誰かのためにpresentを選ぶ作業はとても楽しいけれど、私にとっては難しいし、実はちょっと怖かったりする。
選んでいる時間は
どんなものを喜んでくれるのか…。
相手の嬉しそうな顔を思い浮かべながら、相手を想いながら
その人のためだけに費やす時間だ。
これだと思うものが見つかった時は
とても嬉しい。
けれども、
探しても探しても
これだというものが見つからない。
何を喜んでくれるのか、ピンとくるものがないと、
自分がその人について何も知らないのかもしれないと悲しくなったりする。
最後にはまるで相手への想いを試されているような…そんな気さえしてくる。
私の場合相手への想いが大きいほど妥協できず、混乱を極めるようだ。
ここ数週間。
チェジュに行くお友達が彼へのプレゼントを預かってくれると言ってくれたので、毎日毎日なにがいいのかいろいろ考えたり探したり…とても楽しい作業ではあったけれど、
結局presentはおろかカードさえ託せなかった。
何を書いたらいいのかわからなかった。
きっと何でも良かったんだと思う。
心をこめて選んだpresent、心をこめて書いたカードなら、彼は喜んでくれたに違いない。
でも選べないんだなぁそれが。(笑)
以前、フットサルをやっていた時、私はどこに走ったらいいのかまごつくことがよくあった。
パスを出す人がどこに出したいのか…全く読めないというのが理由だったのだが、
そんな私に百戦錬磨な友人が笑って教えてくれたのは
「自分がボールをもらいたいところに行くんだよ」
そんないとも単純な答えだった。
そもそもの発想が違うらしい。
presentを選びながら、何故かこの話を思い出していた。
きっと私の発想に従ったらフットサルもpresent選びも一歩も前に進めないのかもしれない。
でも時々試合中私は奇跡的なゴールを決めることがあり、(笑)
そういう時は決まって場所が私を呼んでいた気がする。
「ここだっ!」と閃くというか。
たぶん出したいところともらいたいところが一致した時なんだろうなぁと。
もちろんこれは単なる思い過ごしかもしれないが、そんな時はたまらなく気持ち良くてとても楽しかった。
presentを選ぶ時も同じ。
奇跡的にこれだろと閃く時がある。
それを相手がとても喜んでくれたかどうかはよくわからないが、あげた私はちょうどフットサルでシュートを決めた時のような達成感に似たものを味わえたように思う。
たぶんそんな感覚が忘れられず、ずっと奇跡を追い求めているのかもしれない。
こうやって考えると実は相手のことを想って…といいながら、単なる自己満足?(笑)
きっとpresentを選ぶ極意は
「自分があげたいものをあげる」
きっとそんな簡単で単純なことなのかもしれないかなぁ。
今回結局そんな閃きに出会えなかった私は彼に何ひとつpresentせず。
…というわけで、お誕生日プレゼントもカードもなしでごめんね。ビョン。
って謝って誤魔化そうと思っていたのに、FCであげてもいないのにお礼を言われてしまったので。(^_^;)
仕方ない。
奥の手だな。(笑)
続く。
選んでいる時間は
どんなものを喜んでくれるのか…。
相手の嬉しそうな顔を思い浮かべながら、相手を想いながら
その人のためだけに費やす時間だ。
これだと思うものが見つかった時は
とても嬉しい。
けれども、
探しても探しても
これだというものが見つからない。
何を喜んでくれるのか、ピンとくるものがないと、
自分がその人について何も知らないのかもしれないと悲しくなったりする。
最後にはまるで相手への想いを試されているような…そんな気さえしてくる。
私の場合相手への想いが大きいほど妥協できず、混乱を極めるようだ。
ここ数週間。
チェジュに行くお友達が彼へのプレゼントを預かってくれると言ってくれたので、毎日毎日なにがいいのかいろいろ考えたり探したり…とても楽しい作業ではあったけれど、
結局presentはおろかカードさえ託せなかった。
何を書いたらいいのかわからなかった。
