はんなり伊豆高原

純和風カーロフォレスタのススメ

ハロウィン特別企画《伊豆極楽苑レポート》=極楽への第一夜=

2010-10-28 23:36:55 | 突撃レポート!
こんにちは!
はんなり伊豆高原です!

中伊豆の誇る不思議スポット!!
《伊豆極楽苑》
熱烈なリクエストにお応えして、
とうとうヴェールを脱ぐ時が来ました!


注:ワンちゃんはお車でお留守番となりますが、
  かなり強烈な施設ですので私もそれをお勧め
  します内容的にも交代で見に行くのも面白い
  と思います。その代わり、後でご褒美のお散歩
  をしてあげて下さいね!シリーズ最後に
  独断と偏見で送る、
     『ワンとお散歩中伊豆スタイル』
       アップ致します!お楽しみに!

まずはエントランス!!


何故かデパートのショウウィンドウで
見た覚えのあるポーズの
《赤鬼》さんと《青鬼》さんがお出迎え!

心配いりません!!!
なんと!!!!
『割引券がなくても割引中』



芸能人の来訪やテレビの取材も多数の
ようです。。。

笑顔に誘われ。。。まずは畳のお部屋で、
現世、その後どうなるのかの講義を
受けます。


さ、裁判!?
で、できれば調停に
しかし!世の中そんなに甘くない!
その淡い夢はその後の
展開に脆くも崩れ去るのでした。。



つづく。。。 ハッピーハロウィン


=極楽=

極楽(ごくらく、Skt:sukhaavatii)とは、阿弥陀仏浄土であり、サンスクリット語「スクヮーヴァティー」は「スクヮー」(sukhaa)に「ヴァト」(vat)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。『阿弥陀経』には「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」というが、梵蔵文では、衆苦を身心の諸々の苦といい、諸楽を楽の材料というから、極楽とは身心が共にを離れていて、幸福の材料だけがあるところの意味。親鸞は『唯信砂文意 』に「極楽無為涅槃界」を下記のように釈している。

  「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり、曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。「界」はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。  

つまり極楽とは、相対の立場では四苦や八苦のような現実苦と相対する 身心共に楽な世界ということ。絶対の立場では、不苦不楽の世界 であり、無為涅槃界である。。。



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