左右されるところもあると思います。私が良かったことは、彼があらかじめ亡くなるっていうことを知っていたことだと思います。

なので彼との毎日を本当に大切にして過ごすことができました。もう逆に近いうちに彼を失うっていう恐怖はもう凄まじいストレスがありましたし、最後彼がちょっと苦しみながら息を引き取っていくのを見たのも、自分にとってあのトラウマになっています。いろんな死別の反応にあの苦しんでいると、自分が一体何に苦しんでいるのか?とか、どうしてほしいのかっていうのが自分が、一番わかってるんなっていう気づいたんですよ。

だからそこからですね、あの自分のことを正しくわかってあげられた時から、あのもう私は生きてるだけで十分なんだと、もう呼吸しているだけであの褒めてほしいっていう気分になりましたし、あのいたわってあげようとも思いましたし、なんかそういうふうにこう自分に優しく優しくしてあげる中で、今度は強さが生まれたと言いますか、この悲しみを抱えて私は幸せに生きていけるって、その力があるっていう風に心の底から信じられています。

3つ目はですね、あのもともと自分が好きだったものになります。私にとってはそれは自然だったりヨガだったり自然って言っても本当にあの家の外から見える景色ですとか近くの公園の緑ですとかその程度のものではあるんです。けど、お空を見上げてこうコロコロ変わる天気を見てると、あーなんかこの世の中に永遠ってどこにもないんだなーって、そういう風に気づかされたりですとか、あとはこう冬の間の枯れ木を見てると、本当に葉が着くのかなって、春になって着くのかなって、懐疑的になるんですけど、でも春になるとあのしっかりあの芽を出してきたりするので、なんかあのどんなに絶望的に思えたとしても、あの状況って変わっていくんだなって、なんか旦那をなくしてから自然から学ぶことがより一層多くなりました。

もう一つはやっぱりあのヨガですね。あの自分の仕事でもありライフワークでもあり、普段表参道のスタジオで教えているんですけど、ヨガって私にとっては内省なんです。なので自分のためにヨガをするときは、なんか今日は力んでるなーですとか、ちょっと疲れてるなーですとか、なんかそういう風に自分の状況に気づくヨガが他のスポーツと少し変わっているのはそういう内向きなところなんですよね。

自分の状態にそうやって気づいていくていうプロセスがあることを、ヨガは実践していくと自分をまるでこう他人かのように観察していくといいますか、自分と距離ができるんですよね。でその精神的な距離感、自分との距離感っていうのは私は個人的にこう心の強さにつながっているものだと思ってまして、これもこう他人のように他人というとまあちょっと遠く感じてしまいますけど、まるで仲の良い友人のようにこう見守るですとか、気づいてあげる、わかってあげるというところがすごくヨガに支えられているところです。

はい今日はですね、私が死別の反応からどういうふうに抜けていたのかっていう話をしました。一番支えになったのは亡くなった旦那本人です。で次に自分自身、で最後にあの自分が元々好きだったもの、私にとっては自然とかヨガだよっていう話をしました。ま、でも最後の自分の好きなものって本当何でもいいと思うんですよね。あの最近気になってるのが筋トレとかピラティスとかでバキバキに体を鍛えて彼と再会するのを楽しみにしようかなとか、あとは逆にあのちょっと痩せてしまったので、食に走ってみてちょっと自分の存在感を高めて、天国で見つけ出しやすく話してあげないとなとか、そういうふうに彼との再会を急ぎはしないんですけど楽しみにしています。

こう死別からの悲しみとか苦しみっていうのは多かれ少なかれ残っていくし波もありますしね。もし最近大切な人を亡くした方がいらっしゃるとしたら一緒に抱え上手になっていけたらなって思います。私も頑張りますので一緒にマイペースに頑張っていきましょう。それではご視聴くださりありがとうございました。またねー

引用はここまでです。

如何ですか、大切な人を亡くした辛さから私を救ってくれた意外なものたちって、それはご主人であり、自分であり、ヨガだった訳ですね。私自身はヨガの経験はありませんが、一度ヨガをやって見たくなりました。 

