私は最近、諦めの境地なのか?日常的に「しょうがない」という言がが多くなりました。
自分では解決できないことが多過ぎるのでしょう。つい「今の若者は」とか、「昔は…」など比較論が出てきてしまいます。それだけ歳を取った証なのでしょうね。
私の子どもの頃は家のことを手伝うのは当たり前であり義務でもありました。その代償も含めて、食わしてもらえると言う権利?も無言の中にも合ったのでしょう。
今では死語になっている「働かざるもの喰うべからず」なんていう言葉も当然のように使い・考えていました。
内容の発端は、どうしてもできないIA機器のセッティングです。いまでは詳細な取説もありません。アプリをダウンロードして…。またはユーチューブを参考にするのですが、あと一歩が進みません。息子にお願いすると「したかがなしに」やってくれるのですが…。
女房は世代や時代が違うので「しょうがない」でしょ。と言っています。
こんな言葉を何気なく使っていますが、その語源をたどると興味深い背景が見えてきました。
1. 語源:「仕様がない」から「しょうがない」へ
「しょうがない」は、「仕様がない(しようがない)」が変化した言葉とされていました。
「仕様」とは、「やり方」「方法」という意味を持ち、つまり、「仕様がない」とは「方法がない」「どうしようもない」という意味になり、それが縮まって「しょうがない」になったとしています。
2. 「しょうがない」の使い方とニュアンス
「しょうがない」は、時代とともに使い方が少しずつ変わってきました。
- 諦めの表現:「雨が降ってきたけど、しょうがないね」(仕方がない)
- 感情の表現:「私は酒が好きでやめられない、しょうがない」(どうにもならない気持ち)
- 容認の表現:「あの子はまだ子供だから、しょうがないよ」(やむを得ない)
「しょうがない」もまた、単なる諦めの言葉ではなく、時には温かみや共感を込めた表現として使われることがあります。
3. 「しょうがない」に似た表現です
「しょうがない」と似た意味の言葉には、「仕方がない」「やむを得ない」「いたしかたない」などがあります。それぞれ微妙にニュアンスが異なり、例えば「いたしかたない」は少し格式ばった印象があります。
4. 「しょうがない精神」と日本文化?
日本人は歴史的に「しょうがない」という言葉を通じて、困難な状況を受け入れたり、柔軟に対応したりする文化を持っています。特に、自然災害の多い日本では「しょうがない」と言って前を向く精神が根付いているとも言えるのでしょう。
そう'65年のアニマルズの「Don't Let Me Be Misunderstood」(悲しき願い)が有名でしたが、これを日本語で尾藤イサオさんが歌う ♪ベイビー「誰のせいでも ありゃしない みんな俺らが悪いのか・・・」をつい口ずさんでしまします。
もう少しで、喜寿(77歳)になります。「この山越えれば 花畑」とあります。本当なのでしょうか?春撒きの草花の種でも買って育てますよ。
それにしても、この時代「しょうがない」ことが多過ぎるのではないかと感じていますが、しょうがないことなんですね。
yuki76
生姜、ないは生ですか?
市販品ですか?
言葉の綾ですね。
諦めや落胆的に使用しては気分も晴れませんよ。
人生、多難にも愉しみましょう。
自分で作ったことはありません。先ずは場所が無いからです。
私はあきらめも時代の流れかと思っています。
>人生、多難にも愉しみましょう。
あえて多難であることは、なるべく避けて行きたいですね。
激流に向かって泳ぐよりも、流されて対岸に辿り着く方を選んでいます。