ここを訪ねるその前に、「七面山」とPC検索すると、
蓮宗総本山身延山久遠寺オフィシャルホームページー七面山登詣案内が、ヒットしました。
何故、身延山のホームページがでてくるのか戸惑いましたが、
目の前の身延山と七面山、二つのお山の繋がりを、納得できる近さです。
「七面山 登詣のしおり」によりますと、七面山敬慎院は、身延山久遠寺に属し、
法主に任命された「別当」が運営し、伽藍には七面大明神をまつるとありました。
富士川の支流の春木川をはさんで対峙する、久遠寺は身延町にあり、
敬慎院は、山梨県の早川町にあるも、身延町の飛び地になっていますから、
七面山敬慎院は、身延山久遠寺の大きな影響力のもとにあることが分ります。
国土地理院 ウオッ地図 /身延町飛び地
はじめて、七面山を知ったのは・・
はるか昔の、まだ、Windows95が発売される以前のことでした。
今でこそ、インターネットでいろいろなお山を知ることができますが、
当時はガイドブックと山岳系の月刊誌がたよりです。
そんなある日、いつも一緒に二人で登っていた友人が、「勤行と精進料理の七面山」を提案してきました。
8歳年上の彼女は、渋いお山、面白そうなお山を、上手に見つけてくるのです。
何が理由でその時に登らなかったのか思いだせないのですが、
真冬で参道が凍るからって話をしたようにも思いますし、
雑誌に出てくる、メジャーな山に、がんがん登りたかった当時の私は、
冬の八ヶ岳等に心が向いて、あまりいい返事をしなかったのかもしれません。
数年前から、メジャーであろうとなかろうと、登っていないお山、
歩いたことのないコースに目が向くようになりまして、ガイドブックをめくっていたら、
七面山がありました。ところで、このガイドブックは『日本2百名山』なのでした。
当時の彼女と私、二人とも、七面山が日本2百名山であることを、
全く知らなかったのですから、楽しくなってしまいます。
百名山、ニ百名山、なんとか名山など考えもせず、登りたい山に登っていた頃が懐かしい。
山行日 2011年10月7日~8日(土)
第1日(10/7)
11:21JR身延線身延駅着 11:45身延駅発 七面山登山口行きバス 七面山登山口12:24着
ここから表参道の登山口(羽衣)近くまでタクシー10分。
歩きだし13:00・・・敬慎院着16:30 (敬慎院泊)
天候:→
第2日(10/8)
5時前起床ー5時半から朝の勤行。勤行の途中から御来光を拝みに隋身門前の遙拝所へ。
再び勤行。ー6時30分頃朝食。
7:30敬慎院スタート・・8:11七面山・・8:50敬慎院着。9:25敬慎院スタート。
裏参道(北参道)を下山開始へ・・安住防で40分間休憩・・12:55七面山登山口(角瀬)着。
14:20発 身延駅行きバス15:00身延駅着。
天候:→
↓このルート図は、カシミール3Dを使って、身延山の上空から俯瞰しています。
第日(10月7日)
表登山道は、よく整備された階段状の道。敬慎院の50丁目まで丁目がふられています。
玄関口では、大勢の寺男(?)さんと若い数人の修行僧さんが迎えてくださいました。
思いがけなくも、たくさんの男性集団に注目され(このようなこと初めてでしたから)、
一瞬ですが脚が止まってしまいました。
今日の泊まり客は数人。皆さま、お参りのようでして、ぱきぱきな登山スタイルは私一人。
このような格好で良いのかと気が引けましたが、敬慎院さん側は、なんともないようでした。
お部屋にザックを運んでくださりそうになったので、「いえいえ、自分で運びますので」と申しましたら、
「力持ちなのはわかっているけれど」と言いながらどんどん運んで行かれまして、恐縮しました。
相部屋の男性が、僕は運んでくれなかったけれどって(*^^*)
部屋の良さそうなところにザックを置いて下さると、
すぐさま「もうすぐ夕飯だからその前にお風呂に入って」と、急かせる寺男さん。
「はい、ありがとうございました」(ちょっと待って、お茶を一杯飲ませて)(o^-^o) ウフッ
※風呂は、流すだけ。洗剤を使うことはできません。
入浴している間に、女性が一名増えて、5人分のお膳が運ばれてきました。
修行の場なので、肉や魚を食べることはできませんが、ご飯もみそ汁もおかわり自由です。
6時30分から勤行が1時間ほどだったでしょうか?