きっと何でも良かったんだと思う。
心をこめて選んだpresent、心をこめて書いたカードなら、彼は喜んでくれたに違いない。
でも選べないんだなぁそれが。(笑)
以前、フットサルをやっていた時、私はどこに走ったらいいのかまごつくことがよくあった。
パスを出す人がどこに出したいのか…全く読めないというのが理由だったのだが、
そんな私に百戦錬磨な友人が笑って教えてくれたのは
「自分がボールをもらいたいところに行くんだよ」
そんないとも単純な答えだった。
そもそもの発想が違うらしい。
presentを選びながら、何故かこの話を思い出していた。
きっと私の発想に従ったらフットサルもpresent選びも一歩も前に進めないのかもしれない。
でも時々試合中私は奇跡的なゴールを決めることがあり、(笑)
そういう時は決まって場所が私を呼んでいた気がする。
「ここだっ!」と閃くというか。
たぶん出したいところともらいたいところが一致した時なんだろうなぁと。
もちろんこれは単なる思い過ごしかもしれないが、そんな時はたまらなく気持ち良くてとても楽しかった。
presentを選ぶ時も同じ。
奇跡的にこれだろと閃く時がある。
それを相手がとても喜んでくれたかどうかはよくわからないが、あげた私はちょうどフットサルでシュートを決めた時のような達成感に似たものを味わえたように思う。
たぶんそんな感覚が忘れられず、ずっと奇跡を追い求めているのかもしれない。
こうやって考えると実は相手のことを想って…といいながら、単なる自己満足?(笑)
きっとpresentを選ぶ極意は
「自分があげたいものをあげる」
きっとそんな簡単で単純なことなのかもしれないかなぁ。
今回結局そんな閃きに出会えなかった私は彼に何ひとつpresentせず。
…というわけで、お誕生日プレゼントもカードもなしでごめんね。ビョン。
って謝って誤魔化そうと思っていたのに、FCであげてもいないのにお礼を言われてしまったので。(^_^;)
仕方ない。
奥の手だな。(笑)
続く。
プレゼントは、本当に難しいですね。それは、考えすぎてしまうところにあるのかもしれません。どうして考えすぎてしまうのか、それは、その人に対する、想いがたくさんある証拠だと思います。
本当は、物をプレゼントをする必要が無いような気もするのです。または、どんなものでも良いような気がするのです。それは、プレゼントをあげるという、気持ちがとても大切だからかもしれません。
ただ、一言、おめでとうございます。とてもうれしいです。自分の言葉を伝えることが出来れば、それが、プレゼントなのだと思います。
この言葉、すべてが、私の自己満足なのだと思います。けれど、その人を想って、何かをする、または、何にもしなくても、その人のことを想うだけでも、気持ちは、相手に充分伝わっているのだと思っています。自己満足が、その人の個性であり、その人自身なのだと思います。
何かに呼ばれる瞬間。その瞬間を、とても大切にしたいと、いつも思っています。
たぶん、私はとても欲深いのだと思います。
たぶん、それ以上の「何か」を期待してしまう。
それ以外の「何か」を期待してしまう。
「何か」って何なのかはわからないのですが。(笑)
巧く説明出来ないのですが。
たぶん、presentには二種類あって
単純に「これ欲しかった」「これ美味しかった」と喜んでくれるものがひとつ。
日常の大抵のプレゼントはこちらが喜ばれるかと。
もうひとつは難しい。
この人は何でこれをくれたのかなぁと、想像したくなるようなもの。
そしてその想いが伝わるもの。
今回は私、後者が強かったなのかな。
もちろん大抵は複合体でしょう。
物の溢れるこの世の中。
買おうと思えば大抵のものは手に入るわけで。
やっぱり物ではない「何か」をあげたいなぁと。
「何か」が「何か」を届けてくれるような。
それは時間であり、想いなんだと再認識した次第です。
たぶん今回も大量の時間と想いが届いたことでしょう。
全くいい加減なレスでごめんなさい。
朝も頭が働きません。(笑)