確か以前読んだコリン・ウィルソンのシュタイナー研究本に、シュタイナーの思想は借り物のつぎはぎという批判があると書かれていたように思う
他の人の哲学書をたくさん読んだわけではないから、一般的にも哲学はいくつかの既存の考え方の組み合わせによって出来上がるものなのかもしれないし、私には普通の状態がわからないのである
しかし、少し調べてみただけでも、その批判もやむを得ないと思われるほど彼の思想がプラトン、ゲーテ等の言ったままの、あるいはちょっとアレンジしたような内容の組み合わせから成り立っていると確認出来る
ただ、シュタイナーの味方をして考えれば、偉大、天才と世間でたたえられている人の、その偉大さを、真に理解出来る人は非常に少ないのではないだろうか
哲学は概念を素材にした芸術であるとシュタイナー自身が言っているが(確か…)、
偉大な思想、概念の完全な理解者である彼でなければ、それらを実際の人生に意味あるかたちで生かせるよう、有機的に結びつけることは出来なかったのではないだろうか
ある考えが生まれることが宇宙史的な創造なら、思想は宇宙の素材なのかも
シュタイナーのお料理で、宇宙的創造を味わうとは贅沢でしょう?
他の人の哲学書をたくさん読んだわけではないから、一般的にも哲学はいくつかの既存の考え方の組み合わせによって出来上がるものなのかもしれないし、私には普通の状態がわからないのである
しかし、少し調べてみただけでも、その批判もやむを得ないと思われるほど彼の思想がプラトン、ゲーテ等の言ったままの、あるいはちょっとアレンジしたような内容の組み合わせから成り立っていると確認出来る
ただ、シュタイナーの味方をして考えれば、偉大、天才と世間でたたえられている人の、その偉大さを、真に理解出来る人は非常に少ないのではないだろうか
哲学は概念を素材にした芸術であるとシュタイナー自身が言っているが(確か…)、
偉大な思想、概念の完全な理解者である彼でなければ、それらを実際の人生に意味あるかたちで生かせるよう、有機的に結びつけることは出来なかったのではないだろうか
ある考えが生まれることが宇宙史的な創造なら、思想は宇宙の素材なのかも
シュタイナーのお料理で、宇宙的創造を味わうとは贅沢でしょう?
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