グリーフアドバイス運営者 深井

グリーフアドバイスのサイトではこの動画をリンクしています。

お時間がありましたら一度お立ち寄り下さい。

事故で兄を亡くした妹の複雑な思い

2023-01-17 21:27:39 | 日記
今日は身内を事故で亡くされた兄弟の気持ちが良く理解できる
ユーチューブの動画から引用しました。

先月末,JR三ノ宮駅の地下広場で開かれたいのちのメッセージ展、

事故や犯罪で命を絶たれた人たちの、等身大の白いパネルが並び、訪れる人たちに静かにメッセージを送ります。二人の子供を連れてやってきた小島なゆかさん。
そこに飾られているのは、なゆかさんの兄、健仁さん(当時18才)のパネルです。あの実家にこれをいつも保管しているので、これは馴染みもある、命の大切さここでも
感じ取ってくれる人がいい増えてくれるのはいいことやし。兄の健仁さんは19年前バイクで登校中、トラックと衝突しその2週間後に病院で息を引き取りました。18歳でした。妹のなゆかさんは当時高校2年生でした。

テストが終わってさようならってした時に、担任の先生がすごい剣幕で来て連絡があって「兄が亡くなったから」ってそのまま先生が自宅まで送ってくれて、
ちょうど帰ってきたら兄の遺体が家に帰ってくるところで。母早苗さん、兄健仁さんと三人の母子家庭だったなゆかさん。
気持ちの整理もつかないまま営まれた兄の葬儀で、参列者たちの何気ない一言にショックを受けたと言います。

とにかく「お母さんのことを気遣ってあげてね」とか「守ってあげてね」とかそういう言葉をかけられることがすごく多くて、その時点ぐらいからもとりあえず
母の気持ちを、まず最優先して、私の気持ちとしてはその後という感じ妹であるなゆかさんを気遣う人はおらず、ないがしろにされたように感じました。
苦しみはさらに続きます。

相手方の運送会社から書面が届き、健仁さんの方に責任があると主張してきたのです。母の早苗さんは健仁さんの同級生らと協力し、捜査当局に事故の原因究明をするよう
必死に署名活動などを行いました。なゆかさんもそんな母親を一生懸命支えようとしましたが、心境は複雑でした。自分の中であまり整理がついてないのに、友達が通るかもしれない、知り合いが通るかもしれないというところで、声を上げて「署名お願いします」というのがすごく辛くって1回「行きたくない」いうのを言ったんですけど、
その時の母の顔が「なんてことを言うの」みたいな顔をされて、私はしなきゃいけない立場やから断れないんだなというのを再認識したというか。

息子の無念を晴らすため寝る間も惜しんで真相を明らかにしようとする母親、その気持ちもわかる故、なゆかさんは健仁さんのこととなると、自分の気持ちを
押し込めるようになっていきました。事故から8カ月後の2001年1月に運転手は書類送検され6年後有罪判決となりました。(テレビのインタビューに答える母親)
なんとか息子に顔が向けられるかなと、そういう思いでいます。

健仁さんの死からもうすぐ20年、一見平穏な生活が戻っているかのように見える二人。しかし事故以来、なゆかさんと母親の間で健仁さんの話をすることは一切ありませんでした。兄の話を何かするとか、私の気持ちに関して何かを話すっていうのは記憶がない位「それは昔から今までずっと?」うん、そうですね。
亡くなった子のことに関してはやっぱり二人とも触れにくい、うんまぁ、お互いに痛みがあるんですね。壊しちゃいけないいう思いが強いんですね、二人の関係を、うん、何とか保っている息子を失った母をへの悲しみ、兄を失った妹の悲しみ、それは家族という関係を守るために触れられない傷となっています。

兵庫県在住の赤田ちづるさんも、2003年に飲酒ひき逃げ事件によって弟を亡くしました。現在は大切な人を亡くした悲しみから立ち直るための活動を、グリーフケアを研究しながら残された兄弟の支援に携わっています。兄弟の支援を考えるにあたって、それが兄弟の支援なのか、親の子育て支援なのか、っていうところがとても大事だと思っていて、今現状進んでいるのは、親の子育て支援の方だと思っていて、兄弟の気持ちってのを置き去りになっているような気がします。


