私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

ユニクロよりワークマンプラスが好きだ!

2025年03月14日 | 自分のブログ

タイトルは「ユニクロよりワークマンプラスが好きだ」にしましたが、その理由がいくつかあります。

どちらもコスパは良いかと思いますが、先ずは都会派的な?(インドア―)ユニクロにお世話になる機会が少ないからでしょう。

日常生活や趣味からしても、軽くて機能的な普段着と作業服を兼ね合わせたモノで十分なのです。しかも安いとくりゃね。

ワークマンは働く人のための作業服ですが、プラスで少しだけお洒落にもなりました。

道志で木を伐採仕事にしている作業者が着ているのも、その機能性と着心地からなのでしょう。

インナーのような長袖は、私も愛用しているモノと同じワークマンです。防寒着も同じくです。

チェンソーを使う場合は、刃が足に当たってもケガなしないような特別仕様の他社製品を使っているようです。

村のおっちゃんは山仕事している方ですが、みなさんワークマンです。左側の方の着ているモノは私と同じモノなのです。

これです。内側が銀色の防寒材で軽くて、風を通しません。保温性があるのでしょうね。

ほら、私も来て居るでしょ。

ワークマンプラスには、基本的に機能性(着やすさ重視)ですので、インナーの保温性と低価格でオシャレも関係なくなった私向きと言って良いのでしょう。

同じようなものを、スポーツ店で買い求めれば5000円近くするかも知れませんが、ワークマンですとその半額以下です。

また、アウトドアー派(キャンプ・スキー・バイク乗り)方々なども気に入っているようです。

私は道志で、焚火もしますが燃えにくい素材で出来ているジャンパーなどを着ています。

これらのインナーなどは、スポーツジムで愛用しています。

ただ、ユニクロと違って品揃えが少なく、きれいに陳列されていません。きっと店員さんも二人くらいで、基本的には自分であるものを見つけて買い求めるのです。

以前、気に入っていたジャンパーも今年はありませんでした。

この靴下は3足で500円です。アンダーパンツも500円でした。

ものによってはコスパが良いのです。もちろん作業衣類品屋さんですので、手袋から長靴まであります。

そう、釣り道具やキャンプ用品のナイフとかロープもありましたね。

いわゆるアウトドアーの店なんですよ。もちろん家の中でも、ちょっとした外出着にもなります。

このポスターのとおりです。ちょっと安くて、おしゃれ?したい方(インドア―派)はユニクロなのでしょう。

サラリーマン時代とは着るものも随分変りました。背広もYシャツなどもデパートの紳士服で買い求めていました。

このポスターのように「高性能×低価格」ですので、山のおっちゃんも着ている訳ですよ。

山に良ければ海(釣り)にも良いのでしょう。バイクに良ければ自転車にも着用出来ます。

それも営業時間は午前7:00から午後8:00まで開店しているのも便利です。

以下、商品陳列棚です。*あまり整理されてはいません。

ワークマンプラス愛好者の私です。山仕事している方と同じのインナーですが、ジムのウエアーで着用しています。

店を出ようとしたら、白バイ車両が集団で信号待ちしていました。きっとアンダーウエア―やインナーはワークマンかも知れません。

なんか宣伝しているようで、スミマセン!

 

yuki76

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生涯スポーツとしてのダンスもいろいろ

2025年03月13日 | 自分のブログ

*先ず、ダンスを学連で経験された方や、またご専門になさっている方は、それぞれのご意見をお持ちかと思います。私は50歳近くになって始めたものですから、幼稚園のお遊戯会のようなものの経験と考え方です。

*******

この年齢になっても、生涯スポーツとしてダンスを継続しています。

先日もダンス教室(スタジオ)で、デモンストレーションのレッスンを受けてきました。

出演するのは日常生活とは異次元のような華やかなパーティーです。会場は有名ホテルのフロアーになります。

先生と生徒さん(プロアマ)のデモンストレーションに出演いたします。

それぞれ華やかな会場でドレスや燕尾服などを着て、友人をお呼びしたりして演舞するのです。

40組近くの方々が出演するかと思います。中には年配の女性もきれいなドレスを着て、多少背中が曲がったり足が動かなくても、先生に導かれながら踊って満足感に浸っています。

いろいろなダンスの楽しみ方があるのでしょう。

その他エンディングにはプロのダンサーの方々が踊るのですが、迫力はさすがに異なります。

私もこの女性先生とダンスをご披露するのです。

ダンスにもいろいろとあるかと思いますが、このような異次元の場面ではディナー付きで、生徒さんが40組くらい踊るのです。何十テーブルもフロアーを囲みます。

もちろんご披露するダンスを完成させるには、それなりに練習も必要です。まだ、完成には至っていません。

振り付けなどのレッスン中です。

いつも私が曲を決め、フロアーの使い方や表現などを先生と相談しながら構成を組み立てます。

先生曰く、こんな人(私)は珍しいと・・・?大体が先生が何曲かを選んで、その中で気に入ったモノを選んでいただき、先生がステップなどを考案して踊るのが一般的と言っていました。

