【死別・グリーフケア】31歳でガンで亡くなった旦那から
受け取った大切なもの
今回はユーチューブから31歳でご主人を亡くされた、みほさんの
動画から文字起こししたテキストファイルをご紹介します。
31歳の若さで旅立たれたご主人から学ばれたみほさんの
「人は全て余命を生きているんですね」の言葉には考えさせ
られました。
(引用ここから)
皆さん今日は、みほです。
チャンネルに遊びに来てくださりありがとうございます。
初めましての方向けに、少し自己紹介したいと思うんですけど、
私は昨年の9月に、旦那をガンで亡くしている人間です。
当時彼は31歳で、私たちの結婚3ヶ月目の時でした。
来月で一周忌になるんですけど、正直まだ辛いんですし、
彼がいないって言うのも、本当に毎日寂しいです。
今よりまだボロボロだった時に、私は心に決めたことが二つありまして、
一つが「彼を暖かく抱えられるようになる」こと二つ目が「より良く生きる」
ことです。彼の死っていうのはたしかに辛いんですけど、それと同時にたく
さんのことを受け取りまして、そんなことを皆さんとシェアしたくて今回お話
することにしました。
三つほど話があるんですけど、一つ目は「生きて居るだけで十分」っていう
感覚です。旦那はもともと骨肉腫っていう、骨のガンを患ってまして
右の太ももの骨を骨折したと同時に病気が発覚したんですね。
その1年後に肺に転移したんですけど、肺に転移した時点でいつ呼吸困難
になっても、おかしくないっていう形でその後、余命宣告も受けていたんですけど
余命宣告を受けて、いつ体調が急変するか分からない人との生活って、
本当に気が気じゃないんですよ。
朝、彼が目覚めてくれるだけで本当に安心しますし、嬉しくもなりますし。
彼と過ごして思ったことは、「大切な人って生きてくれてるだけで嬉しいんだ」
「十分なんだ」って思いました。
普段、私たちって生活しているとつい自分、自分だけじゃなくて他人にも
厳しくなったりとか、求めすぎちゃったりとかするじゃないですか。
でも、本当は大切な人って、生きて居るだけで十分なんだなって思いました。
彼が私にとってそういう存在だったように、私も彼にとってそういう存在だったと
思います。皆さんにも、そういう人がいると思うんですよね。
いてくれるだけで安心するとか、嬉しくなうとか、笑顔になれるとか。
そういう人って誰しもがもってるのかなって、私は思うんですけど。
それに気付かせてくれたのは彼のお陰。
彼がもうすぐで亡くなりそうとか、実際に亡くなったっていう
そういう状況っていうのが「生きて居るだけで十分」っていう感覚を
私に教えてくれました。
辛い時は「こんなことがあったんだから」「辛くて当然だよね」って
「生きてるだけで私、頑張ってる!」ってそう思う様になりました。
自分に優しくできるようになりました。
二つ目は「この世界って美しいな」って思う心です。
大切な人を亡くすと、それまで綺麗に思えてたものが、
綺麗に思えなくなるみたいなんですよね。私の場合は逆の反応が
起きまして、不謹慎だと思われないといいんですけど。
旦那は余命一ヶ月宣告を受けていたので、そんな彼との毎日って
本当に貴重でかけがえなく思えるんですよ。
いっしょに食事をとるにも、寝るにしても彼といっしょに過ごせると、
同じ空間にいられること、本当に貴重に思うから、しっかり彼を見ますし
彼の話とか独り言であっても、「全部覚えて居よう」ってよく聴くように
なるんですよね。自分の五感すべてでその時を体験しよとするので
すごく心に刻まれました。彼が亡くなってからも、木の緑とか空の青さとか
普通に生活している中でもグラスに注ぐ水の音とかも。
意識を向けると「美しいなあ」って感じるようになりました。
これも彼にもらった感受性だなって思います。
三つ目は「人生に対する謙虚さ」です。
「生きたくても生きられない人がいる」っていうのは皆さん、
普段ニュースとか見ていたらご存知じゃないですか
例えば、直近の話ですと、安倍首相が突然亡くなったり
しましたよね。「時間は命」なんですよね。
「時は金成」っていう言葉がありますけど、時間ってお金では
買えないじゃないですか。だから、きっとお金より貴重なものなんですよね。
私の旦那は余命宣告を受けていましたが、余命宣告と聞くと「珍しい】
【絶望的な状況】って思われるかもしれないんですけど、でも本当は私たち
みんな余命を生きて居るんですよね。だって、いつ死ぬか分からないですし