本堂の真ん中正面に大きな電気絨毯とストーブが準備されていましたから、
ダウンジャケットを着こむほど冷え込んではいましたが、寒くはありません。
今日の宿泊者は、7人。月参り、年参りの方々でした。新潟、栃木、千葉県、横浜からと。
皆さまの「南無妙法蓮華経」と唱える姿、発声は、真摯でまっすぐで、圧倒されます。
お坊様方のお勤めは、鐘、太鼓とともに唱和して、おなかの底から湧き起るような迫力があります。
お経は、何と唱えているのかさっぱりわかりませんから、
聴き慣れている「南無妙法蓮華経」部分のみ唱えました。
勤行を終えて部屋に戻ると、布団が敷いてありました。噂通りの布団の長さですぅ
敷き布団も、毛布も、掛け布団も、それぞれ5mはありそうです。
枕三つの男性側は、8mくらいありそうでした。
たまたま人数が少なく小さな部屋でしたから、この程度ですが、
1000人も泊まれるそうですから、一番長い布団は、何mなのでしょう(*^^*)
冬に混雑すると、布団が浮いて肩が寒いので、掻巻きを貸していただけるのですって。
第日(10月8日)
翌朝、5時少し前。月参りされている女性がてきぱきと、長い布団をロール巻きに畳み始めたので、
それにならって全員で、ロールに畳みあげました。起床時刻の5時ぴったりに、障子があいて、
寺男さんが布団を片付けに来ました。
その後、朝の勤行に参加し、途中、御来光を拝みに遙拝所に出かけ、
下の写真は、2011年10月30日の御来光です。晴れるとこんなに素晴らしいのですね。
後日、七面山に出かけた山仲間のHさんから、写真を頂きましたので、掲載します。Hさんに感謝です。
>
戻って、再び勤行に加わり、朝食を済ませ、7:30七面山(1982m)山頂に出かけました。
・・隋身門・・御来光遙拝所の右側から登山道。
この日この時間に山道に入る人は誰もいなくて、大型動物が出てくるといやなので、カウベルを
ガランガラン鳴らしながらの、七面山貸し切り一人占めの山歩きです。
表参道とは違う、本当の山道は嬉しくて、ところどころ、この秋の台風の影響を受けたのではと
思われる個所がありましたが、難渋するほどではありません。
ほぼ、予定通りの時間に着きました。「展望は無いですよ」と聞いていましたから、
暗いイメージを描いていましたが、とても明るくて、広くて、感じの良いところでした。
八紘嶺への道が樹林の中へと延びています。
敬慎院に戻ってから、ナナイタレ(大崩れ)を展望してくることを忘れたことに気が付きました。
そういえば、東側による細い路が笹の中に伸びていたけれど、標識もなく(?)
