嗜好を志向する思考系ブログ。

世代の違い

週に2回ほど空手道の指導をしています。
近所の子ども達を相手にした小さな教室ですが、かれこれ25年ほど続いています。
長年子ども達を見ていると、世代と言いますか、性向の変化といったものを感じます。
いわゆる「ジェネレーション・ギャップ」ですね。

近年は「ゆとり世代」が終わって、「さとり世代」や「つくし世代」と呼ばれる世代が出て来ていると言われます。
まぁ、もともと「団塊の世代」というメディア用語から始まった流れですので、メディアが仰る通りなのでしょう。
因みに私は「団塊ジュニア」と呼ばれる世代ですが、若い頃は「新人類」という呼び方がありました。
その下の世代は「宇宙人」と呼ばれていましたが、これはあまり定着しなかったようです。

以前、「団塊の世代」と「団塊ジュニア」の間の世代である地元の先輩と飲んでいた時の話し。
その方は若い頃に、「何で団塊の世代の人達は、あんなに喧嘩するんだろう?」と不思議に思っていたそうです。
団塊の世代は、とにかく人数が多く、かつ物が不足していた時代ですから、自ずと”勝ち取る”ことをベースとした生き方になってるんでしょうね。
近所の団塊の世代のオジサン達は、今でもたまに感情的に言い合ったりしてますが、その後あまり気にした風でもなく、普通に近所付き合いをされています。
田舎という環境の中で、子どもの頃からお互いの性格を分かり合ってるからこそなせる技なのかもしれませんが。


「〇〇という時代だったから、その世代は△△の性向がある。」というのを、ネットで見かけます。
「△△の性向があるから、◇◇な対応を心掛けましょう!」みたいな。
部下に対して”育成”ではなく、“配慮”を求められるのも時代なのかな・・・と思ったり。

逆に「その世代の△△という性向から、どのような社会が形成されるか?」という事を考えていくと、最終的に教育論に行き着きます。
因みに、戦前の日本や現在のお隣の国を見れば分かりますが、”教育”は、国家レベルの洗脳装置の側面を持っており、本来細心の注意を以て取り扱われるべきモノなんです。
いずれにしろ、”教育”の一つの切り口として、”その世代の性向から形成される社会”というものを考察してみるのも、面白いかもしれません。



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