肋骨を折った。
完治まで5週間かかるそう。
仕事にはコルセットを使って
普通に出勤してる。
パーキンソン病は少しずつ
進行するのだけど、
薬をちゃんと飲んでいないんだよね…。
というのもパーキンソン病については
全然、脅威だと思っていないから。
癌や心不全のほうが
どうしようもなかったから。
個人的な感覚になるけど、
癌には海藻と有酸素運動が効く。
それと、糖質制限。
体に良いことを選んで実行していけば、
体は応えてくれる。
私は今、固縮という
体(特に手足)の強張りが起きたり
姿勢反射障害という転んだり倒れたり
という症状がある。
それから便秘。
そして飲み物を飲んだ時に、
油断すると口から
こぼしがち。
多脚杖(四点杖)を使うことを
医師に勧められて、
例のごとく心配症の多嘉良に
うるさく使用するように言われて
ほとほと嫌になっているところ。
多嘉良は姉も味方につけて、
2人して色々なリスクを説明してくる。
私のように、杖を嫌がっている人もいて
その場合はキャリーバッグを使ったり
するみたい。
なるべく帽子を被るように
言って来たりもする。
頭を打たなたいように。
普段は、娘が常にピトッとくっ付いて
手を繋いでくれることが多い。
多嘉良がくっ付いている場合も
ある。
駄目なんだよ、甘えたら。
精神的な甘えが出たら、
一気に進行するから。
絶対、杖を使わないつもり。
自力歩行が難しい段階まで行ったら
初めて使うよ。
この文を、泣きながら書いているのだけど
多嘉良は隣でジーッとしている。
多嘉良には、おじいさんになって
体が動きにくくなるまで、
わからないと思う。
働くよ、私は。
仕事に出ているから元気なんだよ。
多嘉良とは、わりと
意見を戦わせることが多くて
娘の進路についても
めちゃくちゃ戦った。
⇨勝った。
多嘉良が望んで、
私が反対したこと。
具体的には、娘のスイス留学。
または、私立中学の受験。
どちらも娘が拒否していたので。
よくよく聞いてみると、
多嘉良のお父さんが娘(彼から見たら孫)に期待をかけている状況もわかって、
更にリサーチしてみると
まさかの多嘉良のお母さんのほうが
過剰に期待していることがわかった。
多嘉良が出来杉君だったので
昔は気づいていなかったけど、
多嘉良も重圧と呼べる期待を
かけられていた、ということ。
ただし多嘉良の場合、
お父さんお母さんの期待の
遥か上を行っていたので
問題なかっただけ。
娘は私に似て、性分が自由人。
多嘉良とは、また別の意味で
変わり者。
娘に任せて自由にさせたほうが
絶対上手くいく。
下手に進路をいじると、
精神的な病気になっちゃう。
というのを、多嘉良にも
多嘉良実家でも熱弁して
娘を守った。
多嘉良とは別居しようかと
思ったくらい。
娘の教育方針を通じて、
どうやら多嘉良のお父さんお母さんには
限りない理想論があるんだなあ…
と実感した。
私が思春期の頃に
多嘉良実家から脱走(長い家出)を
したのも、考えてみると
同じように違和感があったんだと思う。
お父さんが、
「学費を出すから
美大に行くと良いよ」と
優しく、あっさりと
言ってくれたこと。
100%厚意なんだけど、
善意なんだけど、
有無を言わせない圧迫感があった。
当時の多嘉良は
高校生にして
「お前は俺が面倒を見てやるからさ」
という押し付け価値観を持っていた。
いや、それも
100%好意なんだけど、
善意なんだけど…。
私は面倒を見られないとならない
ちーっぽけな存在なのかい?
と、聞いてみたかった。
が、まあ、聞かないことにした。
だって、多嘉良にとっては
それが愛なんだもんね。
そこは否定してはいけないし、
多嘉良の家で
寝床とご飯を貰っている立場で
言えないよ。
だから自立に向かったというわけ。
自立しないと意見を
聞いて貰えないから。
今、ちゃんと何でも言えるようになり
本当に良かった。
自信がついた、ということでもある。
自信をつけるためには、
自活する力を持つ必要があった。
多嘉良にも姉にも
頑固者!と言われるけれど
私は「そうだよー」と答えて
おしりをペンペンとしつつ
走って逃げて… 転んでいる。