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私自身の喪失体験から、グリーフケアに関する情報を発信して参ります。

水子の霊は死後何をしているか?水子供養を知って乗り越える苦しみ

2023-01-13 21:33:02 | 日記
今日はちょっと、真剣な水子のお話です。

ユーチューブの動画より引用しています。妙法寺 泉チャンネル 妙法寺副住職 泉水寛道さんの法話です。音声ファイルより文字起こしでテキストにしました。長文ですがご覧下さい。
ここより引用します。
みなさんこんにちは妙法寺がお届をしております。ユーチューブチャンネル泉ちゃんです。今回は水子という幼い魂について皆様と共には学んで行こうと思います。そもそも水子とは何か、これはひとたび母親のお母さんの胎内に小さな命の種を
芽吹かせながらも、今生との縁が薄くして生まれ出づることの叶わなかった流産であったり、死産であったり、また人工的な中絶であったり、そのようにして生まれ出づることの叶わなかった幼い魂のことをいいます。

また、生まれることはできたけれども何だかの拍子に呼吸ができなくなったり、また心肺停止になってしまったりして、
生まれたけれども、僅かな時間で旅立っていった人の魂のことも、またこれ水子と評します。そもそも、なぜ水子と言う言い方をするのか、諸説ありますけれども その一つに日本神話にも出て参ります。日本神話というとヤマトタケルミコトですとか、須佐之男のミコト、天照大神、いろんな神々が出てきます。

その中のイザナミとイザナギという神がいるんですが、この二人の間には赤ちゃん子供が授かりました。実はその赤ちゃんが生まれたときに、その二人はその赤ちゃんを見てすぐ海に流してしまったんです。この日本神話の中でそのことを我が産める子よく非らず(わがうめるこよくあらず)と、書かれております。そしてこの子の名前はこのように記されています
水蛭子(ヒルコ)水に蛭(ヒル)子供と書きます。

蛭というのは動物に寄生をして血液を吸うヒルという動物です。なぜヒルという字が使われているのかわがうめるこよくあらずの言葉とこの蛭という文字、これを踏まえて考えるとおそらくイザナミとイザナギの間に生まれたヒルコという子は
手足が無かった、もしくは手足がひょうあいがあった、蛭のような姿形をしていたんだと拝察することができます。そしてイザナギとイザナミはその子を見て、よくない子が生まれてしまったとして海に流した。

そのことからヒルコのヒルという字は取って水と子を残して水子と呼ばれるようになったという説。また元気な姿を見ずにしてなくなっていった見ず子という意味から水子というふうに呼ぶという説。さらにはお母さんのおなかの中の羊水、それと共に流れてしまったという意味から水子ということもあるそうです。この水子さんに対して悩まれる方というのは大変多くいらっしゃいます。特に女性。そうですよね、やはり女性の体に体内に命が芽生えるわけですからやはり女性が悩むことも納得ができます。

もちろん男性でも心が病んでしまう方も多いわけですが、大半の方は女性であります。そして中にはその弱ってる心に漬け込んで、宗教者であったり、霊媒師霊能力者と言われる方達があなたには水子の霊が憑いてる、
水子の祟りがあるあるなどと言って不安をあおり恐怖に陥れて、いろいろなよからぬことを企む方も中にはいるようです。
果たして水子、自分の子供が親を恨んで、親を祟ったりするでしょうか。確かに兄弟姉妹、先に生まれたお兄ちゃんお姉ちゃんがいたり、その自分が生まれなかった後に授かった子どもが元気に生まれて、お父さんお母さんと生活をしている姿を見ればそれは羨ましいと思うと思います。命があってお父さん、大好きなお父さんお母さんと生活が出来ているのに、それにもかかわらずお父さんお母さんを困らせたり、我儘を言ったり迷惑を掛けたりするその兄弟たちを見たときに、確かに良い気持ちはしないはずです。

私はお寺に水子供養に来られる方ご縁があって水子さんのお供養葬儀させてもらうときに伝える言葉があるんです。
それはお父さんお母さんの心が落ち着いたら、時が満ちたら、心の傷が癒えたらどうかその家族兄弟息子さん娘さんたちに「あなたたちには兄弟が居たのよ」ではなくて「兄弟が居るのよ」という風にお伝えをしてもらいたいそのように言うんです。忘れないであげて欲しい、存在を認めてあげてほしい、それが泣き水子さんへの一番の供養でもなかろうかと、そのようにお伝えするようにしています。

その時に流産なのか、中絶なのか、死産なのかそこまでは言う必要はないんです。もちろん事情があると思います。お父さんがわからなかったり、幼い頃だったり、知られたくない過去もあるかもしれない、けれどもそこは方便を用いたって構わない あなたたちがしっかりと覚えていたっていい、それでも構わないけれどもそこはぜひ伝えられる努力、その子に対してしてあげられる努力というのもあってもいいのではないかと思います。皆さんは賽の河原という言葉を聞いたことがありますか。

