嗜好を志向する思考系ブログ。

明日を思う

お疲れ様です。
ちょっと残業が続いたり、飲み会があったりと、また以前の生活に戻ってました。
今日から仕切り直しです。

が、とにかく意志が弱いんですよ。
今日も何かと理由をつけて家飲みしようと企んでいたんですが、何とか温泉にたどり着きました。
で、湯船に浸かりながら、ボーっと思考タイム。
そう言えば昔、物事を解決するための思考方法としてマズイのは、コインの表裏の様な思考だというのを読んだ事があります。
簡単に言えば、『できていない』だから『する』という考え方。

朝がいつもギリギリで良くない。
だから、早起きをしよう!

一見良さそうですが、実は因果関係が逆です。
早起きができていないから、朝がギリギリなんです。
コインの裏表を逆にしただけな感じで、何の解決にもなっていない。
この思考だと、結局早起きは続かずに挫折感を味わい、自己嫌悪に陥ったりして、自己評価を下げてしまいます。
そうやって、自分で自分を”できない自分”にしてしまうんです。

だから、意志が弱い私としては『早起きをする』んじゃなくて、『早起きになる』ような心のあり方を考える訳です。
で、今日行き着いたのが、『明日を思う』ってこと。
実感として、「今日サウナに入っておけば、明日の朝が気持ちよく過ごせるんだよなぁ」と思ったら、先ほどまで飲もうかな等とモヤモヤしてたのがスッと消えました。
「小人閑居して不善をなす」等と言いますが、閑と感じているからしょうもない事をしようとする訳で、明日心地よく過ごすための準備が必要と思っていれば、そうはならない様です。


そうこう考えて行くと、”今日”の捉え方という話しに行き着きました。
『昨日の結果として”今日”を捉えるのか。
 明日の原因として”今日”を捉えるのか。』
以前読んだ本にそういった話しがあって、後者が良いという事は、知識としては知ってはいたんです。
たぶん、その後には、「だから~しなければならない。」みたいな文章が続いていたんだと思います。
「べき論」を素直に受け入れられる人は良いんですが、私みたいに「べき論」に強制性を感じて反発する人間には響かないんですよね。
だから,知識としてしか覚えておらず、久しぶりに思い出した次第です。

けど、実感として感じられるのであれば話しは別。
なるほど、明日を気持ちよく過ごせるように、今日を使う訳ですね。
それなら納得だし、それがムリのない心のあり方だという事が実感できました。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「雑感の日」カテゴリーもっと見る