7月に開催される教室主催のダンスパーティーに参加するために、何回かのレッスンで演技を固めて行きます。

この時は喜寿(77歳)を迎えています。どこまで頑張れるかです。

*******

その日の夕刻からサークルの練習会に女房と行きました。

結婚して52年になりますが、その半分以上が共通の趣味?としてダンスをしています。

カップル練習ですので、体幹やホールドなど・・・の確認するために踊り込みます。

この日は上級者も加わり、雰囲気も異なります。いろいろなことを教えていただけます。

このメンバーは競技選手が中心です。

この方(武○さん)との出会いは、ある駅前のダンススタジオでのグループレッスンでお会いしたの縁でした。

その後、連絡を取りあい市で行われるパーティーに誘ったのが始まりで、今では良きコーチャーになっていただいています。学連出身の方で私たちとは基本が異なります。

やはりA級選手ですので、実力も指導も伴っています。また、お会いしたころは子どもさんが生まれたばかりでしたが、もう中学生になるようで長いお付き合いになりました。

私は40歳代後半からダンスを始めましたが、当初はランクアップのために夢中になっていました。もちろん仕事も大事です。また、その他の趣味や付き合いも大事にして来ました。

ダンスにはいろいろな形があります。パーティーで楽しんで踊るようなダンスもあれば、一応私たちのように競技(背番号を付けて)のダンスもあります。さらに各都道府県では地区対抗戦も開催もあります。

そして、競技ダンスです。各ランクごとに戦います。年齢など無制限もあれば、50歳以上とか60歳以上の年齢別もあります。

あとは気楽にダンス仲間と行くホテル主催のクリスマスパーティーや各地域で踊れる会場で楽しむ方もおります。

*******

コロナ禍も終息して日常生活が戻って来ましたが、合わせて72歳まで働いて退職しこの5年間は仕事人間としても目的を失い、気持ちも不安定でダッチロール(操縦不能)しているようで、何ごとにも身が入らない時もありました。

現在、ダンスも続けていますが、主としてスポーツジムでトレーニングに励む日々が中心です。それなりの効果も出てきました。また、ダンスも再開し始めましたので「ボケ」は申し少し先送りしたい気持ちです。

こうして、年寄り夫婦が生涯スポーツとしてのダンスを楽しんで?います。

 

yuki76

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1日 に2.5食(朝・午後・夕)

2025年03月12日 | 自分のブログ

最近はジムに通い出して、1日に2.5食になっています。

先ずは朝食です。

玄米フレークに青汁(粉末)をかけて、アーモンドミルク入れてが主食です。

野菜もいただいています。この画像は二人分ですので半分程度です。

ジムから帰宅すると昼を挟んで午後2時近くになっています。

夕食までは小腹が空きますので、せんべいや冷蔵庫にあるものをいただいています。

これが0.5食ですかね。

ビーフンや蕎麦を少しです。

厚揚げも焼いて、この半分をいただきます。

時には蕎麦も半分程度です。

そして夕食です。

サラダや量は多いのですが、これも二人分です。普通食です。

さかな屋さんで美味しそうな刺身がありましたので、買い求めて来ました。(二人分でも余ります)

また、ダンス仲間から自宅で(駅近くの一等地の庭で)収穫したフキノトウの天ぷらです。

そして、カボチャの天ぷらもです。

あれだけ好きだった(習慣だった)、晩酌も今ではやめています

買い置きした”いいちこ”が余っています。

トンカツなど揚げ物はほとんどいただいていません。

これが日常の1日に2.5食です。胃も小さくなったのか、そんなに大食いすることもありません。

どこまで、この食生活が続くか分かりませんが、目標体重まで実行したいですね。

しかし、一般的な目標体重は成人男性はかなり低い数値になっています。そんなに痩せたら返って病になっちゃうようです。まぁ~あと2~3kg減ですかね。

なんか、自分に対していろいろな部分でストイックな面があるのでしょう。

「ボケ」は遠からじやって来ます。それに対する挑戦?かも知れません。

 

yuki76

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陽が昇るのを見ながら風呂に入りてぇ~

2025年03月11日 | 自分のブログ

伊豆の山々から陽が昇ってきました。

海と最上階の温泉風呂が一体化しています。

以前、この海岸から12km離れた熱海海岸まで遠泳レースに出場したこともあります。

レースですので、いかに早く泳ぐかですが3時間25分かかりました。

もう、300m泳ぐのもやっとです。

この時は母親と女房の3人でゆっくりしましたね。

夫婦二人の年齢を合わせても150歳になりました。

好きなリゾートホテルです。

エクシブ初島にて

 

yuki76

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私の知っている利賀村(富山県)

2025年03月10日 | 自分のブログ

私の知っている利賀村は交通の便も良くなく、まさに過疎と秘境と言われるような場所でした。その利賀村には縁あって、何度か伺っています。

今では周辺8町村で平成の大合併し、平成16(2004)年に南砺市となりました。

利賀村での「第一回世界そば祭り」に伺いました。初めての開催で村道は渋滞し、村で渋滞したの初めて見たとおばあちゃんが言っていました。

また「世界演劇祭」(スコット)の開催地として世界的に知られていますが、その演劇祭にも伺ってことがあります。村民は人情味あふれる人ばかりです。

当時、利賀村と協力して鈴木忠志氏により野外劇場・稽古場・宿舎などを増設し、利賀におけるSCOTの活動は世界の注目を集め、利賀村は一躍、世界の演劇人に聖地の一つと言われるようになりました。日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」を開催に伺い野外劇場に感銘した私でした。

宿泊は民泊もありました。また、民宿でもお世話になりました。

民家や民宿もそんな豪華な料理ではありません。ある食材をお出ししていただいただけでもてなしの心が伝わります。

私としては、合併前の利賀村や五箇山の合掌造りが保存されている村が素朴で好きな場所でした。

鯉のあらいや骨酒もいただきました。もちろん蕎麦もです。

特に民泊では、イワナの骨酒をたっぷりと飲まされた記憶があります。酔って満足していただくのが利賀村のおもてなしなのかも知れません?