通り過ぎてしまったあそこかも。ああ、残念。
さあ、下山。本社に拝礼して、奥の院から裏(北)登山道へまいります。
間もなく奥の院。。。
注連綱で飾られた影コウ石を右に見て、奥の院の階段を上って本堂の右わきから裏(北)参道に入ります。
「裏参道を使う人は非常に少なく、整備をされていないガラガラ道で、
参道沿いの2つの宿坊も閉められたまま」と、敬慎院さんで聴いてきました。
ほぼ、その通りでしたが、摺れ違う人はいましたよ。
登って来た人は3人。降りる人は、7人でした。
若いお坊さまが装束をまとい、念仏を唱えながら下って行かれ、下山口近くでは同じく若いお坊様が、
Tシャツと半ズボンとザックスタイルで登ってこられました。丸坊主でなければそれとは分からない、
清潔でボディはスッキリ、凛とした好青年。ほれぼれしちゃいました。お二人は交代なのでしょうか。
11:32 安住坊のベンチで休んでいた同宿の男性に追いついて、ここで、情報交換と腹ごしらえ40分間。
バス便が少なく、14:20まで無いので、時間つぶしです。
13:00 七面山(角瀬)登山口(裏参道入り口)に到着。
身延駅行きバス発車時刻まで、1時間20分もあるので、
急遽、地元の方に教えていただいた温泉で日帰り入浴。
昼食は、陽当りの良すぎる登山口バス停を避けて、はす向かいの駐在所の軒先で。
(駐在所の入口は閉まって、奥の家庭用の玄関が開かれていました。)
しばらくして、外に出て来た私服姿のお巡りさん、駐在所入口近くで昼食中の私に気が付き、
上半身が飛びあがりました。仰天なさったようでして、申しわけなかったです。((^┰^))ゞ テヘヘ
「日影で涼しくて、公共の建物なので、ちょっとお借りしてました」
「言ってくれれば椅子を出したのに。これから自宅に帰るので」とは、単身赴任中のお巡りさんでした。
蓮宗総本山身延山久遠寺オフィシャルホームページー七面山登詣案内が、ヒットしました。
何故、身延山のホームページがでてくるのか戸惑いましたが、
目の前の身延山と七面山、二つのお山の繋がりを、納得できる近さです。
「七面山 登詣のしおり」によりますと、七面山敬慎院は、身延山久遠寺に属し、
法主に任命された「別当」が運営し、伽藍には七面大明神をまつるとありました。
富士川の支流の春木川をはさんで対峙する、久遠寺は身延町にあり、
敬慎院は、山梨県の早川町にあるも、身延町の飛び地になっていますから、
七面山敬慎院は、身延山久遠寺の大きな影響力のもとにあることが分ります。
国土地理院 ウオッ地図 /身延町飛び地
はじめて、七面山を知ったのは・・
はるか昔の、まだ、Windows95が発売される以前のことでした。
今でこそ、インターネットでいろいろなお山を知ることができますが、
当時はガイドブックと山岳系の月刊誌がたよりです。
そんなある日、いつも一緒に二人で登っていた友人が、「勤行と精進料理の七面山」を提案してきました。
8歳年上の彼女は、渋いお山、面白そうなお山を、上手に見つけてくるのです。
何が理由でその時に登らなかったのか思いだせないのですが、
真冬で参道が凍るからって話をしたようにも思いますし、
雑誌に出てくる、メジャーな山に、がんがん登りたかった当時の私は、
冬の八ヶ岳等に心が向いて、あまりいい返事をしなかったのかもしれません。
数年前から、メジャーであろうとなかろうと、登っていないお山、
歩いたことのないコースに目が向くようになりまして、ガイドブックをめくっていたら、
七面山がありました。ところで、このガイドブックは『日本2百名山』なのでした。
当時の彼女と私、二人とも、七面山が日本2百名山であることを、
全く知らなかったのですから、楽しくなってしまいます。
百名山、ニ百名山、なんとか名山など考えもせず、登りたい山に登っていた頃が懐かしい。
山行日 2011年10月7日~8日(土)
第1日(10/7)
11:21JR身延線身延駅着 11:45身延駅発 七面山登山口行きバス 七面山登山口12:24着
ここから表参道の登山口(羽衣)近くまでタクシー10分。
歩きだし13:00・・・敬慎院着16:30 (敬慎院泊)
天候:→
第2日(10/8)
5時前起床ー5時半から朝の勤行。勤行の途中から御来光を拝みに隋身門前の遙拝所へ。
再び勤行。ー6時30分頃朝食。
