嗜好を志向する思考系ブログ。

効率と洗練

昔、”勝ち組”、”負け組”という言葉が流行り、そのまま社会的な共通認識として定着しました。
この”勝ち組”、”負け組”という言葉。
現在の状況を分かりやすくするために、レッテルを貼っているだけのこと。
そこから効率良く何かを学んだりするために、こうした分類がなされる訳です。


はぃ、出ました「効率」。
正直、昔から嫌いな言葉でした。
私が好きなのは「洗練」です。
この2つは、似てるようで非なるものです。

昔は、仕事上の関係でもお礼状を送ったりすることがありました。
例えば、講演会の講師に対し、遠方から講演に来て頂いたこと、貴重な講演を頂いたことに対する感謝の意を伝える訳です。
現代では、対面でお礼も伝えたし、講師謝礼や交通費も払ってるんだから、後日のお礼状なんて不要だという考え方が普通だと思います。
皆忙しいし、そんなことに時間を使うのは非効率という訳です。
しかし、洗練された仕事をする人は、礼状そのものが、受け手にとって粋な計らいとなっていることでしょう。

「効率」にあるのは、知識からくる合理化、つまりは省略です。
「洗練」にあるのは、経験からくる合理化、つまりは昇華です。
そして一番の違いは、「効率」には心が入る余地がありませんが、「洗練」は心そのものということ。
一期一会の体現であり、仕事人としてのプライドでもあります。


上記の話しについて、時代錯誤も甚だしいと思われる人もいると思います。
そもそも、コレを考えていたのが20年くらい前のことですから、私もそう思います。
おそらく当時が「洗練」から「効率」への過渡期であり、現代は完全に「効率」の時代になっていると思います。
しかし、人類社会の価値観の中心に「効率」を置いて良かったんでしょうか。
その弊害が、現代人の心の問題として具現化して来ている気がするのです。


私が就職した90年代中頃は、銀行と言えば就職先でも花形的存在だったのですが、ネットバンキングの普及で、最近では地方銀行不要論が出始めています。
同じく、新聞やテレビといったオールドメティア関連の業界も、広告収入がネットに奪われており、既に淘汰が始まっているとさえ言えます。
これまで”勝ち組”と見られていた人達は、実は未来の”負け組”だったという話しになりかねないのですが、さて、”勝ち組”とやらから効率良く何を学べたんでしょうか。

人生の本質は、昔から『塞翁が馬』だと言われています。
この古典を、”勝ち組”、”負け組”という言葉で説明しようとすると、そのレッテル貼りがいかに無意味なものか実感できますよね。
ん。そう言えば、『平家物語』は読んだ事ないなぁ・・・




【缶コレクション】 エンブレム ブラック(3)
底面の日付は2002年07月20日。
エンブレムのマークもコーヒーカップの時代に。



(。・ω・。)

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