おどるなつこ 「あしおとがきこえる?」

タップダンサー・振付家おどるなつこの日常から浮かびあがることばを束縛せず書きとめています。2005年開設。

夜の街とドラマ

2020-07-13 | あしもとからの思索
夜の街夜の街って、新たないじめ構造でしょうかね。
何かのせいにすることで、自分の責任を回避できるような気がするというのは、日本の体質なのか、人間の根本的な性質なのか。先日の燐光群のお芝居でもそれを強く感じました。

あなたの人生はあなたのもので、誰かのせいで曲がったわけではありません。
いろいろな困難はおきるものだけれど、それをどう解釈するかは自分次第だから!

私はハタチでやっと水商売を始められてほっとした。19の冬に家を出て、21の冬まで生活費の仕送りをいただいていたけれど、時給620円のアルバイトは、お月謝やトウシューズ代、発表会費の積み立てを賄って消えていく。私はちゃんとした公演を観に行きたかった。それまで、近所のアマチュアの発表会しか観ていなかったから。
ハタチになり、やっと水商売で少し余裕を得て舞台を観に行けるようになった。しかし、パリオペラ座の少女たちの完成度に撃沈した。マリシア・ハイデのドラマに心えぐられた。
そのころ私はジゼルの村娘のバリエーションをおどった。のちに狂気に至る、その前の純真な村娘。この曲を踊った時に、私は“ドラマをおどる”ことを試し、何かをつかんだ。ギャップ。ドラマを生むのはギャップである。技術の上に体験がのる。のちに狂気に至る純真な村娘を踊るのに、ハタチの水商売経験が作用したことを記憶している。

21の冬に、私は「大人になろう」と思い人生を手放した。
一度手放してみるとよくわかる。やるべきことを手放すと、当然、やるべきことがない。言われたことをやってみても、それは私の人生ではないのだ。どんどん転落が始まる。

転落から自分の人生に戻ろうとした時に、応援してくれたのも夜の街だった。
新たなレッスン費、衣装代、持ちチケット代、それを賄うのは夜の街の給料だ。
いまだ、アーティストの多くが、夜の街を副業としている。
この状況はダブルパンチである。

それを、なんとかしてくれとは思わない。
でもさ、私たちのせいに、しないでくれる?

喧嘩を売るようだけど、喧嘩をしたいわけではない。
あほーな私は、ひゃらひゃらとおどりながら、新たな仕組みを日々考えている。










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