「読む」とは、死者の語りを聴くことである、と感じていたのはアランだけではない。
……
哲学者池田晶子もまた、「読む」とは死者の言葉にふれることだと言った。
彼女にとって哲学を「読む」とは、それを書いたものと語らうことだった。
……
「かつての哲学者たちは、今は皆死んでいる人たちです。
つまり、死者の言葉をわれわれは読んでいるわけです。
……
この世のわれわれの話している言葉は、すべて死者の言葉というふうに見えてきます。
……
生者が死者の言葉を語っているのです。
そうすると、動いていないのは実は言葉の側であって、生きたり死んだりしているのは人間の側だというのが見えてきますね。
言葉はまったく動いていないのです。
あるいはまた、この動かない言葉においてこそ、生きているものは死者と出会うことができる。
死者に語るという不思議な行為をわれわれはします。
それは死者に向けられた言葉、鎮魂としての言葉です。」
「涙のしずくに洗われて咲きいづるもの」若松英輔著 より
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哲学者池田晶子もまた、「読む」とは死者の言葉にふれることだと言った。
彼女にとって哲学を「読む」とは、それを書いたものと語らうことだった。
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「かつての哲学者たちは、今は皆死んでいる人たちです。
つまり、死者の言葉をわれわれは読んでいるわけです。
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この世のわれわれの話している言葉は、すべて死者の言葉というふうに見えてきます。
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生者が死者の言葉を語っているのです。
そうすると、動いていないのは実は言葉の側であって、生きたり死んだりしているのは人間の側だというのが見えてきますね。
言葉はまったく動いていないのです。
あるいはまた、この動かない言葉においてこそ、生きているものは死者と出会うことができる。
死者に語るという不思議な行為をわれわれはします。
それは死者に向けられた言葉、鎮魂としての言葉です。」
「涙のしずくに洗われて咲きいづるもの」若松英輔著 より
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