五箇山地域は豪雪地帯として有名ですが、また 秋口の田んぼは日本の原風景が見られました。

もちろん、季節になれば観光客も多く訪れていました。

こんな静かな佇まいが好きでした。

*すべて自分がパチリしたものです。

私的には贅沢かと思いますが、こんな静かな利賀村と五箇山地域が好きでした。

しかし、今では世界文化遺産 「五箇山の合掌造りの村」は、今年の豪雪でもインバンドなのか?多くの観光客が訪れているようです。

この地域にとっては多くの方々が訪れることを望んでいるのでしょうが、私にとってはやはり静かな利賀村や世界遺産の五箇山集落の原風景のことを考えてしまします。

五箇山の合掌造り集落は、世界遺産としての価値があるだけでなく、厳しい自然環境の中で受け継がれてきた日本の伝統文化そのものですね。

インバウンド観光客が増えることで、地域経済の活性化や文化の発信につながる一方、住民との関係にはいくつかの課題もあるようです。

もちろん経済的メリットもあるのでしょう

観光客が増えることで、宿泊施設や飲食店、土産物店の売上が向上し、地域の活性化につながるとか、伝統工芸品や郷土料理が注目され、地元産業の発展に貢献しているのでしょう。

最近の異常とも思えるオーバーツーリズムの影響を目にします。

住民の生活圏に大量の観光客が押し寄せ、静かな集落の雰囲気が損なわれるような気もいたします。大型バスの往来やゴミの問題、無秩序な写真撮影などが発生しているとの報道もあります。

このような状況(オーバーツーリズム)は、国内各地で見受けられます。

観光に依存しすぎると、人口減少や高齢化が進む中で、持続可能な地域運営が難しくなる可能性が見えて来ます。

全体的に、観光客と住民が「共存」できる形を模索することが重要なのでしょうが、言うは易く行うのは難しです。
村や町の静けさや独特の文化を守りながら、世界の人々と共有できるような持続可能な観光の形が望まれます。しかし・・・。

この様子は(画像からは)過疎の村には感じられませんが、冬の収入源としてはやむを得ないことなのでしょうね。

最近はあちこちでインバンドによる混雑やトラブルが発生しています。

なんか良い方法や対策はないのでしょうか?無責任な言葉になってしまいました。

最近の異常とも思えるオーバーツーリズムが気になるのですが、だからと言って何もできない私です。

あくまでも、昔の利賀村を思い出しての私見ですのでお許しください。

*一部ネットより画像を拝借しています。

 

yuki76

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いつもの場所で「昼飲み会」

2025年03月09日 | 自分のブログ

いやぁ~ 私がアルコール類を口にするのは2カ月ぶりです。いつもの場所で「昼飲み会」です。

今回は16~7年前にそれぞれが、ある団体の長の時に苦楽をともにした仲間で、今回は初参加のお一人も含めて3人で一杯です。

具体的なことは申し上げられませんが、本当に相談相手になる良き仲間でした。

久しぶりに飲むビールも美味しい!

それぞれが元気で会うことができ、当時の話をするのも楽しいものです。

まだ、午後1時過ぎだと言うのに店内はほぼ満席です。驚くことに女性客が半数以上いるじゃないですかぁ~。

久し振りにお会いした仲間とも昔話に花が咲きます。また、健康など現状報告もです。

どうやって過ごしているの?体調は?などもです。

三陸の生ワカメです。熱湯をかけると色も緑に変り磯の香りがします。

私たちも職場は異なりますが、各団体の長として遠野市や大船渡・陸前高田にも津波の影響など、この目で見なくてはと思い現地にお伺いました。遠野市長や現場の責任者にもお会いしたりする行動的な仲間でした。

もちろん、今回の森林火災でも大船渡に住んでいる先輩に安否確認の電話を入れました。お元気でいて何よりです。

中央が遠野市の市長さんでした。お忙しいなか、秘書課にお願いしてお会い出来ました。

私は、当時の写真をプリントアウトして話の題材としてお持ちしました。

私も含めて、みなさんそれなりの年齢になりました。こうして会って会話することの大切さ嬉しいさと楽しさを感じます。これが苦楽をともにした仲間なんですからね。

昼飲みでは、美味しい料理もたくさん注文しました。

今回は日本酒の徳利が並びました。

久しぶりの酒です。これ良いのでしょう。これ良いのです!

酒とシュウマイもいい!

酒と玉子焼きもいい!

不思議です。こんな時間に昼飲みをしている方が多く、入れ替えながら満席です。

先ほどもご紹介したとおり、何しろ女性客が多いのです。シッカリと飲んでいました。

今回の昼飲み会も仲間といろいろと話し、自分の立場やこれからの方向性を考えたりで、私にとっては定期的にも必要な飲み会です。

私たちも仕事人間だったころは突っ走っていましたが、退職して頼られることが少なくなると不安になるのが不思議です。

ややもすると、自分を見失いがちになる時(年齢的に言っても)がありますが、みなさんと話しをすると、自分の立ち位置が確認できたり、それぞれの幸せ感も分かります。

3時間近くいましたかね?そろそろ店を出る時間になりました。

今回、初参加だった河○さんも、次回も是非誘ってくれとのことです。

歩いて1分の駅前で別れました。

私は近くのパルコ(地下街)に向かいました。一人美味しいものを食べてはと思い、土産?(とは言ってもシラスや干物とみかんなどです)を買い求めました。

ちょうどバスが来ました。かなり混みあって中ほどに進みました。

座席が1つ空いていましたので、失礼!と言って座りました。車窓の道中で傘をさしている方がいます。隣に窮屈そうに座っている方は足の長い外人さんでした。

最初は雪が降って来ましたね!日本バスは座席が狭いから大変でしょ。(日本語でです)

