銀杏の並木道の入り口にやがて来る厳しい冬に負けまいとツツジが咲いている。ほかの枝にも二輪三輪と。


山本周五郎さんのこの言葉が忘れられない。
なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい。
けれどもな、人の一生はながいものだ。
一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ。
ツツジだって、初夏から見聞を広めるため寄り道をしていたのかもしれない。紅葉に咲くツツジも捨てがたい。


山本周五郎さんのこの言葉が忘れられない。
なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい。
けれどもな、人の一生はながいものだ。
一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ。
ツツジだって、初夏から見聞を広めるため寄り道をしていたのかもしれない。紅葉に咲くツツジも捨てがたい。
そうですね 慌てる事は無いのですよね
忙しすぎる現在 とかく早く早くと焦ります
ユックリ のんびり焦らずやって行こうの思いです
そうですよねー、頑張って抜きん出ようとするのは良い。
でも、人の足を引っ張って抜きん出るのは情けない。
最近そんなことが多い気がしています。
より多くのものを見、経験することは人を肥やすと思います。たとえ、それが悲しいことや苦しいこと、望まないことでも・・・
私の場合、その全てが自分の演奏に生きていけば幸い・・・・
いいですね~~。
含蓄のある言葉…。
私も考えてしまいます。
多方向から物事を見る。
そうすればツツジは春の様な陽気に勘違いしたのではなく
見聞を広めるため寄り道をしていた 為に遅咲きになったのかも知れないのですものね。
春が来たと勘違いして咲いているのでしょうね。
人も植物も時には勘違いしたり回り道したりと、長い人生の中で様々なことがある。
ということでしょうか。