これは親より先になくなっていった幼い子どもたちの霊、魂が流され集まるところなんです。そこで幼い魂霊たちは報われない苦行を延々とさせられるんです。どのようなことか、それは二度と会えない母を思い、石を積み重ねていくんです
そして父を思い、また石を積み重ねて石の塔を作る。できた!やっと完成したと思うとそこへ賽の河原の冥界の使者が現れて、その石の塔崩すんです。もう一度やり直せと言って、今一度母を思っては塔を立て石を積み、父を思って石を積むんですが、また崩されるそれを幾度も幾度もやらされるんです。

ですが、ある日石を積み終わってもその冥界の使者はそれを崩そうとしない、どうしてこの人は今日は崩さないんだろう。幼い魂たちがその使者を見ると使者は言うんです。もう、そんなことはしなくていいぞ、向こう側には渡れと言って
生まれ変わりのひっかきをくれるんです。どうして死者は塔を崩さなくなったのでしょうか?死者は幼い魂たちにこう告げます。今まで大変だったなあ、でももう積まなくていいんだ、なぜならお前のお母さんが初めて笑った心から笑顔で笑ったんだ、もう大丈夫だ、もうお前さんは石を積まなくていい、生まれ変わっていい、お前のお母さんはもう大丈夫だ
我が頭(こうべ)は父母の頭、はが足は父母の足、我が十指は父母の十指我が口は父母の口也。

例えば種子と木の実、身と影の如しという言葉もございます。子供の苦しみは父母の苦しみであります。それと同様に
父母の苦しみはまた子も苦しむんです。両親が水子さん、幼い命を守れなかったその後悔、反省、後ろめたさや自分を責める心を持てば、子もまた苦しむんです。ですから一日でも早く、ご夫婦でこの悲しみを乗り越えて、笑える日を迎えられる
ようにご夫婦で努力をしましょう。心から笑える日がくれば必ず水子さんも救われます。

この動画を出す前の動画では、お経を始めて私配信させてもらいました。それも水子供養のお経回向であります。
これを流した日は、実は令和3年の5月の母の日でありました。
どうしてもその日に流したくて朝お経をとって配信させてもらいました。なぜ、母の日にその動画を流したかったか。
その水子さんができて、その後お子さんが生まれなくなってしまったお子さんをつくれなかった。その方は一生子を持つことができないんです。

母になれないんです。けれども母を宿した事のある方は母になったんです。
皆さんは年齢の数え方で数え歳っていうのをご存知でしょうか普通は満年齢で数えますよね、けれども昔の方ってのは数え年でも数えるんです。まあ簡単に言うならば、自分の満年齢にまあ単純に一を足すということが多いんで、まあいろんな数方がありますけれども、なぜそのような数え方をしたのかそれはお母さんの体の中に命が宿った瞬間からオギャーと生まれるまでは約と10月10日間お母さんのおなかの中で命を育むわけです。

そして人が亡くなってから次の生まれ変わりまでの四十九日間、この間も生まれ変わるまでですから、そのと10月10日と四十九日を合わせて約1年生まれたときから、一つプラスこれは数え年の言われなんです。このことを踏まえると無くなった四十九日間ももちろんでありますが、お母さんのお腹にいる間の十月十日、これまた人も一生の始まりである、つまりは命が生まれたってことなんです。ですから水子さんを設けてしまった、母になれなかったと、思う人がいるかもしれないけれども、お腹に宿した瞬間から母になったんです。母の日というのはもちろん母に感謝をする日でもありますけれども、自分が母であると自覚をする日、そして母であるならば子を大事に思うし、これがまた母の日でもなかろうかと私は思うんです。

ですから母の日に、あの水子供養のお経の動画を流させてもらいました。ぜひそちらも合わせてご視聴いただければと思います。してこの東山では、6月の第1日曜日に、纏っている御守護神の年に一度の大祭とそして水子供養会をおこなっております。塔婆を建て、亡き水子さんに懇ろなご供養捧げる年に一回の大きな行事であります。どなたでもご参拝いただけますし、お塔婆の申し込みも賜っております。

もし動画をご視聴方で、塔婆を建ててご供養してもらいたい、ぜひお参りをしたいという方は宗教宗派を問いません。どうかご連絡を頂いてお参りいただければと思います。今日は水子のお話をさせてもらいました。どうか水子で悩むお父さんお母さん、心から笑えて、心から笑顔を作れて、ここに感謝できる日が一刻も早く訪れますことをお祈りして「ごめんね」という思いではなく「ありがとう」の思いで手を合わせていただきたいと思います。今日の法話は以上でございます。ご視聴ありがとうございました。

引用ここまで
如何ですか? 水子の事は詳しく知らなかった私には驚きの法話です。賽の河原の話は本当にいい話ですね、水子となった幼い魂が苦行させられるけれども、その母親の笑顔が得られた瞬間にその苦行はしなくても良い、そして向こうの世界に行き仏となる。何か胸にじぃ~んときました。これが本当に供養なんですね。
グリーフアドバイス運営者 深井
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