この日は兵庫県警で、警察や被害者支援に関わる人たちに対し兄弟の思いを伝えました。亡くなった妹のクラスには臨床心理っさんが来て妹の友人の話を聞いてくれました。でも私のところには誰も来ませんでした。私の話は人も聞いてくれないんだなっていうふうに思いましたって風に述べています。残されて兄弟って、姉弟子どもってとても狭い中にいます。その中で比較的すぐに関わることのできる大人、例えば警察であったり、葬儀社であったり、その辺の方がもっと兄弟の悲しみに心を寄せてくれたであったら、避けることができた被害、悲しみがもちろんあると思うんですね。

若田さんは4年前残された兄弟が集う、しおりの会を立ち上げました。親にも言えず一人で抱えてきた思いについて、同じ経験をした人同士が本音で話せる場です。
この日参加者が取り組んだアートセラピー、グリーフケアの一つで言葉で表現することが難しい自分の想いを、絵や色で表しメンバーと共有します。
それぞれが書いた絵を見せてもらいました。本当は何かの1色で綺麗に塗れたらいいなぁんですけど自分を思った時にとってもぐちゃぐちゃな。なゆかさんの絵は、その兄弟の会に参加するまではなんというか全体的に、靄がかかっているようなすっきりしない感じだったのが、こう、皆と話をするようになって無くなりはしないけど。水が澄んできたような感じ。

こちらの男性はしおりの会メンバーの関係を表現したといいます。その当時色々辛い思いをして、あの真っ暗な時代があったと思うんですけど、色々共感しあって少しずつ前向きに、自分の色表現できてきているのかなと。同じ思いを持つ仲間との出会いが、なゆかさんたちの気持ちを少しずつ明るくしています。なんか辛いことがあってもって、じゃあ今度の集まりでこれを言ったら、きっと気分も晴れるしちゃんと共感してくれる相手がいるっていうのが後わかってるから気持ちを切り替えられたと言うか。すごく大きかったですね。残された兄弟への理解はまだ十分ではありません。当事者たちは少しでも支援の輪が広がるよう願っています。

ここからは運営者の感想です
如何ですか、事故で身内を亡くされる方達の気持ちが本当に良く理解できる動画でした。母子家庭で長男の方が事故に あわれて残された母と娘の関係に何等かの影響が出る様な事態になる事もあるんですね。本当に不幸の連鎖の様な事を考えさせられ ました。

グリーフアドバイスには、この動画のリンクも載せていますので一度お立ち寄り頂ければと思います。
グリーフアドバイス運営者 深井

水子の霊は死後何をしているか?水子供養を知って乗り越える苦しみ

2023-01-13 21:33:02 | 日記
今日はちょっと、真剣な水子のお話です。

ユーチューブの動画より引用しています。妙法寺 泉チャンネル 妙法寺副住職 泉水寛道さんの法話です。音声ファイルより文字起こしでテキストにしました。長文ですがご覧下さい。
ここより引用します。
みなさんこんにちは妙法寺がお届をしております。ユーチューブチャンネル泉ちゃんです。今回は水子という幼い魂について皆様と共には学んで行こうと思います。そもそも水子とは何か、これはひとたび母親のお母さんの胎内に小さな命の種を
芽吹かせながらも、今生との縁が薄くして生まれ出づることの叶わなかった流産であったり、死産であったり、また人工的な中絶であったり、そのようにして生まれ出づることの叶わなかった幼い魂のことをいいます。

また、生まれることはできたけれども何だかの拍子に呼吸ができなくなったり、また心肺停止になってしまったりして、
生まれたけれども、僅かな時間で旅立っていった人の魂のことも、またこれ水子と評します。そもそも、なぜ水子と言う言い方をするのか、諸説ありますけれども その一つに日本神話にも出て参ります。日本神話というとヤマトタケルミコトですとか、須佐之男のミコト、天照大神、いろんな神々が出てきます。