死に方も私たち選べないじゃないですか、基本的な「生まれること」「死ぬこと」
について私たちは選ぶことができなくて、私たちができることと言えば生死の間
の細かくて具体的なことばかり、些細なことばかりなんだって思ったんですよね。
死ぬことができるのって、1回だけじゃないですか。そう考えると、自分を
生きられるのって1回だけ。今、もし人生に我慢をしていたりですとか、
自分に無理をかけていたりですとか、毎日充実して過ごせていないなぁって
思う方がいるのであれば「時間は命」です。「チャンスは1回」だけなんです。
自分の人生の、だから「自分のことを大切にしてほしい」って思いますし
「どうか自分の人生を歩んでほしい」って思います。
私が亡くなった大切な人から受け取ったものは「自分に対する優しさ」
「自分の人生を生きる勇気」「毎日毎日を慈しむ姿勢」です。
これは彼が亡くなったからこそ気づけたこと、考えられたこと、
死っていうと「縁起が悪い」ですとか「湿っぽい話で聞きたくない」とか
思われる方の方がもしかすると、世の中多いかもしれないんですけど
本当は生きている人みんな「死」って身近ですし、自分のことなんですよね。
私はたまたま大切な人が目の前で亡くなって「自分もいつか死ぬんだなぁ」とか
「死に方って選べないんだなぁ」とか、そういう風に向き合ってからより良く生きられる
ようになりました。死とか死別って暗い話に思われるかもしれないんですけど、
明るい側面もある。そんなことをシェアしたくてお話してみました。
如何でしたでしょうか?皆さんの考えとか、皆さんの経験とかも是非お聞きしたいので
よかったらコメント欄にお書き下さい。生前に旦那がやっていたYOUTUBEチャンネル
のリンクも概要欄に貼っておきます。
こんなことを私Twitterでも発信しているので、もし興味ありましたら遊びに来て
ください。ご視聴くださり、ありがとうございました。
また、次の動画でお会いできると嬉しいです。またね~へへ
(引用ここまで)
如何ですか?考えさせられますよね。
このテキストの元の動画は私の運営するグリーフアドバイスにリンクを
貼っておりますのでご利用下さい。
私の運営するグリーフアドバイスのサイトでは、他にもグリーフケアに関する
情報を色々掲載しています。一度お立ち寄り下さい。
受け取った大切なもの
今回はユーチューブから31歳でご主人を亡くされた、みほさんの
動画から文字起こししたテキストファイルをご紹介します。
31歳の若さで旅立たれたご主人から学ばれたみほさんの
「人は全て余命を生きているんですね」の言葉には考えさせ
られました。
(引用ここから)
皆さん今日は、みほです。
チャンネルに遊びに来てくださりありがとうございます。
初めましての方向けに、少し自己紹介したいと思うんですけど、
私は昨年の9月に、旦那をガンで亡くしている人間です。
当時彼は31歳で、私たちの結婚3ヶ月目の時でした。
来月で一周忌になるんですけど、正直まだ辛いんですし、
彼がいないって言うのも、本当に毎日寂しいです。
今よりまだボロボロだった時に、私は心に決めたことが二つありまして、
一つが「彼を暖かく抱えられるようになる」こと二つ目が「より良く生きる」
ことです。彼の死っていうのはたしかに辛いんですけど、それと同時にたく
さんのことを受け取りまして、そんなことを皆さんとシェアしたくて今回お話
することにしました。
三つほど話があるんですけど、一つ目は「生きて居るだけで十分」っていう
感覚です。旦那はもともと骨肉腫っていう、骨のガンを患ってまして
右の太ももの骨を骨折したと同時に病気が発覚したんですね。
その1年後に肺に転移したんですけど、肺に転移した時点でいつ呼吸困難
になっても、おかしくないっていう形でその後、余命宣告も受けていたんですけど
余命宣告を受けて、いつ体調が急変するか分からない人との生活って、
本当に気が気じゃないんですよ。
朝、彼が目覚めてくれるだけで本当に安心しますし、嬉しくもなりますし。
彼と過ごして思ったことは、「大切な人って生きてくれてるだけで嬉しいんだ」
「十分なんだ」って思いました。
普段、私たちって生活しているとつい自分、自分だけじゃなくて他人にも
厳しくなったりとか、求めすぎちゃったりとかするじゃないですか。
でも、本当は大切な人って、生きて居るだけで十分なんだなって思いました。
彼が私にとってそういう存在だったように、私も彼にとってそういう存在だったと
