Area51は、あの日の夕方、列車無線を受信していましたが、
地震発生直後、輸送指令から全列車に対して、
「止まれ~、止まれ~」
と絶叫口調の一斉指令が・・。
ただ事ではない状況・・あの絶叫は忘れられません・・。
早速、中越地方の消防・救急無線も受信態勢に・・。
頻繁に出動指令がかかりましたね・・。
その後数日は、県内外から派遣された救急隊の応援も得て、出動していました。
(使用波は、全国共通波1ch)
地震の4日後、10/27は妙見堰の土砂崩れ現場から、母子が救助された日です。
救出シーンは、テレビでも生中継されていましたね。
直接の救出にあたったのは、東京消防庁ハイパーレスキュー隊。
上空には、東京消防ヘリ「ひばり」が旋回し、現地指揮本部と連絡を取り合っていました。
(これも全共1chだったような気がします・・)
現地本部の波は聞こえませんでしたが、「ひばり」からの波は受信できました。
テレビの母親発見・救出報の10分ほど前に、無線では、母親発見の報があったのです・・。
地震発生直後、輸送指令から全列車に対して、
「止まれ~、止まれ~」
と絶叫口調の一斉指令が・・。
ただ事ではない状況・・あの絶叫は忘れられません・・。
早速、中越地方の消防・救急無線も受信態勢に・・。
頻繁に出動指令がかかりましたね・・。
その後数日は、県内外から派遣された救急隊の応援も得て、出動していました。
(使用波は、全国共通波1ch)
地震の4日後、10/27は妙見堰の土砂崩れ現場から、母子が救助された日です。
救出シーンは、テレビでも生中継されていましたね。
直接の救出にあたったのは、東京消防庁ハイパーレスキュー隊。
上空には、東京消防ヘリ「ひばり」が旋回し、現地指揮本部と連絡を取り合っていました。
(これも全共1chだったような気がします・・)
現地本部の波は聞こえませんでしたが、「ひばり」からの波は受信できました。
テレビの母親発見・救出報の10分ほど前に、無線では、母親発見の報があったのです・・。
無線の世界でのことですね。
あの時はただただ家を飛び
出すことだけを考え。
そして、戻ってこない妻と
長男の安否。
不安がつのったものです。
家族が揃ってからもどうやっ
て時間を過ごすかとか..。
時折揺れる中穏やかならぬ
数日を過ごしました。