その中のイザナミとイザナギという神がいるんですが、この二人の間には赤ちゃん子供が授かりました。実はその赤ちゃんが生まれたときに、その二人はその赤ちゃんを見てすぐ海に流してしまったんです。この日本神話の中でそのことを我が産める子よく非らず(わがうめるこよくあらず)と、書かれております。そしてこの子の名前はこのように記されています
水蛭子(ヒルコ)水に蛭(ヒル)子供と書きます。

蛭というのは動物に寄生をして血液を吸うヒルという動物です。なぜヒルという字が使われているのかわがうめるこよくあらずの言葉とこの蛭という文字、これを踏まえて考えるとおそらくイザナミとイザナギの間に生まれたヒルコという子は
手足が無かった、もしくは手足がひょうあいがあった、蛭のような姿形をしていたんだと拝察することができます。そしてイザナギとイザナミはその子を見て、よくない子が生まれてしまったとして海に流した。

そのことからヒルコのヒルという字は取って水と子を残して水子と呼ばれるようになったという説。また元気な姿を見ずにしてなくなっていった見ず子という意味から水子というふうに呼ぶという説。さらにはお母さんのおなかの中の羊水、それと共に流れてしまったという意味から水子ということもあるそうです。この水子さんに対して悩まれる方というのは大変多くいらっしゃいます。特に女性。そうですよね、やはり女性の体に体内に命が芽生えるわけですからやはり女性が悩むことも納得ができます。

もちろん男性でも心が病んでしまう方も多いわけですが、大半の方は女性であります。そして中にはその弱ってる心に漬け込んで、宗教者であったり、霊媒師霊能力者と言われる方達があなたには水子の霊が憑いてる、
水子の祟りがあるあるなどと言って不安をあおり恐怖に陥れて、いろいろなよからぬことを企む方も中にはいるようです。
果たして水子、自分の子供が親を恨んで、親を祟ったりするでしょうか。確かに兄弟姉妹、先に生まれたお兄ちゃんお姉ちゃんがいたり、その自分が生まれなかった後に授かった子どもが元気に生まれて、お父さんお母さんと生活をしている姿を見ればそれは羨ましいと思うと思います。命があってお父さん、大好きなお父さんお母さんと生活が出来ているのに、それにもかかわらずお父さんお母さんを困らせたり、我儘を言ったり迷惑を掛けたりするその兄弟たちを見たときに、確かに良い気持ちはしないはずです。

私はお寺に水子供養に来られる方ご縁があって水子さんのお供養葬儀させてもらうときに伝える言葉があるんです。
それはお父さんお母さんの心が落ち着いたら、時が満ちたら、心の傷が癒えたらどうかその家族兄弟息子さん娘さんたちに「あなたたちには兄弟が居たのよ」ではなくて「兄弟が居るのよ」という風にお伝えをしてもらいたいそのように言うんです。忘れないであげて欲しい、存在を認めてあげてほしい、それが泣き水子さんへの一番の供養でもなかろうかと、そのようにお伝えするようにしています。

その時に流産なのか、中絶なのか、死産なのかそこまでは言う必要はないんです。もちろん事情があると思います。お父さんがわからなかったり、幼い頃だったり、知られたくない過去もあるかもしれない、けれどもそこは方便を用いたって構わない あなたたちがしっかりと覚えていたっていい、それでも構わないけれどもそこはぜひ伝えられる努力、その子に対してしてあげられる努力というのもあってもいいのではないかと思います。皆さんは賽の河原という言葉を聞いたことがありますか。

これは親より先になくなっていった幼い子どもたちの霊、魂が流され集まるところなんです。そこで幼い魂霊たちは報われない苦行を延々とさせられるんです。どのようなことか、それは二度と会えない母を思い、石を積み重ねていくんです
そして父を思い、また石を積み重ねて石の塔を作る。できた!やっと完成したと思うとそこへ賽の河原の冥界の使者が現れて、その石の塔崩すんです。もう一度やり直せと言って、今一度母を思っては塔を立て石を積み、父を思って石を積むんですが、また崩されるそれを幾度も幾度もやらされるんです。