軽く頷き笑っています。今日は寒いですね(英語で)。するとその外人さんは英語で話しかけてきました。私からどこのお国ですか?と聞くと、ハンガリーとのことです。ヨーロッパでも小さな国ですよ。(私の居場所のGPSから、ここですか?と指さしました)

また、スマホで聞いている曲が見えたのでしょう。おぅ~ビートルズですね。良いですね~と。また、日本は安全で良い国だと言っています。ハンガリーの首都圏は寒くて危険な場所だと。でもきれいなイメージがありますよ。というと、郊外はそうですが今は帰りたくないと言っていました。やがて降りる停留所に近づいたのでしょう。手を振っています。

Take care~!と言うとYou too!と返事が返ってきました。

4時前に帰宅して、仲間との会話内容を女房に話しました。

また、ハンガリーの人とも相席になったので話したと言ったら、”そんな日本人はあなたくらいでいないと思うわよ。”と言われました。やはり、私って変っているのですかね?

 

yuki76

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最近「しょうがない」という言葉が多くなった

2025年03月08日 | 自分のブログ

私は最近、諦めの境地なのか?日常的に「しょうがない」という言がが多くなりました。

自分では解決できないことが多過ぎるのでしょう。つい「今の若者は」とか、「昔は…」など比較論が出てきてしまいます。それだけ歳を取った証なのでしょうね。

私の子どもの頃は家のことを手伝うのは当たり前であり義務でもありました。その代償も含めて、食わしてもらえると言う権利?も無言の中にも合ったのでしょう。

今では死語になっている「働かざるもの喰うべからず」なんていう言葉も当然のように使い・考えていました。

内容の発端は、どうしてもできないIA機器のセッティングです。いまでは詳細な取説もありません。アプリをダウンロードして…。またはユーチューブを参考にするのですが、あと一歩が進みません。息子にお願いすると「したかがなしに」やってくれるのですが…。

女房は世代や時代が違うので「しょうがない」でしょ。と言っています。

こんな言葉を何気なく使っていますが、その語源をたどると興味深い背景が見えてきました。

1. 語源:「仕様がない」から「しょうがない」へ

「しょうがない」は、「仕様がない(しようがない)」が変化した言葉とされていました。

「仕様」とは、「やり方」「方法」という意味を持ち、つまり、「仕様がない」とは「方法がない」「どうしようもない」という意味になり、それが縮まって「しょうがない」になったとしています。

2. 「しょうがない」の使い方とニュアンス

「しょうがない」は、時代とともに使い方が少しずつ変わってきました。

  • 諦めの表現:「雨が降ってきたけど、しょうがないね」(仕方がない)
  • 感情の表現:「私は酒が好きでやめられない、しょうがない」(どうにもならない気持ち)
  • 容認の表現:「あの子はまだ子供だから、しょうがないよ」(やむを得ない)

「しょうがない」もまた、単なる諦めの言葉ではなく、時には温かみや共感を込めた表現として使われることがあります。

3. 「しょうがない」に似た表現です

「しょうがない」と似た意味の言葉には、「仕方がない」「やむを得ない」「いたしかたない」などがあります。それぞれ微妙にニュアンスが異なり、例えば「いたしかたない」は少し格式ばった印象があります。

4. 「しょうがない精神」と日本文化?

日本人は歴史的に「しょうがない」という言葉を通じて、困難な状況を受け入れたり、柔軟に対応したりする文化を持っています。特に、自然災害の多い日本では「しょうがない」と言って前を向く精神が根付いているとも言えるのでしょう。

そう'65年のアニマルズの「Don't Let Me Be Misunderstood」(悲しき願い)が有名でしたが、これを日本語で尾藤イサオさんが歌う ♪ベイビー「誰のせいでも ありゃしない  みんな俺らが悪いのか・・・」をつい口ずさんでしまします。

もう少しで、喜寿(77歳)になります。「この山越えれば 花畑」とあります。本当なのでしょうか?春撒きの草花の種でも買って育てますよ。

それにしても、この時代「しょうがない」ことが多過ぎるのではないかと感じていますが、しょうがないことなんですね。

 

yuki76

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関東の人って『オカン』って言わへんの?

2025年03月07日 | 自分のブログ

関西出身のジムのトレーナーに半年前から個人指導を受けています。

*スマホの動画からパチリしていますので、不鮮明でスミマセン!

今までに、スポーツジムは何回か入退会を繰り返していました。最初に入会したのは30年以上前(40歳代)だと思います。

やはりその頃とは目的も異なります。体力と体型づくりでしたが、働き盛りでしたのでジム通いはサボりがちになって行きました。

団塊の世代があるとすれば「コロナ禍経験世代」もあるかと思います。

まさに未知との遭遇のようで、働き方も大きく変化しました。72歳まである企業でお手伝いをして、もう少しいてくれないかと言われましたが完全退職しました。

仕事人間でしたので、その後は日常生活も目的を失いただ習慣的に送る毎日でした。

後期高齢者となりの学生時代の友人の奥さまからの寒中見舞いや、知り合いが入院して個室だと一日2~3万円かかる話しや、ご主人や奥さまが認知症になったとの話も聞きます。

