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雨の記号(rain symbol)

記憶に残る韓流スター

 日本と韓国の関係は近くて遠い関係であり続けてきた。狭い海峡の下に深い歴史的溝が横たわっているからである。
 20世紀後半、世界地図がものすごい勢いでせばまる一方、日韓関係はその流れを受けるように友好関係を発展させてきた。政治、経済の友好レベルを超えるような民間交流は少なかったと思うが、そこの部分を強力に活性化し、埋めるものとして韓流ドラマが登場してきた。
 最初のうち、これらのドラマは奇妙なものとして僕の目に映じた。
 日本やアメリカのアップテンポのドラマを見慣れている僕には、展開のあまりののろさや、キスもしない男女のもどかしい場面など見て、なんじゃこりゃあ、と思ったものだった。
 しかし、どうせ面白くないだろうと思って見た「冬のソナタ」にすっかり魅せられてしまった。物凄い勢いで韓国ドラマは面白くなってきていたのだ。
このドラマの面白さを何人かの者に僕は話した。
 このドラマのヒットをきっかけに韓流ブームが起きた。
 当時、バスの中でこのドラマについて熱心に話す女子高生を見かけたことがある。チュンサン、ユジン、サンヒョク、という言葉がポンポン飛び交っていた。「救命病棟24時」の進藤先生を口にするのと同じ調子の言葉だった。
 「冬のソナタ」の舞台めぐりをするファンが日本からどっと韓国へ押し寄せていった。そのバタバタ足に踏まれたとしても怒った韓国人はいなかったであろう。
 いま、韓流ブームは日本ですっかり定着したように見える。韓流ブームはそのうち消えて忘れ去られる、と言った論調をかかげた者もいたが、そうはならなかったわけだ。計算からはみ出たところを動く人の感情を支配することなどできない。
 「冬ソナ」で一躍名をはせたパク・ヨンハは衝撃的な死を遂げたが、活躍の場を日本に求めたせいもあってか、自国では影の薄い存在となりつつあったようだ。韓流ブームが起きてまだ十年足らず。いくら民間交流が盛んになってきたとはいえ両国の深い溝はまだまだ埋め立て途中だった。
 両国を行ったり来たりして活動するなら彼も自国に比重をかけておくべきだった。片方の足を自国に残し、それで出先で頑張るには時期尚早だったのではないか。もしそうしたかったなら日本にやってきて当分は自国に帰らぬつもりで、ユン・ソナのように日本語オンリーのタレント生活をやるべきだったかもしれない。妙な自尊心など持たず、日本で恋人もつくり、伸び伸びと活動すればよかった。そしたらたぶん、一定の人気は得ただろう。ほとんど無名だったユン・ソナが成功したくらいだから。
 「笑っていいとも」などに出てきて、片言の日本語しか話さず、つぶさな内容は韓国語で話すしかないような活動では、あきられるか、出番が少なくなるのは目に見えていた。
 しかしパク・ヨンハは、21歳で生涯を閉じた赤木圭一郎のように、日本において記憶に残る最初の韓流スターとなったことだけは間違いない。
彼の名を胸に刻んで忘れないファンはきっと多いことだろう。
 合掌。
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