ですが、ある日石を積み終わってもその冥界の使者はそれを崩そうとしない、どうしてこの人は今日は崩さないんだろう。幼い魂たちがその使者を見ると使者は言うんです。もう、そんなことはしなくていいぞ、向こう側には渡れと言って
生まれ変わりのひっかきをくれるんです。どうして死者は塔を崩さなくなったのでしょうか?死者は幼い魂たちにこう告げます。今まで大変だったなあ、でももう積まなくていいんだ、なぜならお前のお母さんが初めて笑った心から笑顔で笑ったんだ、もう大丈夫だ、もうお前さんは石を積まなくていい、生まれ変わっていい、お前のお母さんはもう大丈夫だ
我が頭(こうべ)は父母の頭、はが足は父母の足、我が十指は父母の十指我が口は父母の口也。

例えば種子と木の実、身と影の如しという言葉もございます。子供の苦しみは父母の苦しみであります。それと同様に
父母の苦しみはまた子も苦しむんです。両親が水子さん、幼い命を守れなかったその後悔、反省、後ろめたさや自分を責める心を持てば、子もまた苦しむんです。ですから一日でも早く、ご夫婦でこの悲しみを乗り越えて、笑える日を迎えられる
ようにご夫婦で努力をしましょう。心から笑える日がくれば必ず水子さんも救われます。

この動画を出す前の動画では、お経を始めて私配信させてもらいました。それも水子供養のお経回向であります。
これを流した日は、実は令和3年の5月の母の日でありました。
どうしてもその日に流したくて朝お経をとって配信させてもらいました。なぜ、母の日にその動画を流したかったか。
その水子さんができて、その後お子さんが生まれなくなってしまったお子さんをつくれなかった。その方は一生子を持つことができないんです。

母になれないんです。けれども母を宿した事のある方は母になったんです。
皆さんは年齢の数え方で数え歳っていうのをご存知でしょうか普通は満年齢で数えますよね、けれども昔の方ってのは数え年でも数えるんです。まあ簡単に言うならば、自分の満年齢にまあ単純に一を足すということが多いんで、まあいろんな数方がありますけれども、なぜそのような数え方をしたのかそれはお母さんの体の中に命が宿った瞬間からオギャーと生まれるまでは約と10月10日間お母さんのおなかの中で命を育むわけです。

そして人が亡くなってから次の生まれ変わりまでの四十九日間、この間も生まれ変わるまでですから、そのと10月10日と四十九日を合わせて約1年生まれたときから、一つプラスこれは数え年の言われなんです。このことを踏まえると無くなった四十九日間ももちろんでありますが、お母さんのお腹にいる間の十月十日、これまた人も一生の始まりである、つまりは命が生まれたってことなんです。ですから水子さんを設けてしまった、母になれなかったと、思う人がいるかもしれないけれども、お腹に宿した瞬間から母になったんです。母の日というのはもちろん母に感謝をする日でもありますけれども、自分が母であると自覚をする日、そして母であるならば子を大事に思うし、これがまた母の日でもなかろうかと私は思うんです。

ですから母の日に、あの水子供養のお経の動画を流させてもらいました。ぜひそちらも合わせてご視聴いただければと思います。してこの東山では、6月の第1日曜日に、纏っている御守護神の年に一度の大祭とそして水子供養会をおこなっております。塔婆を建て、亡き水子さんに懇ろなご供養捧げる年に一回の大きな行事であります。どなたでもご参拝いただけますし、お塔婆の申し込みも賜っております。

もし動画をご視聴方で、塔婆を建ててご供養してもらいたい、ぜひお参りをしたいという方は宗教宗派を問いません。どうかご連絡を頂いてお参りいただければと思います。今日は水子のお話をさせてもらいました。どうか水子で悩むお父さんお母さん、心から笑えて、心から笑顔を作れて、ここに感謝できる日が一刻も早く訪れますことをお祈りして「ごめんね」という思いではなく「ありがとう」の思いで手を合わせていただきたいと思います。今日の法話は以上でございます。ご視聴ありがとうございました。

引用ここまで
如何ですか? 水子の事は詳しく知らなかった私には驚きの法話です。賽の河原の話は本当にいい話ですね、水子となった幼い魂が苦行させられるけれども、その母親の笑顔が得られた瞬間にその苦行はしなくても良い、そして向こうの世界に行き仏となる。何か胸にじぃ~んときました。これが本当に供養なんですね。
グリーフアドバイス運営者 深井
グリーフアドバイスのサイトには、この他にも法話やグリーフケアに関する情報が沢山掲載されています。ぜひ一度お立ち寄り下さい。

命日を学び命日の過ごし方を変えると見える世界 生前とは一体?