背中も丸くなり、歩幅も短くまさに年寄り歩きになったと、女房から指摘されました。

これじゃ~ダメだ!(本当に年寄りになっちゃう!)と思い、再度ジムに通い始めたのです。

体づくりは、まさにアナログの世界でごまかしやAIが何とかしてくれる訳ではありません。苦しくても自分との戦いです。

*******

今日はジムの内容や体幹づくりの話しではなく、関西出身の若きトレーナーの話しです。

ほんと孫の世代です。ご両親が私の息子たちと同年齢なのです。

もう、半年も個人トレーニングしているものですから、気心も知れて半分は笑いながらです。

昨日も会話で 、関東の人って『オカン』って言わへんの?と言っていました。

関東の人は一般的に「オカン」とは言わず、「お母さん」「おふくろ」などと使うんだよ!と・・・。驚いた様子です。

石油のポリタンは青が関西で、赤が関東などの話しが続きます。

以前、拙ブログで吉○翔太さんをご紹介して、その内容を関西のオカンに見てと送ったそうです。やはり両親は遠く離れた息子のことが心配なのでしょうね。早速ラインでオカンから元気にしているので安心したと返信であったようです。

普段は電話もして来ない、オトンからもあったと言っていました。

吉○さんのご両親さま、翔太さんは頑張っていますよ。入社1年でトレーナー・スタッフのマネジャー(まとめ役)に昇格し、他店に異動になりましたが、明るい性格からきっと成功するかと思います。

吉○トレーナーの性格ですので、どこへ異動されても好かれる存在になることでしょう。

私も何度も関西に出張していますが、優しい人ばかりでした。支店の入っている大きなビルが分からず、通りすがりの方に聞くと同じ方向ですがら案内しますと・・・。同じようなことが2度もありました。同じ方向では無く親切心かと感じましたね。関西の方の親切心と関東人のそっけない人柄が相反します。

大阪ではヒョウ柄のご婦人はほとんど会いませんでした(笑) イメージは怖いものです。

人なつっこくて、朗らかで好青年です。ご両親さまご安心ください!

時には、私の経験から人生論などをアドバイスしています。

「何人と何名」の違い。「退会された会員に声(電話)かけて、再入会を促す方法」

「社内の常識が世間の非常識」外目線(利用者の気持ちになって)ジム内や接客を見る。

「七転び一起き」で良い。七つ転んで経験して一つでも起きれば、それが自分のものになる・・・。(私の造語)

 今度は部下が出来るので、注意する時はまで対面で、褒める時はみんなの前で・・・。

4月5日にはFWJのメンズフィジーク(ボディービル大会)に出場するそうです。

是非、ファーストコール(入賞を期待しています)

私も吉○トレーナーのおかげで7㎏近く痩せて、これには負けじと私も先月ダンスの試合に出場して、ラテンダンスのあるランクで優勝いたしました。

御年76歳と74歳の高齢者(パートナーは女房)です。これも吉○さんのおかげと感謝しています。

スタンダード(燕尾服)は準決勝敗退でした。

吉○トレーナーの異動のお知らせが掲示されました。

多くの吉○フアンが残念がっています。それだけ愛されて来た証なのでしょう。

私も残念ですが、人生で異動は付きものです。さらに羽ばたいて頑張っていただきたいものです。

AIがタイトルだけ入れると、その方に合わせて勝手に曲を作ってくれる(SUNO)ソフトがあります。作成し聞いていただいたら、これをコピーして欲しいとのことでした。

また、私はChatGPTを良く利用しています。

年配者ですが、まだ若者には負けていられない部分もあります。

吉○翔太さんのご両親さま、立派に成長していますのでご安心ください!

*今回はトレーナーのご両親に対する事務連絡のような内容になりましたが、お許しください。

 

yuki76

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竹筒で灯りを作る

2025年03月06日 | 自分のブログ

我が家に出て来る竹は真竹(細い)のですが、近所から孟宗竹(太い)をいただき、竹筒灯を作ってみました。

分かりづらいかと思いますが、竹を適当な長さに切って表面にガムテープを巻きます。

そして、マジック等で好きな曲線を描いて行きます。

更に青い皮は、カッターナイフ等で深めに(強く)曲線に合わせて削るのです。

何故、ガムテープを巻くかですが、竹の表面がささくれ立ってきれいに削れなくからです。

どんな曲線にするかは、頭の中のイメージだけです。

丁寧に青い皮を剥がすように削るのです。こんな風に作ってみました。

あとは大きさの異なる(大小の)ドリルで、穴を開けて行きます。

注意しないと竹がささくれ立って、きれいな穴が空きません。

一回り小さい竹にロウソクを熔かし、太いたこ糸を芯にして固めます。

暗くなって、火を燈すとこんな風になります。

いかがでしょうか?幻想的な竹灯が出来ました。

後日、豆電球に入れ替えました。竹の上部は雨などが入らないようにアクリル板で蓋をしました。

スイッチ、ポンで灯りが付きます。

アイデア次第で、いろいろな灯りが出来ますね。おもしろいものです。

 

yuki76

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知人の安否が気になる(大船渡)*追記

2025年03月06日 | 自分のブログ

何度かご自宅やスマホに連絡したのですが、つながりませんでした。

今朝(3月6日)先方から連絡が入り、無事で自宅にいるとの連絡が入りました。安堵しています。

森林火災の状況は、現地の方でも分からないようです。返ってリアルタイムのテレビ情報などから得ているようです。

*******

2月19日、岩手県の大船渡市三陸町綾里で発生した山林火災は25日午後、ほぼ消し止められたとの報道がありました。しかし、その後 山林火災は飛び火し各地で手の付けられないような状況で燃え続けています。一向に鎮火する気配もありません。