7:30敬慎院スタート・・8:11七面山・・8:50敬慎院着。9:25敬慎院スタート。
裏参道(北参道)を下山開始へ・・安住防で40分間休憩・・12:55七面山登山口(角瀬)着。
14:20発 身延駅行きバス15:00身延駅着。
天候:→
↓このルート図は、カシミール3Dを使って、身延山の上空から俯瞰しています。
第日(10月7日)
表登山道は、よく整備された階段状の道。敬慎院の50丁目まで丁目がふられています。
玄関口では、大勢の寺男(?)さんと若い数人の修行僧さんが迎えてくださいました。
思いがけなくも、たくさんの男性集団に注目され(このようなこと初めてでしたから)、
一瞬ですが脚が止まってしまいました。
今日の泊まり客は数人。皆さま、お参りのようでして、ぱきぱきな登山スタイルは私一人。
このような格好で良いのかと気が引けましたが、敬慎院さん側は、なんともないようでした。
お部屋にザックを運んでくださりそうになったので、「いえいえ、自分で運びますので」と申しましたら、
「力持ちなのはわかっているけれど」と言いながらどんどん運んで行かれまして、恐縮しました。
相部屋の男性が、僕は運んでくれなかったけれどって(*^^*)
部屋の良さそうなところにザックを置いて下さると、
すぐさま「もうすぐ夕飯だからその前にお風呂に入って」と、急かせる寺男さん。
「はい、ありがとうございました」(ちょっと待って、お茶を一杯飲ませて)(o^-^o) ウフッ
※風呂は、流すだけ。洗剤を使うことはできません。
入浴している間に、女性が一名増えて、5人分のお膳が運ばれてきました。
修行の場なので、肉や魚を食べることはできませんが、ご飯もみそ汁もおかわり自由です。
6時30分から勤行が1時間ほどだったでしょうか?
本堂の真ん中正面に大きな電気絨毯とストーブが準備されていましたから、
ダウンジャケットを着こむほど冷え込んではいましたが、寒くはありません。
今日の宿泊者は、7人。月参り、年参りの方々でした。新潟、栃木、千葉県、横浜からと。
皆さまの「南無妙法蓮華経」と唱える姿、発声は、真摯でまっすぐで、圧倒されます。
お坊様方のお勤めは、鐘、太鼓とともに唱和して、おなかの底から湧き起るような迫力があります。
お経は、何と唱えているのかさっぱりわかりませんから、
聴き慣れている「南無妙法蓮華経」部分のみ唱えました。
勤行を終えて部屋に戻ると、布団が敷いてありました。噂通りの布団の長さですぅ
敷き布団も、毛布も、掛け布団も、それぞれ5mはありそうです。
枕三つの男性側は、8mくらいありそうでした。
たまたま人数が少なく小さな部屋でしたから、この程度ですが、
1000人も泊まれるそうですから、一番長い布団は、何mなのでしょう(*^^*)
冬に混雑すると、布団が浮いて肩が寒いので、掻巻きを貸していただけるのですって。
第日(10月8日)
翌朝、5時少し前。月参りされている女性がてきぱきと、長い布団をロール巻きに畳み始めたので、
それにならって全員で、ロールに畳みあげました。起床時刻の5時ぴったりに、障子があいて、
寺男さんが布団を片付けに来ました。
その後、朝の勤行に参加し、途中、御来光を拝みに遙拝所に出かけ、
下の写真は、2011年10月30日の御来光です。晴れるとこんなに素晴らしいのですね。
後日、七面山に出かけた山仲間のHさんから、写真を頂きましたので、掲載します。Hさんに感謝です。
>
戻って、再び勤行に加わり、朝食を済ませ、7:30七面山(1982m)山頂に出かけました。
・・隋身門・・御来光遙拝所の右側から登山道。
この日この時間に山道に入る人は誰もいなくて、大型動物が出てくるといやなので、カウベルを
ガランガラン鳴らしながらの、七面山貸し切り一人占めの山歩きです。
表参道とは違う、本当の山道は嬉しくて、ところどころ、この秋の台風の影響を受けたのではと
思われる個所がありましたが、難渋するほどではありません。
ほぼ、予定通りの時間に着きました。「展望は無いですよ」と聞いていましたから、
暗いイメージを描いていましたが、とても明るくて、広くて、感じの良いところでした。
八紘嶺への道が樹林の中へと延びています。
敬慎院に戻ってから、ナナイタレ(大崩れ)を展望してくることを忘れたことに気が付きました。
そういえば、東側による細い路が笹の中に伸びていたけれど、標識もなく(?)