思います。皆さんにも、そういう人がいると思うんですよね。
いてくれるだけで安心するとか、嬉しくなうとか、笑顔になれるとか。
そういう人って誰しもがもってるのかなって、私は思うんですけど。
それに気付かせてくれたのは彼のお陰。
彼がもうすぐで亡くなりそうとか、実際に亡くなったっていう
そういう状況っていうのが「生きて居るだけで十分」っていう感覚を
私に教えてくれました。
辛い時は「こんなことがあったんだから」「辛くて当然だよね」って
「生きてるだけで私、頑張ってる!」ってそう思う様になりました。
自分に優しくできるようになりました。
二つ目は「この世界って美しいな」って思う心です。
大切な人を亡くすと、それまで綺麗に思えてたものが、
綺麗に思えなくなるみたいなんですよね。私の場合は逆の反応が
起きまして、不謹慎だと思われないといいんですけど。
旦那は余命一ヶ月宣告を受けていたので、そんな彼との毎日って
本当に貴重でかけがえなく思えるんですよ。
いっしょに食事をとるにも、寝るにしても彼といっしょに過ごせると、
同じ空間にいられること、本当に貴重に思うから、しっかり彼を見ますし
彼の話とか独り言であっても、「全部覚えて居よう」ってよく聴くように
なるんですよね。自分の五感すべてでその時を体験しよとするので
すごく心に刻まれました。彼が亡くなってからも、木の緑とか空の青さとか
普通に生活している中でもグラスに注ぐ水の音とかも。
意識を向けると「美しいなあ」って感じるようになりました。
これも彼にもらった感受性だなって思います。
三つ目は「人生に対する謙虚さ」です。
「生きたくても生きられない人がいる」っていうのは皆さん、
普段ニュースとか見ていたらご存知じゃないですか
例えば、直近の話ですと、安倍首相が突然亡くなったり
しましたよね。「時間は命」なんですよね。
「時は金成」っていう言葉がありますけど、時間ってお金では
買えないじゃないですか。だから、きっとお金より貴重なものなんですよね。
私の旦那は余命宣告を受けていましたが、余命宣告と聞くと「珍しい】
【絶望的な状況】って思われるかもしれないんですけど、でも本当は私たち
みんな余命を生きて居るんですよね。だって、いつ死ぬか分からないですし
死に方も私たち選べないじゃないですか、基本的な「生まれること」「死ぬこと」
について私たちは選ぶことができなくて、私たちができることと言えば生死の間
の細かくて具体的なことばかり、些細なことばかりなんだって思ったんですよね。
死ぬことができるのって、1回だけじゃないですか。そう考えると、自分を
生きられるのって1回だけ。今、もし人生に我慢をしていたりですとか、
自分に無理をかけていたりですとか、毎日充実して過ごせていないなぁって
思う方がいるのであれば「時間は命」です。「チャンスは1回」だけなんです。
自分の人生の、だから「自分のことを大切にしてほしい」って思いますし
「どうか自分の人生を歩んでほしい」って思います。
私が亡くなった大切な人から受け取ったものは「自分に対する優しさ」
「自分の人生を生きる勇気」「毎日毎日を慈しむ姿勢」です。
これは彼が亡くなったからこそ気づけたこと、考えられたこと、
死っていうと「縁起が悪い」ですとか「湿っぽい話で聞きたくない」とか
思われる方の方がもしかすると、世の中多いかもしれないんですけど
本当は生きている人みんな「死」って身近ですし、自分のことなんですよね。
私はたまたま大切な人が目の前で亡くなって「自分もいつか死ぬんだなぁ」とか
「死に方って選べないんだなぁ」とか、そういう風に向き合ってからより良く生きられる
ようになりました。死とか死別って暗い話に思われるかもしれないんですけど、
明るい側面もある。そんなことをシェアしたくてお話してみました。
如何でしたでしょうか?皆さんの考えとか、皆さんの経験とかも是非お聞きしたいので
よかったらコメント欄にお書き下さい。生前に旦那がやっていたYOUTUBEチャンネル
のリンクも概要欄に貼っておきます。
こんなことを私Twitterでも発信しているので、もし興味ありましたら遊びに来て
ください。ご視聴くださり、ありがとうございました。
また、次の動画でお会いできると嬉しいです。またね~へへ
(引用ここまで)
如何ですか?考えさせられますよね。
このテキストの元の動画は私の運営するグリーフアドバイスにリンクを
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