2023-01-10 19:56:36 | 日記
今回はユーチューブ動画から引用しています。

死別の苦しみを乗り越えるには?命日を学び命日の過ごし方を変えると見える世界 生前とは一体?
妙法寺 泉チャンネル 妙法寺副住職 泉水寛道さんです

ここからは長文ですが、ユーチューブ動画から音声ファイルを文字起こしした全文を紹介します。

故人は生前の、生前という言葉が生まれる前と書くんです。何か違和感を感じませんか?生まれる前はこうでしたっていう話をするんです。
妙法寺がお届けしておりますユーチューブチャンネル泉ちゃんです。今日はお釈迦様が説いた四苦八苦のうちの一つ愛別離苦、もちろん恋人との別れもそうですが、愛する人との別れ永遠の別れというのは死であります。

つまりは、命日を迎えた大事な方を亡くした方たちへの、苦しみをいかに少なくするか、拭わんかということを今回は命日という言葉を使ってみなさまと共に学んでいこうと思います。私たち僧侶は年間何度もお通夜に参列させてもらう機会があります。その都度、導師と呼ばれる方が通夜法話、通夜説教を行って皆様方に法を説いたりいたしますが、その通夜法話の一つの意味としては法を説くのももちろんなんですけれども、ご家族ご遺族や大事な方を亡くした方達の悲しみを取り除いてあげるというのが通夜法話に含まれたひとつの意味でもあります。

ですが実際、ご家族ご遺族の方は看病に始まり、臨終を迎えた驚きやショックさらには通夜の掃除の準備等々で本当に心身ともに疲れのピークがあの時間帯だと思います。ですから私の印象としてはご遺族の方にはなかなか言葉が届いてないんじゃないかなっていうのが印象です。ですが、参列の方たちには聞く耳を持ってくれる方も多いように思いますので、如何にに伝えられるかというのを考えながら我々はお話をしています。

今回の動画はその悲しみを乗り越えられない方、死を受け止められていない方に対してお届け心に響けばいいなと思って撮影をしています。どうか最後までご覧いただきたいと思います。まずはじめに国語の勉強をしたいと思います対義語、反対語ですねー小さいの反対は何でしょうか大きいですよね、低いの反対は高いですよね、では面白いという言葉の反対の意味はなんでしょうか。例えばお笑い芸人さんがやってるコントや漫才を見た時に面白いという言葉を使えばその対義語はつまらない面白くないし泣ける滑るというのも面白いの反対の言葉になると思います。

ですがこの面白いという言葉にはたくさん意味があります。テレビドラマであったガリレオ湯川先生福山雅治さんが演じたその決めセリフの中に「実に面白い」という言葉がありますよね。この面白いというのは、実に興味深いという意味でお使いになっていると思います。ですから興味深いの反対語は、興ざめする興味の湧かないといった言葉になります。そして会議の場とかで、君の意見は実に面白いねというふうに使われた場合は、君の意見はとても珍しいとか、発想はズバリ出てる、という意味で褒め言葉になります。

ですからその面白いの反対語は、ありふれたとか当たり前なという意味になります。ですから面白いの対義語、反対語は一つではないということなんです。ではこれ命日というものの対義語を考えていこうと思います。命日というのは命を落とした悲しい日というイメージがおそらく先行してるんじゃないかと思います。そう捉えれば、命を落とした悲しい日の対義語は、命をもらった嬉しい日ですよね。そうなれば誕生日とお答えするのがおそらく正解になるのではないかと思います

