おどるなつこ 「あしおとがきこえる?」

タップダンサー・振付家おどるなつこの日常から浮かびあがることばを束縛せず書きとめています。2005年開設。

混濁したものの静謐な上澄み

2016-07-16 | おすすめ!
ニースのテロで明けた今日、世界はそちら側に行きたいの?私は嫌だよ。お互いにやめましょう?
神奈川では一時的大雨に。2件の施設タップにむかう予定で、乗った電車が運転観あわせになりひやりとしたけれど、嵐は短時間で過ぎさった。どしゃ降りにも関わらず、施設の皆さん本当に元気でした!私は最近雨が降ると喉がいがらっぽくなって、なんだか最近の雨は好きじゃない。

さて、雨上がりの夜。
先日出演させて頂いたキッドのDANCE VISION 鈴木ユキオさんの公演へ。
ユキオさんのダンスは12年位前に横浜で拝見して以来で、今日は前から予約してありました。

観てよかった〜!

私の中で、かさぶたをはがす様な気持ちになったので、不親切だけどそのまま記録しておこう。




ことばとからだ、ことばは意思伝達に必須なわけではないとピッカートンも書いていたように、からだの表現で意思要求はほぼ伝わるのだから、じゃあ、ことばはなんなのか。ことばは、思考を整理したり、細やかに状況を共有する為に描写したり、概念に名前をつけたり、観たことのないものや関係性を共有する為に使われるツールなんだろうと思う。ダンスはことばで伝えにくいものであるけれど、ことばのない概念をつたえられるひとつのものである。この数年、私はそのことを少し避けていて、ただダンスであること、をしていなかったなあ。ということを観始めてすぐにおもった。演劇や歌、ことばとともにすすめられる表現ジャンルでは、ことばが全員に共有されている。そこにダンスが交じる時に、ことばの共有を無視することはできても、逃れることは私にはむずかしく、わりとことばを完全に含んだ上で創ったりおどったりしてきたのだった。
反面、タップソロを踊る時には、何語かわからない民族音楽や、雑音的サンプリング、歌詞のないクラシックを選んでいる。それらは完全にことばなしに見るものとして共有され、たったひとりの私をみるお客様それぞれに自由なことばが浮かんだら嬉しいと、おもうともなくおもっていた。

今日観たダンスは、そのどちらでもなかった。
静かにただそこにある、生物としての體。野生動物というよりは、もう少しミドリムシとか、欲求すら露でない生物のパッション。無機質とはまるで違う、ある混濁を相当しばらく放置しておいてできた静謐な上澄み。

おどることはもちろん、祈りだったりもするのだけれど、なにかそういう、意味をつけたくなるようなおこない全て取っ払いたいと感じていた矢先に、静かな唯ダンスを観られて、私はすーっとした。

かさぶたを、きれいにはがした。
はがすと痕になるよ?
いいのだ。

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