昨夜から、この地域に雪と雨が降り出しましたので、鎮火することを願うばかりです

その地域には、東京の職場でこの先輩が故郷である大船渡にご夫婦でUターンし、野良作業をしながらのんびりとお暮らし、また地域貢献もしたいと移住を決意されました。

この森林火災の発生がお住いになっている近くの住所でしたので、案じて電話を入れてみました。

直ぐに電話口に出られ、”煙は来るけどまだ安全だ”とのことです。

しかし、その後 森林火災は拡大し、報道ではこの地域にも避難指示が出されました。平成以降最大の焼失面積になっています。

この先輩とのご縁は年賀状のやり取りもありますが、2011年3月11日に発生した「 東日本大震災」で太平洋沿岸に甚大な被害をもたらしました。

特に縁のあった、遠野市(支援基地)や被害の大きかった大船渡市と陸前高田市などの被災支援に係わってきました。被災されたところは、寝泊まりする場所もありません。

発災直後に組織から先遣隊を送り状況確認や支援物資などの準備を始めたのです。

当初は宿泊する場所もなく、遠く離れた内陸の公民館などに寝袋と食料を持参して支援活動をしていました。最初は風呂にも入れませんでした。

私も7回ほど、遠野市・大船渡市・陸前高田市に入りましたが、幸いその先輩のお宅は高台に位置しており、津波の被害から免れたのです。

付近の震災(津波)状況などお聞きするために、連絡を取ったところ ”何も無いけど、寝泊まりはくらいは出来るから自宅に来ないか”と言われお世話になりました。

お住い近くの踏切です。電車が通らなくても、住民の方々は一時停止をしています。

yuki君久しぶりだなぁ~と迎えてくれたのです。店も被災されているので何も無いけどと泊めさせていただきました。また、被災した地域も車のガソリンが手に入らない時にご案内いただきました。

お出しいただいたモノは、ほとんどが保存食ですが どれも心温まる、美味しいものでし

た。ご自宅にも囲炉裏や薪ストーブもあり、暖を取りながら冬場の農作業をしていたとのことです。

何も無いと言いながらも、贅沢な料理が出されました。(美味しいお酒もいただきました)

これぞおもてなしなのでしょう。思い出しては目が潤んで来ます。

この時 お世話になった、奥さま(もちろん職場で存じあげている方です)は5~6年前に他界され、今ではお一人暮らしで過ごしているようです。

海を見下ろすことが出来る畑に小屋を作り、老後を楽しんでいたようです。

私にとっては憧れの生活で、マネして同じように道志村に通い生活した原点です。

まさに津波で被災された漁港が見えます。

そんなに世話になった方が、今度は森林火災でどこかに避難されているかと思います。その安否も気になります。自宅の電話は出ませんし、携帯電話をして良いのかも躊躇している状況です。

大船渡市でも5日未明から雪や雨が降る予報となっていて、少なくとも30ミリ以上の雨量が予想されています。

14年前は大地震と津波に襲われ、高台に新居を構えた方々は森林火災にと、本当に疲弊していることでしょう。

*******

東日本大震災の発災直後から、関係する職場で動き出した私です。

現地に向かった時の山々です。きっと、この山も焼失したのでしょう。

大震災で受けた悲惨な状況を目のあたりにしました。

そこには津波の恐ろしさがありました。

ただ茫然と佇む私です。無力を感じます。(陸前高田にて)

美しいのどかな場所ですが、きっと この山々も焼失したのでしょう。

被災を受けても、カルガモ?親子も生き延びていました。

今度は 何かの形で恩返しをしたい…。

先輩の安否も気になります。

今日でもつながるかどうかは分かりませんが、携帯電話に連絡を入れてみます。

*先ほど、ご自宅と携帯に電話を入れてみましたが、つながりませんでした・・・。

 

yuki76

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「男は妻に先立たれることを考えない」

2025年03月04日 | 自分のブログ

「男は妻に先立たれることを考えない → いざという時の狼狽 → しかし時間が経つと順応していく」 ものなんだなと痛感する場面もあります。

きっと、男というのは不思議な生き物で、妻に先立たれることをあまり考えないのでしょう。というより、考えたくないのかもしれません。

私の知り合いにもなかなかの高学歴で、いつも奥さんに命令口調だった人です。ところが、その奥さんが認知症になり入院すると、彼は泣きながら狼狽えていました。あれだけ威張っていたのに、今は「どうすればいいんだ…」と途方に暮れているのです。

また、ダンスの知り合いにもこんな人がいました。奥さんが突然、脳梗塞で他界しました。ショックでしばらくダンスから離れていたようですが、1年も経つと新しいパートナーを探して、また楽しそうに踊っているとのことです。それは寂しさから逃れたいのか?本当にダンスが好きなのか?本人しか分からないかと思います。

その他にもお一人で暮らしている方がいます。道志の別荘でも永住されている方です。

8年前に奥さまは乳がんから他の場所まで転移して他界したそうです。今までのお住いは娘さん夫婦に譲り、時折り(週末は)孫の世話を頼まれて帰っているようです。

器用な方で家の間取りを変えたり、畑仕事で日々を送っています。私より一つ若い方ですが、もうこの一人暮らしも慣れたと言っていました。どこかに奥さまの遺影などは飾ってあるかと思いますが…。

また、ジムでも…。ある時 ”yukiさん 以前 ダンスサークルで一緒だった○○です”と声をかけられました。毎日のように10時ごろにはジムに入り、マシンやランニングされて体を鍛えています。また、ズンバなどのレッスンも受けており、" 汗かいて楽しいよ!"と私も誘われました。

狭いスタジオですが40人くらい(ほとんどが女性)が音楽に合わせて汗をかいています。

“こんなグループレッスンも長くやっていると顔見知りになり、話かけているんですよ“ と...。そして、昼過ぎにはサウナに入ってロビー近くのラウンジで寛いでいました。