通り過ぎてしまったあそこかも。ああ、残念。
さあ、下山。本社に拝礼して、奥の院から裏(北)登山道へまいります。
間もなく奥の院。。。
注連綱で飾られた影コウ石を右に見て、奥の院の階段を上って本堂の右わきから裏(北)参道に入ります。
「裏参道を使う人は非常に少なく、整備をされていないガラガラ道で、
参道沿いの2つの宿坊も閉められたまま」と、敬慎院さんで聴いてきました。
ほぼ、その通りでしたが、摺れ違う人はいましたよ。
登って来た人は3人。降りる人は、7人でした。
若いお坊さまが装束をまとい、念仏を唱えながら下って行かれ、下山口近くでは同じく若いお坊様が、
Tシャツと半ズボンとザックスタイルで登ってこられました。丸坊主でなければそれとは分からない、
清潔でボディはスッキリ、凛とした好青年。ほれぼれしちゃいました。お二人は交代なのでしょうか。
11:32 安住坊のベンチで休んでいた同宿の男性に追いついて、ここで、情報交換と腹ごしらえ40分間。
バス便が少なく、14:20まで無いので、時間つぶしです。
13:00 七面山(角瀬)登山口(裏参道入り口)に到着。
身延駅行きバス発車時刻まで、1時間20分もあるので、
急遽、地元の方に教えていただいた温泉で日帰り入浴。
昼食は、陽当りの良すぎる登山口バス停を避けて、はす向かいの駐在所の軒先で。
(駐在所の入口は閉まって、奥の家庭用の玄関が開かれていました。)
しばらくして、外に出て来た私服姿のお巡りさん、駐在所入口近くで昼食中の私に気が付き、
上半身が飛びあがりました。仰天なさったようでして、申しわけなかったです。((^┰^))ゞ テヘヘ
「日影で涼しくて、公共の建物なので、ちょっとお借りしてました」
「言ってくれれば椅子を出したのに。これから自宅に帰るので」とは、単身赴任中のお巡りさんでした。
それも、しっかりお終いまで読んでいただいていますね。
お巡りさんのこと、また思い出して、笑ってしまいました。
それにしても、本当に長くてすみませです(^^;)
もっと、短ければ読みやすいし、毎日投稿は無理として、
もう少し投稿できると思いますが、
これがダメなんですよね、私。
今は、アクセスランキングの順位が付かなくなっていますよ。≧(´▽`)≦アハハハ
でも、コメントを頂いている皆さまのことは、時々思い出します。
走ると、眠くなっちゃって、駄目なんですよ。
で、コメントも長いですよね、わたし(o^-^o) ウフッ
勤行の折りのお話で、別当さまがお話になりましたが、
雑魚寝なのでしょうね。
お布団薄いですし、ロール布団の雑魚寝では、さぞかし肩のあたりが寒いのではと案じてしまいます。
それでも何よりも、トラ子さんも登っていらしたとは、すごくうっれしい!
ここまで登りに来るなんて、もしかして、かなりの山やさんだったのではないかなぁ。
あのお布団には、びっくりしました。
当時、夏だったのでしょうか、よく覚えていないのですが、信者の方がたくさん泊まっていらっしゃいました。雑魚寝でした。
大音響のお経にも、驚きました。
熊さんに遭わなかったようで、良かったですね。
見れなかった私は、ますます残念な思いですぅ(;´д`)トホホ
でも、ブログを飾ることができたことは、とっても嬉しくて、
友人に感謝、感謝です。
(o^-^o) ウフッ、大座布団をありがとうございまーす。
本当に煎餅蒲団で、腰が痛くなり、右に左に寝がえりを繰り返しつつ、
何時のまにか眠ってしまいました。
富士山の写真、最高ですね。
時には、せんべい布団でかわいそうですから、大座布団を・・・(笑い)。
朝が早かったから朝飯をまだ食べていません。
よって、朝飯前にブログを拝見。
実際は見られなかったようですが
富士の御来光綺麗でした。
樹齢700年の栃の木威光が伺えます。
最後を締めたお巡りさん、どこかで聞いた言葉ですが暖かさもあり、後の祭りでもあり面白かったです。
しかも臨時ダイヤで、本数が少なくて、待ち時間の長いこと。
帰りには、身延駅で1時間30分待ちました。
なお、身延駅から富士駅までは、連絡バスが走っていました。
登山道(裏参道)は、台風による豪雨の影響を受けて、
ところどころ補修されているところがありましたし、登山口行きのバス路線でも、あちこち被災個所がありました。
長いブログになってすみません。
お昼休みに、さっと読めるくらいが、いいですよね。
毎月訪れる女性が、「温かいことが御馳走ですから、早く頂きましょう」って。
なるほど、蓋がありませんものね(*^▽^*)
噂に聞くロール布団の初体験でした。
敷きも掛けも薄いのですが、薄い方がロールにたたみやすいですものね。
線路がズタズタの為特急などは走っていないとか!