ですけれども、先ほどの面白いと一緒で命日には色々な意味が込められていると私は思っています。その一つに命は読んで字の如く、命の日であるということ、そして命の結びつきを感ずるのがこれ命日であると思います。
命の尊さを感ずる、これが命日、命の日なんです。また命日を冥土の日と書いて冥日履く方もいらっしゃるそうでありますがこれは冥土に生まれ変わるあの世霊前に生まれ変わるという意味で命日と使う方がいるそうです。以上のことを踏まえると先ほどの面白いの言葉と同様に命日にはたくさん意味があります。ですから一概に命日の対義語が誕生日であるということは言えないように思います。

確かに今生に、この世に残された人たちは、物理的に二度と会えなくなるわけですしこの先愛しい人の声を聞くことすらかなわないものとなります。悲しくない理由はありません。ですが命日がいのちの日である以上、悲しい寂しい辛いだけで終わらせることなく、もっと他のことを大切なことを学びでてほしいんです。命日は新しい命を貰う日でもあります。皆さんはお通夜、葬儀に出たことがあるでしょうか、その中で亡くなった方のことを故人という言い方をします。

御遺族も司会者の方も故人は生前、いうふうに教えますよね。この故人は生前の生前という言葉、生まれる前と書くんです、何か違和感を感じませんか?もう亡くなったのに、死んだのに、故人は生まれる前(生前)はこうでしたっていう話をするんです。つまりは命日が命の始まりの日であり、今我々が生きていると思っていた、勿論生きてるんですが、今生活しているこの時間は今は生まれる前なんだという捉え方が、正しい命日の捉え方には必要なのだと思います。命についてに死について、また命日について捉え方は千差万別いろいろな捉え方があってももちろんおかしくはないです。

そしてその命日の過ごし方についても色々あるのが当然のことだと思います。命日が命の始まりの日と捉えて明るく前向きに元気に感謝で過ごす命日も、それまた正解でしょう。ですけれども命日は命を落として悲しい日だ、二度と会えない辛い日だ、そして死に怯え死というものがこなければいいなと震えながら過ごす命日もまた間違ってはないんだと思います。でもどちらの命日の過ごし方がいいか、私たちは命というものを学び、命日を学び、生の尊さ死というものは別にマイナスだけを生み出すものではない。

そのことを学べば、今そのこのように知れば、命日の過ごし方は一択ではないはずなんです。今いる私たちのこ世の中というのは、修行場です。勿論我々僧侶も修行します。ですけれども、一般の方たち皆様方もまた修行を行って徳を積んで命をもらう日、仏となる日を迎えるべきなんです。そしてその苦しみのない世界に生まれ変わるこれが本当の命日の意味なんです。修行ってだけど辛いんですよね。一人前になるための修行、仏道修行ももちろん大変です。でも板前さん、お寿司屋さんに成るための修行、さらには美容師さんになるための修行だって、パーマ液で手が荒れて大変なんですよね、教育者になるためには、教育実習にも行かなければならないし、花嫁さんになるお嫁さんになるんだって花嫁修行が大変だと思います。

これは新しい命をしっかりと始めるためには修行が必要なんです。死は命日は、本当の命をもらって新しい命のスタートなんだ。こういう見解が広まり死をただマイナスのイメージ負のイメージだけではなく、この大切な人との別れがなかなか乗り越えられない人のためにお役に立てれば幸いだと思って今回の動画を発信いたします。
どうか今一度大切な人との別れ、死、そして命日とは何なんだろうか自分も命日がまいります。その命日を家族にどう過ごして欲しいかそれを思えば自ずと答えが出てくるはずです。どうか皆様方もいい命日をお過ごし頂けますようにお祈り申し上げて今回の動画とさしてもらいます。ご視聴ありがとうございました。

ここからは運営者の感想です
如何ですか、命日が命の始まりとの解釈は斬新な考えに聞こえました
それに故人は生前との表現も確かに言われてみれば、生前も生まれる前ですよね、それに往生もおかしいですよね。もう一つ誕生日もありますが、誕生日の誕には「うそ、いつわり」って意味もあるんですよね。そう考えると、ますます生前もおかしいなぁと思います。
 
今回の動画はグリーフアドバイスのサイトにリンクを入れて有りますのでご覧下さい。グリーフアドバイス運営者 深井
グリーフアドバイスは喪失経験者からあなたへのアドバイスサイトです