どう見ても、朝から昼過ぎまでジムで過ごしているのもですから、”失礼ですけど、奥さまは?” と聞いてみました。定年退職した時には入院されていて6~7年前に他界されたとのことです。

” 帰宅して総菜を買い求めたり、ラーメンに玉子でも落とせば十分ですよ!” と言っています。まさにジムにいることが生活の一部になっているのです。もう80歳近い方です。

私は女房を失えばうろたえるのかと思って失望感をいだくかと思いますが、しかしみなさんを見ていると、現実は悲しみながらも、どうにか適応していくものらしいのです。

もちろん、忘れるわけではない。ただ、時間とともに「それでも生きていくしかない」と思えるようになると感じました。

どうやら人間(男)というのは、意外とたくましく生きて行くのでしょう...。といえ、やっぱり考えたくはないものです。

よく分からないのですが、男性の心理とはそのようなものなんですかね?

この3月に結婚52周年を迎えます。今までは結婚記念日に両方の親に感謝の電報を毎年送っていました。(電報は安上がりで、気持ちも残ります)

もう、両方の親はいません。昨日も女房あてに「通過点として結婚52周年目を迎えました。これからも元気で暮らしましょう」と記念日に合わせて送ったところです。私は結婚記念日は祝ってもらうのではなく、感謝する日だと思っています。

文面はシンプル(値段が安いのと文面からいろいろと想像する)ですが、長い年月を共に過ごせたのは、お互いの努力や支え合いがあってこそで、派手にお祝いするよりも、「ありがとう」と伝えることが大切だと思っています。

男性の心理では多くの人は「自分が先に逝く」と無意識に思っているのでしょう。女房に先立たれることを深く考えないのかもしれません。

しかし、いざその時が来ると、想像以上に動揺してしまう。だからこそ、女房が健在なうちに感謝の気持ちを伝え、大切な時間を共有することが大事と思っているのですが、直接言うことはなんか苦手で電報で伝えるしか出来ません。電報の文面は短いほど、想像力が高まります。

一番短い言葉です。南極越冬隊は無線での会話しか出来ませんでした。

ある隊員が送った言葉と返って来た言葉です。「おまえ」「あなた」でお互いの気持ちが通じるのです。

早いなぁ~52年もの間、一緒に歩んできた夫婦なんだぁ~…。

 

yuki76

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食生活が変った!変えた!

2025年03月03日 | 自分のブログ

思うことあって、食生活などを変えました。

もちろん不健康にならないように、食べるものは食べています。

無理はしないようにしていますが、最初は口淋しさもありましたが慣れて来ました。

どちらかと言えば、肉より魚です。あとは野菜を多くいただくようになりました。

基本的には椀は一つです。

時には鳥肉だっていただきます。

ロールキャベツも美味しい!

道志で手に入れ、自分でさばいて作った「富士の介」(ニジマスを交配したもの)を日干しにしていただいています。

旬なものは、近くの農家の直売店で買い求めていただいています。

たまには、ハンバーグも半分にして野菜を多くしています。

*******

最近、やめたものがあります。大好きな"いいちこ”(焼酎です)

飲み会以外は2カ月以上飲んでいません。

18歳(20歳)から飲み始めて、休肝日は年に3日くらいでした。

それも酷い二日酔いの日や、無駄な抵抗(気持ちだけ)ですが、健康診断の前日くらいです。

ラーメンも美味しいですよね。しかし、いただくと翌日は体重が増えています。

でも食べたい!

ご飯類(米)もほとんどいただいていません。

あぁ~ 美味そうなトンカツだ~!

揚げ物大好きです。

ほとんど、外食はしませんので女房の料理です。

見た目は健康な朝食ですが、今ではご飯はありません。

これなんですよね!焼き鳥さえあれは生きて行けると思うくらいです。

しかし、仲間との一杯会はストレス発散と美味いモノを食らう場ですので、進んで企画しています。今週末にも3人で昼飲み会を実施します。(雪であっても、槍が降ろうと決行します!)

*******

自分の恥を曝すようで、出すかどうか躊躇しましたが昨年の夏の姿です。

酒を飲んでうたた寝するのが日常でした・・・。

72歳で完全退職して、コロナ禍を理由に気持ちも落ち込み、酒(いいちこ)を飲んで、うたた寝する日々が続きました。

かかりつけ医からも、イエローカードを何枚もいただいています。背中も丸くなり、歩幅も狭く段々年寄り体型になっと女房からも言われ、事実お爺さんになって来たと言われる日々です。

意を決して、近所のジムに通うことにしました。(以前も通っていましたが、何度も辞めています)これらの経過や内容はすでにご紹介済みです。

孫のようなトレーナーから指導を受けて、運動習慣を付けることにしました。

そして、あれだけ止められなかった酒も飲まなくなりました。不思議です?(すでに一生分くらいの酒は飲んだのでしょう)

自分の意思で、自分を痛め付ける?のが面白くなって来ました。今までは仕事などでやらされ感があったのでしょう。

酒を飲まなくなって、高カロリーのつまみなど食事の量が減って来ました。

トカゲのしっぽ切りではありませんが、中途半端では結果は出ません。やるならやる!の強い負けない意志が必要なのでしょう。

ある方が言っていました。「タバコをやめるのは簡単だ!現に私は何回もやめてきた」と。

食事も含めて(食生活を変え)、運動習慣を身につける。酒を飲まなきゃ体重も落ちる。体重も軽くなれば気持ちも前に進む!の考え方です。

半年前と比べて、2㍑のペットボトル3本半の重さが無くなったのです。逆にそんな重さがどこに有ったのか不思議なくらいです。

しかし、今週末の昼飲み会が楽しみです。先ずは生ビールから・・・。私にとっては大事な至福の時になるのでしょう。

 

yuki76

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アレクサを聴きながらブログを打つ(道志)