その話は別にして本日の記事はかなり長いです。
がこれから数回にわたり訪問します。
そして少しずつ山を学びます。
七面山?聞いたことありませんでした。身延山も子どもの頃から聞くことはありましたが、行ったことなし・・・
山の中にデェ~ンとしたりっぱなとこですね。
肉魚のない食事もお寺っぽい、たまにはいいことかも
みそ汁の入れ物が
初めて見る長~い布団も
タイミングが合わなかったりして、登らずじまいになっているお山が、
まるで、宿題を済ませていないかのような居心地の悪さをもって、
迫ってくることがあります。
七面山もそうしたお山でした。
山人生の最後に登り残したお山が無いようになんてことは、
山は山ほどありますし、新たなテーマが生まれるし、しょせん無理なことだけれど、
また、一つ宿題終えて、清々しい心持になりました。
おみやさん、読んでいただいて、ありがとう。
山人生を一歩一歩大切に、歩んでまいります。
南アルプス近くの山ですから、ある程度の標高はあるのでしょう。
この標高ですから、積雪量は、ある程度ありまして、冬の月参りは、
道が凍って滑らないようにアイゼンを使って登るらしいです。
信者さんのほとんどの方々が、登山者ではないですから、
長い時間をかけて、ゆっくりと登っていらっしゃいました。
「苦しいけれど、これも満願のため」と。
標高の高さは、ある種、修行の道でもあるのかなと思いました。
それが、昔の思い出と重なると、「よっしゃー、行ってみよう」となるわけです。
身延山と高野山、名前は知っていましたが、未踏のお山ですよ。
両方のお山とも、興味をそそられます。
高野山では一人で広い部屋でしたか、それも何やら面白そう。
宿坊お泊まりは、人それぞれ好き好きがあるかと思いますが、
私は面白かったです、高野山も泊まってみたいですよ。
もともとは修業の場ですから、雑魚寝は珍しくはないのかもしれません。
長い布団が面白かったです。
畳み方は、まず布団の長い辺どうしを合わせて巾半分にして、
その状態で端からからくるくると巻いてゆくと、
伊達巻やロールケーキのような形になります。
布団はぺたんこで寒く、とても薄着になる勇気はなくて、
ダウンを着たままで寝ましたが、これが正解。
寒さに震えることなく熟睡できました。
5:00きっかりに、大太鼓のすさまじい音が宿坊に響き渡って、
起床の合図です。(*^^*)
身延山は聞いたことありましたが七面山は知りませんでした。
宿坊に泊ったのですね。
食事も粗食、寝る所もロールケーキ状の布団、
お勤めもして面白い経験をされましたね。
かなり高い山だったのですね。
お元気で羨ましいです。
寺に泊まっての登山。色々面白い
体験込みの事でしたね。
山としてはもう少し低いのかなと
思っていましたが、2000mに迫ろ
うという標高に驚きました。
宿坊は高野山で泊まった事がありますが一人で大きな部屋でした。
山小屋では雑魚寝が当たり前のようですが、お寺の宿坊でも似たようなモノなのですね。