おどるなつこ 「あしおとがきこえる?」

タップダンサー・振付家おどるなつこの日常から浮かびあがることばを束縛せず書きとめています。2005年開設。

教える人の役割

2010-06-16 | おすすめ!
私は子どもの頃近所のバレエ教室に行っていた。私はバレエをやっていると思っていた。
高校を卒業するころ、都内のバレエ団附属クラス編入のオーディションを受けた。フランス帰りで高名な先生がそのクラスの担当だった。レッスンのあと、ぎょろりとした目で私をまっすぐ見て言った。
「あなたは、これまで間違った基礎に基づいてやってきて、筋肉がそのように出来上がってしまっています。今からやりなおしてもバレリーナとしてはもう間に合わないと思う。だけど、あなたはとても一生懸命です。クラスへの編入は許可します。」
その言葉は厳しかったけれど真実だった。18歳の私は、今までの疑問が解決したこと、チャンスを与えられた事、その2点だけで、大変ありがたく、その先生を尊敬した。そこまでちゃんと本当のことを言う人はあまりいない。

その先生に、正しい筋肉の使い方を身につけさせてくれる別の先生も紹介してもらい、両クラス平行して3年間毎日レッスンを続けた。3年後、筋肉を作り直し、まったく違うシステムの上でやっと少し自由に踊れるようになった頃、私はバレエをやめた。21歳でやっとこの段階、もう、おそすぎる。張りつめきって心も空っぽだった。若い時は3年の差をカバーできない。
やめる事を告げたとき、毎日私をみてくれた先生方は「そう、わかったわ」としか言わなかった。その世界を知り抜いている方々だ。少しでも生活が楽になるように、衣装づくりのバイトを頼んでくれたり、これだけ筋肉の使い方がわかっているから大丈夫よ、子どもの教えをしてみない?と言ってくれたり。お月謝以上に親身にみてくださっていたから、私の決めた理由も聞かずともわかったのだろう。

しばらくして、昔のお教室の先生から電話を頂いた。バレエをやめたと家族から聞いたという。「どうしてやめたの?」とその声は聞いた。私は黙っていた。すると、その声は言った。「ね、バレエの世界はあまいもんじゃなかったでしょう?」
私は黙って受話器を置いた。見よう見まねのバレエ教室も時代的には仕方のなかった事...そう自分の中で処理して全身全霊で取り組んで決着を付けた私に、その言葉はひどすぎた。



教えるという役割はむずかしい。
一人の人のものの見方には限界があるということを、教える側はわかっている事が必要があり、ある程度の所まで育ったら、自分にはない面を教えられる人のところを紹介するべきだろう。
私が今まで出会った先生と思う方達は、目の前の人にとって最適の方法を考えて伝えてくれ、けっして先生である事によりかかってはいなかったな。


タップのクラスも増えて、ダンサーのワークショップも増えた。
クラシックバレエに比べたら、自由度の高いものだから、いろいろな教え方がある。
それでも、まずは基本が使いこなせるようになる、のが目標だろう。そのためにどういう手順を踏むかは教える人オリジナルな部分だから、教え方は全く違うように見えるかもしれない。

基本的にはお金を払う人が習いたい事のあるクラスを受ければいい。でも、いろいろありすぎて迷ってしまう時には、いったん自分のやってみたい踊りの事や問題点などを洗い直して、まずは今習っている先生に直接聞いてみるといいと思うな。自分の事を少しでも良く知っているであろう人に。



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