2025年03月02日 | 自分のブログ

昨日の道志も好天に恵まれました。早朝より作業開始です。

丸太をチェンソーでカットしたり、土留め壁の改修で杭を20本くらい打ち込みました。

これらの土留め壁を撤去し、改修するのです。

もう、作るから直す時に移行しています。

切れが良くなくなったので、チェンソーの刃の目立てをしています。

上のキャンプ場に作った「まな板」を差し上げました。キャンパーには喜ばれているようです。

村のおっちゃんたちが雑談しています。左のおっちゃんは私と同じ作業服(ワークマン)です。

ワークマンは軽くて着やすいと、本職のワーカーが言っているのですから間違いは無いのでしょう。

そんな村のおっちゃんに同化している私です。昨年はジャガイモが不作だったと話したら、3月末ごろから種芋を植えると良いと聞きました。

野菜やジャガイモなどは土づくりが大事だと・・・。早速、落ち葉集めから始めまし。

山の斜面から落ち葉を掻き出し、とりあえず3袋集めました。こんなことでも結構な労働なんです。地主さんがトラックで運んでくれました。

これでも足りませんので、今日も集めることにしました。

先ずは、畑に撒きました。次回 来た時に耕うん機で土を混ぜ、ジャガイモ種を植え付けます。

辺りを見ると・・・。

こんなモノに囲まれています。

杉花粉も膨らみはじめ飛散しています。花粉症の方は見ない方が良いのでしょう。

上の森○さんが夕刻に来られて挨拶したいとラインが入りました。花粉症か?寝不足か?ちょっと調子がイマイチなので、今日の昼頃に伺うことにしました。貸別荘を経営していますので、焚火台用にと作ったまな板」を差し上げる予定です。

自宅用にはコンパクトなまな板を作りました。

面白い枝木を集めては、何を作るか考えています。

早朝よりブログの作成に入りました。

先ずはコーヒーを淹れて、アレクサで朝の音楽を聴いています。

朝食(2食分かな?)ちくわのサニーサイドエッグです。

お爺さん(私)は道志の山暮らし、お婆さん(女房)は友だちと一泊旅行・・・。

この3月で、結婚52周年になる年寄り夫婦です。それぞれの生活です。

持って来た新聞にこんな広告が挟まっていました。

六千八百円ではなく、680万円くらいの小遣いがあるとこれから先は非常に嬉しいのですが・・・。

7時近くになって、やっと陽が昇ってきました。

明日(月曜日)は天候も崩れて、寒くなるようです。今日の午後には帰ろうかな?

 

yuki76

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せせらぎのある家(道志)

2025年03月01日 | 自分のブログ

敷地内を流れるせせらぎです。湧き水を敷いています。 

道志川の支流で田代沢の源流の湧き水を敷いて、敷地内にせせらぎを造りました。

この家から1kmくらい先の高台に水源がありますが、そこから水道管で敷いています。

もちろん飲料用としても使えます。いつもポリタンクに入れては、我が家のミネラルウォーターとして持ち帰っています。(水質検査済みです)

ワサビやクレソンを育てていますが、この時期ですとワサビの葉はシカに食べられてしまいました。春先になればクレソンも出てくるのでしょう。

昨日、道志に入りました。ひと月に2回ほど通い生活をしています。

11時ごろ家を出て、1時間半の村です。交通の便が良くなく車しか入れません。

中央フリーウエーを利用して、相模湖インターを下りて山道に入ります。そこから40分くらいで道志村に入ります。こんなに東京に近くても、空気と水は美味しいですね。

道志に着くなり、あたりを確認します。農機具小屋もアイビーやバラ、テッセンが絡まっています。時期が来れば緑と花に囲まれます。

近くの田代沢です。ここはキャンプ場のサイトにもなっています。

自然木は強いですねぇ~。こんな環境でも育っています。

昨日の日中は27度になっていました。風もなく暖かな陽が射しています。


今回の目的は土留め壁の改修とブルーベリーの網かけの支柱を作ろうかと思っています。

先ずは杭づくりからです。これに防腐剤を塗って打ち込むのです。20本くらい作りましたね。

また、残材で生板風?なものを作りました。

縁は焦がし木目を出し、表面はサンダーをかけて磨きます。今日作り上げる予定です。

また、ジャガイモ(メークイーンと男爵)の種芋も買い求めて来ました。

もう少ししたら畑を耕し植える予定です。

女房からラインが入りました。友だちとヴァイオリンのコンサートに行って、いま帰宅したと・・・。友人とも昼飲み会の日程調整のラインです。

夕刻になって来ました。そろそろ薪ストーブに火を入れる時間です。

時間がゆっくりと流れます。

近くの大月で森林火災が発生していますので、燃やし場での火は使いません。

また、岩手県大船渡でも平成になって最大の森林火災が発生しています。東日本大震災の時も、伺った(お世話になった)知り合いも、電話した時は煙が来ていると言っていましたが、きっと避難されているかと思いますが案じています。

愛飲していた"いいちこ” 類も2カ月も飲んでいません。食事の量もいつもの半分(腹6分目)くらいです。別に体の調子が悪くて、そうしている訳ではありません。

運動習慣と酒を控える(したがってつまみなど高カロリーが減る)、睡眠を十分にとるようにしているだけです。*年寄り体型からの脱却をしたかったからです。

朝の気温は0度、昼は27度。実に気温差が27度ありました。

道志の朝が来ました。

 

yuki76

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