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夏目漱石と都市文明

2018-04-16 12:54:38 | 暮らし
現代人は情報の洪水を処理できなくて逆に単純化してんだろうな
そもそもそんな処理なんてどだい無理な話
後に生まれるほど覚えることが雪だるま式に増えるんだもんな
アホの極み。
つまりはこういうこと。現代人の読書なんてこの文章読むだけで十分。
これを学生時代に読んでおけば将来について無駄にあれこれ考えることもなかったと思う。

夏目漱石 道楽と職業(抜粋)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/757_14957.html

開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪(かたわ)な人間になってしまうという妙な現象が起るのであります。

言い換えると自分の商売がしだいに専門的に傾いてくる上に、生存競争のために、人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍乃至四倍とだんだん速力を早めておいつかなければならないから、
その方だけに時間と根気を費しがちであると同時に、お隣りの事や一軒おいたお隣りの事が皆目分らなくなってしまうのであります。

こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、
大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支ないのであります。

極(ごく)の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏(まと)うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、また自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をしていれば、
それこそ万事人に待つところなき点において、また生活上の知識をいっさい自分に備えたる点において完全な人間と云わなければなりますまい。

ところが今の社会では人のお世話にならないで、一人前に暮らしているものはどこをどう尋ねたって一人もない。この意味からして皆不完全なものばかりである。



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