雨の記号(rain symbol)

金メダルの重さ

トリノオリンピックはまもなくフィナーレを迎えようとしている。世界からつどった選手たちの活躍は僕らにいろんな感銘、感動を与えてくれたが、やはり特筆すべきは女子フィギュアの荒川選手の活躍だ。日本選手たちが次々世界の壁に跳ね返される中、荒川選手は無欲、無心で銀盤の上に立ち、氷上に金の華を咲かせた。自分で出来る最高の滑り、最高の表現だけにこだわった結果である。彼女の「金メダルなんて取れると思ってなかった。無欲で滑ることだけ考えていた」という言葉はそこから出てきたのだろう。
 彼女の演技は本当にすばらしかった。上体を後方に目いっぱい反らせるイナバウアーは彼女のこだわった演技の一つだという。点数になりもしない演技に他の選手は挑むはずもなかったが、これを精一杯の表現で演じたところに彼女のフィギュアにかける思いや情熱の深さが感じて取れた。
 今、世の中は無駄なことはすべてはぶいていってしまう合理主義全盛の時代である。しかし、無駄なことの積み重ねの中からも美しさや大いに価値あるものが生まれてくる。
 荒川選手のイナバウアーはそこを表現していたのだ。その時、見守る観衆の拍手もひときわ高くなった。質が高く、そして深い演技と観衆の心の一体化が生じた瞬間だった。
 たかがスポーツと言うなかれ。ここには芸術や哲学的昇華も見られたのだと僕は思っている。金メダルとはそれほど重い(荒川選手はケッコウオモイと表現した)ものなのだ。
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