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カガワ賞なんて聞いたこともないぞ・・・似たような賞ならあるが、変な夢だ…そんな思いを片隅に留めながら僕は目を開いた。
天井を見ながら夢を反芻した
「次から次にたくさんの夢だった。だけど眠りの方はどうだったろうか。夢の合間で少しは眠れただろうか?」
僕は掛け布団を押し上げて身体を起こした。座った状態でしばらくじっとしていた。額に手をやった。すぐには動き出せない。頭の回路が滞っているような鈍重な気分だった。
朝までの時間はそれほど長く感じなかった。そのことに救いを覚える。
不眠状態がひどい時は昼間の延長のような覚醒状態で朝を迎える夜が何日も続いた。その時間たるや本当に長かった。(哲学者のニーチェはそんな夜は思索が出来るといって喜んだようだが、とてもじゃないがそんな気分になれなかった。ちらと考えはしたがすぐくじけてしまった)。
眠りたいのに眠れず、ちっとも進まない時間を意識させられながら寝床を取っていることほど辛いものはない。
無駄だが身体の休息に必要。ぱっと寝て夢も見ずぱっと起きられればそれに越したことはない。その時間が長ければ長いほど充足感は深い(おそらくそれが睡眠の極地なのだ)。
少々、込み入り過ぎて話が脱線した。
この時見たたくさんの夢は、寝床にある僕の意識と無意識のせめぎあった際の落とし子のようなものだったのだろう。
たとえば眠りの門の入り口あたりで…眠らせてくれ、と祈りに似た思いの中で湧き出るように流れ出たいろいろの夢も、じっと目覚めている時よりはるかに苦痛の軽いものだった。それらが苦しさや痛みの激しい部分を吸収していてくれていたのだろう…。
朝までの時間を短く感じたのはきっとそれらの夢のせいだったのだ。おそらく、夢また夢の間には喉から手が出るほど僕が欲していた眠りのスペクトルがたくさん挟み込まれていた…夢もあるいはその一部だったかもしれない。
長い一生を生きたはずなのに目を開けてみればまだご飯も炊き上がっていなかったほど短い時間の夢に過ぎなかった”邯鄲の枕”という言葉もある。切れ切れの夢がいくら集まったところでそれほど長い時間にはならないはずなのだ。
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